2026/6/12
出雲の玉造はなぜ勾玉と温泉の二つの顔を持つのか

出雲の玉造の歴史について詳しく教えて欲しい。
キュリオす
出雲の玉造は、弥生時代から勾玉の生産地として栄え、良質な碧玉と専門職人集団を擁した。一方、古代から「神の湯」として知られる温泉も湧き出し、二つの要素が重層的に地域の歴史と現代の観光資源を形成している。
勾玉と神代の湯が交わるまで
玉造の歴史は、遠く弥生時代にまで遡る。この地で勾玉の生産が始まったのは弥生時代後期からとされ、古墳時代から平安時代にかけて、その活動は最盛期を迎えた。地名の「玉造」そのものが、古代の玉作り、すなわち勾玉をはじめとする「玉」(装飾品や祭祀具)の生産に由来している。
玉作りの中心となったのは、温泉地の東に位置する花仙山(かせんざん)で採れる「出雲石」と呼ばれる良質な碧玉(へきぎょく)だった。この石は色が濃く、緻密で硬いという特徴を持ち、勾玉の製作に適していた。古代の人々は、この石を用いて勾玉や管玉(くだたま)、丸玉といった様々な「玉」を生み出した。これらの玉は単なる装飾品ではなく、首長の権威を示す財宝であり、魔除けや幸運を招く力を持つと信じられていた。特に、三種の神器の一つである「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」も、この玉造の地で造られたと伝えられている。
この地には、大和朝廷に属する専門職人集団である「玉作部(たまつくりべ)」が居住し、玉作りを担っていたとされる。彼らの存在は、『古語拾遺(こごしゅうい)』などの古典にも記されており、出雲国造(いずものくにのみやつこ)が朝廷に玉を献上する役割を担っていたことも、その重要性を物語る。
一方、玉造温泉もまた、古代からの歴史を持つ。奈良時代初期に編纂された『出雲国風土記』には、「ひとたび濯(すす)げば形容端正しく、再び浴すれば万病悉(ことごと)く除(のぞ)く」と記され、「神の湯」としてその効能が称えられている。少彦名命(すくなひこなのみこと)が発見したという神話も伝わるこの湯は、平安時代には都にまでその名が知れ渡り、清少納言の『枕草子』にもその名が登場するほどだった。
このように、玉造は古代から、神聖な宝玉を生み出す地であると同時に、人々の心身を癒す名湯の地として、その歴史を刻んできた。この二つの要素が、今日まで続く玉造の個性を作り上げたといえるだろう。
石と湯、そして人の営みの重層
玉造が勾玉の一大生産地となった背景には、まず地質的な条件が挙げられる。花仙山から産出される碧玉、特に「出雲石」は、その緻密さと硬度、そして磨くと際立つ光沢が、古代の人々にとって特別な魅力を放っていた。この良質な石材が安定的に供給されたことが、玉作りの技術と文化を根付かせ、発展させる基盤となった。玉作りの工房跡からは、未完成の玉や、砥石、鉄製のドリルなどの工具が多数出土しており、専門的な技術を持つ職人集団が組織的に生産を行っていたことが窺える。
次に、勾玉が持つ精神的・政治的な意味合いが、その生産を強く後押しした。勾玉は単なる装飾品ではなく、生命力や再生、あるいは権威の象徴とされ、祭祀や儀式において重要な役割を担っていた。出雲地方が持つ独自の神話や信仰体系と結びつき、その神秘性が人々の崇敬を集めた。出雲国造が朝廷に献上する「玉」は、地方と中央を結ぶ象徴的な存在でもあったのだ。
一方、玉造温泉の発展は、その卓越した泉質に負うところが大きい。花崗岩を貫いて噴出する高温の弱アルカリ性泉は、無色透明でメタケイ酸を多く含み、古くから「美肌の湯」として知られていた。『出雲国風土記』に記された「神の湯」という評価は、その効能が古代から広く認識されていたことを示している。
このように、玉造の歴史は、良質な天然資源(碧玉と温泉)、それを加工する卓越した技術、そしてそれらの資源に意味を見出す精神文化と政治的需要という、複数の要因が重なり合って形成されてきた。勾玉が持つ神秘性と、温泉がもたらす癒しという、異なる価値が共存し、互いにその地の魅力を高め合ってきたのだ。
勾玉を巡る他地域の様相
古代日本において、勾玉の生産地は玉造だけではなかった。例えば、新潟県の糸魚川地域は、良質な翡翠(ひすい)の産地として知られ、縄文時代から翡翠製の勾玉が作られてきた。糸魚川の翡翠勾玉が全国に流通した一方で、出雲の玉造は花仙山産の碧玉を主要な素材とし、「出雲型勾玉」と呼ばれる独自の様式を発展させた。これは、地域ごとに異なる地質資源を最大限に活用し、それぞれの文化圏で独自の玉作りが展開されたことを示している。
