2026/6/28
和歌山県すさみ町はなぜ「ケンケン鰹」を生み出したのか

和歌山のすさみについて詳しく知りたい。
キュリオす
和歌山県すさみ町は、黒潮の恵みとリアス式海岸という地形を活かし、「ケンケン漁」で獲れるカツオを「すさみケンケン鰹」としてブランド化。熊野古道大辺路の交差点としての歴史も持つこの町が、どのようにして独自の文化を築いてきたのかを探る。
枯木灘に面した小さな入り江
和歌山県西牟婁郡すさみ町。紀伊半島のほぼ南端に位置し、太平洋に面したこの町は、その名が示す通り、複雑な海岸線を持つ入り江の町だ。切り立った崖と荒々しい磯が続く海岸線は「枯木灘」と呼ばれ、その景観は雄大である。国道42号線を車で走ると、視界の左手には常に青い海が広がり、右手には深い山が迫る。この地形が、すさみを単なる通過点ではない、独特の場所として形作ってきた。
すさみという地名は、古くは「周参見」と書かれた。その由来は、海岸地形や入り江港に関係する古語に由来すると考えられている。「州(す)」は砂州や洲、海岸地形を指し、「さみ」あるいは「さみな」は入り江や浜、湾状地形を意味する。つまり、「砂州や入り江に囲まれた海岸地形の場所」という地形そのものを表す言葉が変化して「すさみ」になった、という説が有力だ。この地名が中世にはすでに成立していたという見方もある。リアス式の海岸線が続く熊野灘沿岸において、小さな入り江が船の避難港や寄港地として機能し、集落が形成されてきた歴史を物語っていると言えよう。
かつてこの地を訪れた人々は何を見て、何を感じたのだろうか。熊野古道「大辺路」の一部である長井坂を歩けば、その問いに対する一つの答えが見つかるかもしれない。木々の間から時折、枯木灘の青い海が広がり、遠く潮岬まで見渡せるその眺望は、古くから文人墨客に絶賛されてきたという。熊野詣の道として、あるいは海上交通の要衝として、この地が持つ自然の厳しさと同時に、恵みと美しさが、人々を惹きつけてきたのだろう。
熊野の道と港の変遷
すさみの歴史は、熊野古道の「大辺路」と密接に結びついている。大辺路は、田辺を起点とし、海岸線に沿って周参見(すさみ)、串本を経て熊野三山へと至る熊野詣の幹線道の一つであった。中辺路が山間部を通るのに対し、大辺路は海沿いを進むため、その道のりは時に厳しく、断崖と荒磯が続く枯木灘を越える険しい山越えの道が多くを占める。しかし、その分、海と山が織りなす雄大な景観は、他の熊野参詣道にはない魅力を持っていた。
大辺路街道がいつ頃から開通していたかを示す明確な記録はないが、皇室による熊野参詣の最初の記録は宇多法皇による延喜7年(西暦907年)とされる。この時、大辺路を通ったかどうかは定かではないものの、「熊野年代記」には天智天皇が667年に、天武天皇が683年にそれぞれ大辺路を通って熊野へ行幸したという記録も存在し、これらが史実として認められていないとしても、大辺路が古くから存在したことを示唆している。古くは修験者や西国巡礼の専門的な宗教者が利用する道であったが、江戸時代には信仰と観光を兼ねた人々の利用も増えていった。
周参見港は、江戸時代には熊野・枯木灘の荒海を越える浪速・江戸航路の中継地、あるいは避難港として栄えた。すさみ町立歴史民俗資料館には、航行の無事を祈願して周参見王子神社に奉納された当時の絵馬が50点以上も所蔵されており、当時の海上交通における周参見港の重要性を物語っている。これらの絵馬は、江戸末期から明治にかけて奉納されたもので、和歌山県指定文化財にもなっている。
明治時代に入ると、この地で「ケンケン漁」と呼ばれる伝統的なカツオ漁が盛んになり、すさみは全国有数のケンケン船の基地として知られるようになった。ケンケン漁は、引き縄釣り(トローリング)の一種で、一本釣りでカツオを釣り上げる漁法である。この漁法は、漁獲されたカツオの鮮度と品質の高さから、「すさみケンケン鰹」としてブランド化されるに至った。黒潮本流に近い地の利が、カツオ漁の発展に大きく寄与したと言えるだろう。
近代に入り、1955年(昭和30年)3月には周参見町、佐本村、大都河村が合併し、新しい「すさみ町」が発足した。その後、1959年(昭和34年)3月には江住村を編入合併し、現在のすさみ町の形が整えられた。この合併により、すさみ町は多様な地域資源を抱えることとなった。
豊かな海の恵みと地質の作用
すさみ町が持つ独特の魅力は、その地理的条件と、それによって育まれた産業や文化に深く根差している。特に、黒潮の恵みと複雑な海岸地形が、すさみを「海の町」として特徴づけている。
