2026/6/6
西川口、風俗街からチャイナタウン、そして多文化共生の街へ

西川口の街の変化について教えて欲しい。どのようにして違法風俗店が増えていったのか。現在の姿も教えて欲しい。
キュリオす
西川口は、かつて東日本を代表する風俗街から、違法風俗店の増加、そして中国系住民の集住によるチャイナタウン化を経て、近年はクルド人コミュニティの存在も注目される多文化共生の街へと変貌を遂げた。その背景には経済の変遷、法規制、国際情勢が複雑に絡み合っている。
JR京浜東北線の西川口駅に降り立つと、かつてのイメージとは異なる、多様な言語と香りが混じり合う独特の空気が漂う。駅前には中国語の看板を掲げた飲食店や商店が軒を連ね、その奥には中東系の食材店やモスクの姿も見受けられる。この街は、昭和から平成にかけて「東日本を代表する風俗街」として名を馳せ、その後「チャイナタウン」へと変貌を遂げ、近年ではさらに「多文化共生の街」として、特にクルド人コミュニティの存在が注目されるようになった。なぜ西川口はこれほどまでに姿を変え、その変化はどのように進行したのか。その背景には、経済の変遷、法規制の強化、そして国際情勢が複雑に絡み合っている。
西川口の街の変遷は、戦後の発展期に遡る。1954年の西川口駅開業を契機に市街化が急速に進展し、1960年代には「鉄塔横丁」と呼ばれる繁華街が形成された。当初は鋳物工場で働く工員や建築作業員向けの娯楽街として栄え、1970年代頃からは川口市本町周辺や東京の性風俗店が移転するようになり、歓楽街としての性格を強めていったのだ。
1980年代のバブル景気期には、西川口は「東京の繁華街と比べても遜色のない街」と評されるほどに発展し、多種多様な店舗が営業していた。 しかし、1990年代に入りバブルが崩壊すると、街には徐々に陰りが見え始める。娯楽店舗やそれに付随する飲食店、物販店が減少し、その空きテナントに違法風俗店が入り込み始めたのがこの時期である。 2000年代に入ると、街の衰退と入れ替わるように違法風俗店が増加し、西川口は「不名誉な違法性風俗の街」として全国的に知られるようになる。 最盛期には200店以上の違法風俗店がひしめき合い、「NK(西川口)流」という言葉まで生まれたほどだった。
この状況に転機が訪れたのは2004年である。東京都新宿歌舞伎町で始まった「違法風俗浄化作戦」の影響が西川口にも波及し、埼玉県警は西川口駅周辺を「風俗環境浄化重点推進地区」に指定した。 2006年5月の風俗営業法改正も後押しとなり、大規模な一斉摘発が敢行され、多くの違法風俗店が自主閉店に追い込まれた。 これにより、一時はゴーストタウンと化した西川口駅周辺には、空きテナントが目立つようになったのである。
この空洞化した空間に目をつけたのが、新たな外国人コミュニティ、特に中国からの人々であった。都心へのアクセスが良く、かつての風俗街というネガティブなイメージから地価や家賃が比較的安価であったことが、彼らにとって魅力的な条件となった。 2010年代に入ると、本場の中華料理店が次々とオープンし、「西川口チャイナタウン」と呼ばれる一帯が形成されていった。 芝園団地のように、中国人住民の比率が50%を超える団地も現れ、地域社会の様相は一変した。 かつての風俗店が入居していたビルは中華系店舗に転用され、中国語の看板が街を彩るようになったのだ。
西川口で違法風俗店が跋扈した背景には、複数の要因が絡み合っている。まず、バブル崩壊後の経済状況が挙げられる。景気後退により既存の店舗が撤退したことで、安価なテナントが大量に発生し、違法な形態の店舗が進出しやすい土壌が形成された。 さらに、川口市がかつて鋳物産業で栄えた工業都市であり、多くの労働者が集住していた歴史も無関係ではない。 労働者向けの娯楽施設や風俗店が元々存在していたため、新規参入のハードルが低かったと考えられる。
法規制の抜け穴や取り締まりの限界も、違法風俗店の増殖を許した一因である。例えば、「公衆浴場」として届け出ながら、裏で性的なサービスを提供する「裏サウナ」のような形態が摘発されている事例がある。 こうした店舗は、表向きは合法的な営業形態を装い、追加料金を支払った客にのみ違法なサービスを提供することで、取り締まりをすり抜けていた。 また、マンションの一室を利用した「マンション風俗」や「デリバリーヘルス」といった無店舗型の営業も横行し、摘発後も地下に潜って営業を続けるケースが見られた。
