2026/6/14
富良野の「へそ」は、なぜラベンダーとドラマの舞台になったのか

富良野の歴史について詳しく教えて欲しい。
キュリオす
北海道中央部に位置する富良野は、アイヌ語で「臭い火」を意味する地名から、開拓を経てジャガイモやタマネギの産地へ。その後、ラベンダー栽培と観光への転換で、現在の風景が形作られた。
丘陵に立つ、広大な「へそ」の問い
富良野の丘に立つと、どこまでも続くかのような畑と、その向こうに連なる山々の稜線が視界を占める。観光客の多くは、この地を「ラベンダーの里」あるいは「ドラマの舞台」として認識しているだろう。しかし、その広大な風景が、かつては手つかずの原野であったことを想像する者は少ない。北海道の中央に位置し、「北海道のへそ」とも称されるこの地は、なぜこれほどまでに多様な顔を持つに至ったのか。その背後には、自然の厳しさと人間の営みが織りなす、幾重もの歴史の層が横たわっている。
原野から拓かれた「臭い」大地
富良野の地名は、アイヌ語の「フラヌイ」(臭い火、硫黄の臭い)に由来すると言われている。これは、かつてこの地域に硫黄が噴き出す場所があったためとされる。しかし、現在の富良野のイメージとはかけ離れたこの地名が、初期の開拓者たちにとって、文字通り「手つかずの原野」であったことを示唆している。北海道開拓の波が富良野に到達したのは、明治時代も後半に差し掛かる頃であった。1897年(明治30年)、現在の富良野市鳥沼町に最初の入植者が鍬を入れたのが公式な開拓の始まりとされる。
入植は、主に北海道庁による計画的な移民政策によって進められた。1899年(明治32年)には、現在の富良野市街地の基礎となる富良野村が設置され、本格的な開拓が始まる。初期の入植者たちは、原野を切り開き、防風林を植え、農業用水路を整備するといった、想像を絶する労苦を強いられた。泥炭地が多く、水はけの悪い土地では、作物の栽培も容易ではなかった。しかし、彼らは開拓使が推奨したジャガイモや小麦、豆類などの栽培を試み、徐々に土地を農地へと変えていった。
この時期、富良野の発展に大きな影響を与えたのが、鉄道の開通である。1900年(明治33年)に現在の富良野駅まで十勝線(現在の根室本線の一部)が開通すると、富良野は上川(旭川)と十勝(帯広)を結ぶ交通の要衝としての役割を担うようになる。物資の輸送や人の往来が活発化し、開拓のスピードは加速した。また、この鉄道は、富良野の豊かな森林資源を運び出すための動脈ともなった。開拓当初から、富良野の森林は木材として切り出され、建材や燃料として利用されてきたのだ。
明治末期から大正時代にかけては、農業と林業が富良野の二大基幹産業として定着していく。特に、ジャガイモは富良野の主要作物となり、澱粉工場も建設された。また、周辺地域では石炭の採掘も始まり、富良野は単なる農村から、多様な産業が集積する地域へと変貌を遂げていく。原野を拓き、鉄道を引き、産業を興すという、北海道開拓の典型的なプロセスが、富良野の地でも着実に進行していったのである。
転換を促した「白」と「紫」の作物
富良野の産業構造は、幾度かの大きな転換期を経て現在の姿に至っている。開拓初期の主要作物であったジャガイモは、大正から昭和初期にかけて富良野農業の柱であり続けた。しかし、戦後の高度経済成長期に入ると、食生活の変化や大規模農業化の波の中で、富良野は新たな作物を模索し始める。その一つが、タマネギである。北海道の冷涼な気候と広大な土地はタマネギ栽培に適しており、富良野は道内でも有数の産地として知られるようになった。
しかし、富良野の風景を決定的に変えたのは、ジャガイモやタマネギといった食用作物だけではない。戦後、肥料の原料として利用されていた「ラベンダー」の栽培が富良野で本格化する。元々は香料採取を目的としたもので、1950年代には栽培面積がピークを迎えた。しかし、安価な輸入香料の台頭により、1970年代にはラベンダー栽培は衰退の一途を辿る。多くの農家が栽培を断念し、富良野のラベンダー畑は消滅の危機に瀕していた。
この危機を救ったのが、観光への転換である。1970年代後半から1980年代にかけて、ラベンダー畑が観光資源として注目され始める。特に、1976年(昭和51年)に旧国鉄のカレンダーに「ファーム富田」のラベンダー畑の写真が採用されたことが、全国的な知名度を高めるきっかけとなった。さらに、1980年代にはテレビドラマのロケ地として富良野が選ばれたことで、その知名度は決定的なものとなる。広大なラベンダー畑と、四季折々の美しい丘陵の風景は、多くの人々を魅了し、富良野を北海道を代表する観光地へと押し上げたのだ。
この観光への転換は、農業のあり方にも影響を与えた。食用作物の大規模栽培だけでなく、観光客を呼び込むための「体験型農業」や「観光農園」が増加した。ラベンダーだけでなく、メロンやアスパラガス、ワイン用のブドウなど、高付加価値作物の栽培も盛んになった。また、富良野の冷涼な気候は、スキーリゾートとしての発展も促し、冬の観光客も呼び込むことに成功している。かつての「臭い火」の原野は、食用作物と香料作物、そして観光という、多様な「白」と「紫」の経済によって彩られるようになったのである。
北の開拓地が共有する「単一作物」の影