また、「玉造」という地名は、日本各地に存在する。例えば、大阪市中央区にも玉造という地名があるが、こちらも古代に玉作部が居住し、勾玉を製作していたことに由来する。しかし、大阪の玉造は、その後の歴史において大阪城の城下町として発展し、近代には砲兵工廠が置かれるなど、その様相を大きく変えていった。茨城県行方市(旧玉造町)にも玉造の地名があるが、やはり古代の玉作部との関連が指摘される。これらの例から見えてくるのは、「玉造」という地名が、古代の専門職人集団の存在を示す普遍的な証である一方で、その後の地域の発展は、それぞれの地理的、歴史的条件によって多様な経路を辿ったということだろう。
出雲の玉造が特異なのは、良質な玉材の産地であり続けただけでなく、古代から現代まで続く温泉の存在が、その地のアイデンティティを重層的に形成してきた点にある。他の玉作りの地が、時代の変遷とともにその主要な性格を変えていったのに対し、出雲の玉造は、古代の玉作りの記憶と、癒しの温泉という二つの核を保ち続けてきたのだ。
現代に息づく神話と湯の恵み
現代の玉造温泉は、山陰地方有数の温泉街として、国内外から多くの観光客を迎えている。玉湯川沿いには風情ある旅館が立ち並び、足湯や共同浴場、そして美肌効果を謳う泉質が、「日本最古の美肌温泉」として人気を集める。温泉街を散策すれば、至るところに勾玉をモチーフにしたデザインが見られ、古代の記憶が現代の風景に溶け込んでいる。
かつて、2000年代初頭には団体旅行から個人旅行への移行や経済状況の変化により、玉造温泉も衰退の危機に直面した。しかし、地域は「美肌・姫神の湯」という新たなコンセプトを打ち出し、地域ブランド化を推進することで再生を果たした。玉作湯神社(たまつくりゆじんじゃ)の「願い石」「叶い石」といったパワースポットの創出など、神話と温泉、勾玉の歴史を現代の観光資源として再構築する取り組みが成功を収めている。
玉作りの伝統もまた、形を変えながら現代に継承されている。平安時代に一度途絶えたとされる玉作りだが、江戸時代後期には「出雲めのう細工」として復活し、現在も勾玉は土産物として親しまれている。出雲玉作資料館では、古代の玉作りの歴史や技法が紹介され、その隣接する出雲玉作史跡公園には、工房跡の保存施設や復元家屋が整備されている。ここでは、古代人がいかにして石を加工し、勾玉を生み出したかを肌で感じることができる。
古代と現代を結ぶ見えない糸
出雲の玉造の歴史を辿ると、この地が持つ多層的な魅力が見えてくる。良質な碧玉が産出された地理的条件が、古代に玉作りという専門技術と文化を育んだ。その玉が、権威や神聖性を象徴する存在として、人々の精神生活の中心にあったこと。そして、そのすぐ傍らに湧き出た温泉が、「神の湯」として古くから人々の癒しと美への願いを叶えてきたこと。これら二つの要素が、単独で存在するのではなく、互いに影響し合いながら、この地の歴史を紡いできた。
現代の玉造が、観光地としての再興を果たすにあたり、単に新しいものを導入するのではなく、古代から受け継がれる「美肌」と「神話」という根源的な価値を再発見し、磨き上げたことは示唆に富む。それは、歴史が単なる過去の記録ではなく、現代を生きる人々にとっての、そして未来へと繋がる、かけがえのない資源であることを示している。玉造の地には、手触りのある石と、肌を潤す湯、そしてそれらを通じて古代から現代へと続く人々の願いが、見えない糸で結ばれているかのようだ。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。
参考
- 玉造の勾玉の歴史を紐解く - さんいんまなびsaninmanabi.com
- 出雲玉作資料館/松江市ホームページcity.matsue.lg.jp
- 島根県:出雲玉作跡(トップ / くらし / 文化・スポーツ / 文化財 / 島根の史跡 / 島根県内の主な史跡・資料館等)pref.shimane.lg.jp
- 玉造温泉furusato.sanin.jp
- 玉造温泉 | 島根半島・宍道湖中海ジオパーク Shimane Peninsula and Shinjiko Nakaumi Estuary Geoparkkunibiki-geopark.jp
- 旅の縁起物:JR西日本westjr.co.jp
- いしばし先生に聞く「日本の宝石鉱物」vol.11 | differencee(ディファレンシー)公式differencee-jewel.com
- 出雲石、碧玉、ジャスパー | 千葉の天然石ショップいしあたまではブログを運営していますishiatama1.com