中国系住民の増加も、西川口の街の変化に大きな影響を与えた。1990年代後半から、都心部の池袋や新大久保に集まっていた中国人が、より安価な家賃と都心へのアクセスの良さを求めて西川口や蕨周辺に移住し始めた。 特に、芝園団地のような大規模団地の空き部屋に中国人が次々と入居し、地域に新たなコミュニティを形成していった。 彼らは、かつての風俗街という西川口のイメージを気にせず、むしろ生活の利便性や同胞とのネットワークを重視したのである。 中国の経済成長(中国バブル)も、こうした移住を後押しする要因となった。
さらに、SNSの普及もコミュニティ形成に一役買っている。微信(WeChat)などのSNSグループを通じて、育児相談やビザ手続き、不動産仲介業の情報交換などが行われ、中国系住民のネットワークが強化された。 このような背景から、西川口は違法風俗店が減少した後に生じた商業的空白を、中国系住民が形成する新たな経済圏が埋める形で変貌していったのだ。
西川口の変遷は、日本の他の地域に見られる外国人集住地と比較することで、その独自性と普遍性がより鮮明になる。例えば、横浜中華街や神戸南京町といった伝統的な中華街は、開港以来の歴史を持つ観光地としての性格が強い。これに対し、西川口のチャイナタウンは、2000年代以降の風俗街浄化後の商業的空白を埋める形で急速に形成された点で大きく異なる。 池袋北口のチャイナタウンも同様に、都心へのアクセスと安価な物件が要因となり、新しい華僑が形成した街として知られるが、西川口はさらに広範な商業・生活圏を形成している点が特徴的だ。
西川口の外国人コミュニティの多様性は、近年、特にクルド人移民の問題を通して顕在化している。トルコ国籍のクルド人が川口市や蕨市周辺に集住し始めたのは1990年代からで、トルコ国内での迫害や抑圧から逃れるために難民として来日するケースが多い。 しかし、日本の難民認定制度は国際基準と比べて厳格であり、生命や自由が直接的に危険にさらされる具体的な証拠が求められるため、難民認定されないケースが多数を占める。 2022年までにトルコ国籍のクルド人で難民認定されたのは通算でわずか1人という厳しさである。
難民申請が不認定となった場合、多くのクルド人が「仮放免」という不安定な在留資格で日本に滞在することになる。 仮放免者は就労が許可されておらず、各種行政サービスの対象外となるため、生活基盤が不安定な状況に置かれる。 この「グレーゾーン」とも言える状態が、地域社会に様々な課題をもたらしているのだ。 クルド人が欧米よりも遠い日本に来る理由の一つには、3ヶ月までの短期滞在であれば査証が免除されることが挙げられる。 この短期滞在期間を利用して難民申請を行う者が多く、中には就労を目的に来日し、難民としての認識が薄い者もいたとされる。
日本の難民認定制度の厳格さは、国際的な難民保護の原則と衝突する事例も生み出してきた。2005年には、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が難民と認定したトルコ国籍のクルド人男性とその息子が、日本政府によって強制送還された事例がある。 これはUNHCRが難民と認めた者を強制送還した世界初の事例であり、国際的な批判を浴びた。 日本政府は、彼らが迫害を受けていたとされる時期にイギリスで難民申請を行っていた事実などを理由に難民不認定を維持したが、難民申請者の個人情報を出身国政府に提供したことも問題視された。
このように、西川口における外国人集住は、経済的な理由から形成されたチャイナタウンと、難民申請という複雑な法的・人道的問題を抱えるクルド人コミュニティという、異なる背景を持つ二つの側面を併せ持っている。これは、単なる「多文化共生」という言葉だけでは捉えきれない、日本の外国人政策と地域社会の現実を映し出すものだと言えるだろう。
現在の西川口は、かつての風俗街の面影を薄れさせながらも、多様な文化が交錯する街として新たな局面を迎えている。駅西口周辺には依然として一部の風俗店が残るものの、その数は大幅に減少し、代わりに中国料理店やアジア系の食材店、カラオケ店などが密集する「チャイナタウン」としての様相が強まっている。 「ガチ中華」と呼ばれる本格的な中華料理を求めて、日本人観光客も西川口を訪れるようになり、街に新たな活気をもたらしているのだ。