富良野の歴史を他の北海道開拓地と比較すると、いくつかの共通点と、富良野ならではの独自性が見えてくる。北海道の多くの開拓地がそうであったように、富良野もまた、初期には単一作物の栽培に依存する傾向が強かった。たとえば、道東の十勝平野では小豆や小麦、道北では米作が基幹産業として発展した歴史を持つ。これらの地域は、冷涼な気候と広大な土地という共通の条件の下、特定の作物に特化することで生産効率を高め、経済的基盤を築いてきた。富良野におけるジャガイモ栽培も、このパターンに当てはまる。
しかし、単一作物への依存は、市場価格の変動や病害虫、あるいは気候変動といった外部要因に対して脆弱であるという課題を常に抱えていた。十勝の小豆が価格暴落に見舞われたり、道北の米作が冷害に苦しんだりした歴史は、その典型的な例である。富良野のラベンダー栽培も、安価な輸入香料の登場によって壊滅的な打撃を受けた時期があった。これは、単一作物への過度な集中がもたらすリスクを如実に示している。
ここで富良野が他の多くの開拓地と異なるのは、その危機を「観光」という形で乗り越え、農業と観光を融合させた点にある。他の地域でも観光振興は図られてきたが、富良野のように特定の農作物(ラベンダー)が観光の核となり、それが地域全体のブランドイメージを形成するまでに至った例は、北海道内でも稀有だ。例えば、同じく広大な農地を持つ十勝地方では、チーズやワインといった加工品による付加価値化が進められたが、富良野のように「畑そのもの」が観光資源となるモデルとはやや異なる。
また、富良野が「北海道のへそ」という地理的条件によって、交通の要衝としての役割を早くから担ったことも、多様な産業の発展を促す要因となった。鉄道網の整備が、物資の流通だけでなく、後の観光客の誘致にも繋がったのだ。単一作物への依存と、そこからの脱却という点では共通するものの、富良野は「危機を新たな魅力へと転換させる力」において、その後の発展の方向性を大きく変えた稀有な事例と言えるだろう。
観光と農業が交差する丘の現在
現在の富良野は、観光と農業が密接に結びついた地域として知られている。夏のラベンダーシーズンには、国内外から年間100万人を超える観光客が訪れる。彼らは、かつて香料採取のために植えられたラベンダー畑が、今や色彩豊かな観光名所となっている光景を目にする。特に、映画やテレビドラマの舞台となったことで、その風景は多くの人々の心に深く刻まれている。地域を代表する「ファーム富田」のような観光農園は、ラベンダーだけでなく、ポピーやひまわり、サルビアといった多様な花々を栽培し、年間を通して観光客を飽きさせない工夫を凝らしている。
一方で、富良野の農業は、単に観光の背景として存在するだけではない。メロンやアスパラガス、ジャガイモ、タマネギといった伝統的な作物に加え、ワイン用のブドウ栽培も盛んである。富良野ワインは、その品質の高さから全国的な評価を得ており、ワイナリーは観光客にとっても魅力的なスポットとなっている。これは、単なる観光地化に留まらず、地域の農産物に新たな付加価値を見出し、産業全体を活性化させようとする動きの現れだ。
しかし、観光地としての知名度が高まる一方で、富良野もまた、他の地方都市が抱える課題に直面している。人口減少や高齢化、そして後継者不足は、農業分野においても観光分野においても深刻な問題である。特に、観光客の集中するハイシーズンと、それ以外の時期との格差は大きく、通年での雇用確保や地域経済の安定化は常に模索されている。また、過度な観光地化が、地域の本来の姿や自然環境に与える影響も、議論の対象となりつつある。
富良野は、過去の歴史の中で幾度も産業の転換を経験してきた。そして今、観光と農業という二つの柱を軸に、持続可能な地域づくりを目指している。広大な丘陵地帯で、人々は自然と共存しながら、新たな価値を生み出そうと試みているのだ。
「へそ」から見上げる、風景の重層性
富良野の歴史を辿ると、この地の風景が持つ多義性が見えてくる。多くの人々が「北海道らしい広大な自然」と捉える富良野の丘陵は、その実、人間の手によって切り拓かれ、作物によって彩られてきた「人工の自然」である。開拓者たちが原野に鍬を入れ、ジャガイモやタマネギを植え、そしてラベンダーが香る風景へと変貌を遂げてきた過程は、自然と人間の相互作用の歴史に他ならない。
かつては硫黄の臭いが立ち込める「フラヌイ」の地であったが、今では芳しいラベンダーの香りがその記憶を上書きしている。しかし、その香りの下には、開拓の苦難、単一作物への依存、そして産業転換の試行錯誤といった、幾重もの層が横たわっているのだ。富良野が「北海道のへそ」と呼ばれるのは、単に地理的な中央に位置するからだけではない。それは、北海道の開拓史における様々な要素――農業、林業、鉄道、そして観光――が、この地で凝縮され、交差してきたことの象徴でもある。
富良野の風景は、一見すると牧歌的で静謐に見える。しかし、その背後には、厳しい自然と向き合い、時代ごとの変化に対応しながら、新たな価値を創造し続けてきた人々の営みが隠されている。丘の上から見渡す景色は、単なる美しい眺めではなく、過去から現在へと続く、重層的な物語を静かに語りかけているのである。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。