一方で、クルド人コミュニティの存在は、西川口の街に新たな課題と緊張をもたらしている。川口市は埼玉県内で最も外国人が多い自治体の一つであり、全人口に占める外国人の割合は2024年4月1日時点で7.32%、約4万4千人に達する。 そのうち中国人が約2万4千人と最も多く、トルコ国籍者は約1500人で5位に位置している。 クルド人の多くはトルコ国籍を持ち、難民申請中の「仮放免者」として在留資格が不安定な状態にある。 就労が許可されていないため、生活の困窮や、それに伴う不法就労、さらには一部の外国人による騒音問題、ゴミの不法投棄、交通マナー違反といったトラブルも報告されており、地元住民からは地域での生活に不安を感じる声も上がっている。
川口市は、こうした状況に対し「第2次川口市多文化共生指針改訂版」に基づき、外国人住民をまちづくりの新たな人的資源と捉え、日本人住民との交流の機会を通じて互いに理解し合える環境を整える施策を進めている。 しかし、外国人住民の在留管理は法務省・出入国在留管理庁、不法行為の取り締まりは警察の管轄であり、市が根本的な解決にできることは限られているのが現状だ。
こうした中、2024年6月には改正入管法が施行され、難民申請中に強制送還を停止するのは2回までとなるなど、難民申請制度がさらに厳格化された。 また、川口市では2026年7月から、東京出入国在留管理局の職員が常駐する「外国人サポート相談窓口」を市役所に設置するなど、国との連携を強化し、外国人住民に関する相談に一元的に対応する取り組みを開始している。 地域住民による自主防犯活動や、外国人の子どもたちを支援するボランティア団体も多数活動しており、多文化共生に向けた模索が続いている。 西川口の街は、単なる経済的変容だけでなく、国際的な人権問題や日本の外国人政策の課題が凝縮された場所として、今もその姿を変え続けているのだ。
西川口の街の変遷を辿ると、都市が持つ驚くべき弾力性と、そこに暮らす人々の適応力が浮き彫りになる。かつて「風俗街」として一世を風靡し、その後の取り締まりによって一度は「ゴーストタウン」と化した街が、中国人コミュニティの流入によって「チャイナタウン」として息を吹き返し、さらにクルド人コミュニティの存在によって新たな多文化の様相を呈している。これは、特定の産業や住民層に依存していた都市が、その基盤を失った際に、いかにして新たな活力を取り込むかという問いに対する一つの回答を示していると言えるだろう。
しかし、その変化は常に円滑に進むわけではない。違法風俗店の横行は、経済的空白と法規制の隙間が重なった結果であり、その後の外国人集住もまた、家賃の安さや都心へのアクセスといった経済的合理性が大きな要因となっている。特にクルド人コミュニティが直面する問題は、日本の難民認定制度の課題、そして在留資格が不安定な人々が地域社会で生活していく上での困難さを浮き彫りにしている。彼らの存在は、西川口が単なる経済活動の場ではなく、国際的な人権問題が日常の風景の中に溶け込んでいる現実を突きつける。
西川口の変貌は、都市の「負の遺産」が、別の視点やニーズを持つ人々にとっては「機会」となり得るという逆説を提示している。かつて日本人にとってネガティブなイメージであった「風俗街」という側面が、中国からの移住者にとっては障壁とならず、むしろ安価な住居や店舗を見つける上での利点となった。また、クルド人にとって西川口は、すでに同胞が暮らすネットワークが存在し、言葉や文化の壁を乗り越えやすい場所であった。
この街の歩みは、都市の景観や社会構造が、経済、法律、そして人々の移動という複数の力が交錯する中で、常に再構築されていく過程を具体的に示している。西川口は、過去の記憶と現在の多様な現実が混在し、未来に向けて新たな姿を模索し続ける、日本の都市が直面する現代的な課題を映し出す鏡のような存在である。その風景は、静かに、しかし確実に、社会の変化を語りかけてくる。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。