まず、すさみの沖合を流れる黒潮の存在は大きい。黒潮は、熱帯・亜熱帯の暖かい海水を運び、豊かな海洋生物をもたらす。すさみの漁業が古くから盛んであったのは、この黒潮に近い地の利を活かしてきたためだ。特に「ケンケン漁」によるカツオ漁は、すさみの代表的な産業の一つである。ケンケン漁は、船で疑似餌を引きながらカツオを誘い、一本ずつ釣り上げる漁法で、カツオの魚体を傷つけず、高鮮度を保つことができる。この漁法で獲れたカツオは「すさみケンケン鰹」としてブランド化され、市場でも高い評価を得ている。カツオ以外にも、イセエビやブリ、ヨコワなどが水揚げされ、地域の食文化を豊かにしている。
次に、すさみ町のリアス式海岸は、単に景観の美しさだけでなく、その形成過程において特筆すべき地質学的特徴を秘めている。この海岸線は「枯木灘」と呼ばれ、風が強く草木が育たないという語源を持つ一方で、多くの入り江や岩礁が点在し、多様な海洋生物の生息地となっている。南紀熊野ジオパークの一部でもあるすさみ町には、世界的にも貴重な地質遺産が点在する。例えば、「フェニックスの褶曲」は、かつての海溝に堆積した地層が、海洋プレートの沈み込みによって陸側に押し付けられ、折りたたまれるように曲がったものである。この地層は全体として上下が逆さまになっており、中学校の理科の教科書にも採用されるほど、地質学的に重要な場所として知られている。また、「夫婦波(めおとなみ)」が見られる黒島周辺は、紀伊半島の隆起と波の浸食によって形成された自然のパノラマであり、陸繋砂州(トンボロ)が形成されつつある場所でもある。このような複雑な地形は、磯釣りやスキューバダイビングといったマリンスポーツの適地としても注目されている。
さらに、すさみ町は、日本のレタス栽培発祥の地という意外な一面も持つ。温暖多雨な気候が蔬菜園芸に適しており、戦前からレタス栽培が行われてきた歴史がある。良質な「すさみレタス」は関西随一とされ、海岸段丘を中心にストックやカスミソウなどの花卉栽培も盛んである。海の恵みだけでなく、山の恵み、そして独特の気候条件が、すさみ町の多様な産業を支えていると言えるだろう。
これらの要素は、単独で存在するのではなく、互いに影響し合ってすさみ町の個性を形成してきた。黒潮が豊かな漁場をもたらし、リアス式海岸が漁港や多様な生態系を育み、温暖な気候が農業を支える。そして、古くからの熊野古道の存在が、人々の往来と文化交流を促してきた。
黒潮文化圏における漁業と陸路の交差
すさみ町の漁業は、黒潮の恵みを直接的に受ける「黒潮文化圏」の一部として捉えることができる。日本の太平洋沿岸に位置する多くの地域、特に紀伊半島から九州にかけての地域では、黒潮がもたらすカツオやマグロなどの回遊魚を対象とした漁業が古くから発展してきた。例えば、高知県の土佐清水や宮崎県の日南市なども、カツオの一本釣りで知られる地域である。これらの地域では、黒潮の流路や季節変動が漁獲量に直結するため、漁師たちは古くから海の状況を読み解く独自の知識と技術を培ってきた。
しかし、すさみ町の漁業には、他の黒潮文化圏の地域とは異なる特徴が見られる。それは、「ケンケン漁」という特定の漁法がブランド化され、地域経済の核となっている点だ。土佐清水などでも一本釣りは行われるが、「すさみケンケン鰹」のように地域名を冠したブランドとして確立されている事例は、全国的に見ても珍しい。これは、すさみ町の漁師たちが、限られた漁獲量の中でいかに高品質なカツオを提供するかという点に特化し、独自の価値を生み出してきた結果と言える。少人数での操業を基本とするケンケン漁は、一尾ごとの丁寧な扱いを可能にし、それが魚体の美しさや鮮度保持に繋がっている。
また、すさみは単なる漁業の町に留まらず、熊野古道の「大辺路」という陸路の要衝でもあった。これは、他の純粋な漁村とは異なる側面である。例えば、北海道の漁村や東北の漁港など、漁業が主要産業である地域は数多く存在するが、それらの多くは内陸との交通が限定的であったり、特定の物資の集積地として機能したりするに過ぎない場合が多い。対してすさみは、古くから熊野詣という宗教的な巡礼路と、浪速・江戸航路という商業的な海上交通路が交差する地点であった。これにより、漁業で得られた海産物が陸路や海路を通じて広範囲に流通し、外部の文化や情報が流入する機会も多かったと考えられる。
この陸路と海路の交差は、すさみの歴史民俗資料館に収蔵されている周参見王子神社の絵馬にも見て取れる。航海の安全を願う絵馬は、海上交通の重要性を示すと同時に、熊野信仰という陸の文化が海の民にも深く浸透していたことを示している。これは、海の恵みに依存しつつも、精神的な支柱を陸の信仰に求めた人々の姿を映し出していると言えよう。
さらに、すさみ町は日本におけるレタス栽培発祥の地という、一見すると海の町とは結びつきにくい農業の歴史も持つ。これは、温暖多雨な気候という自然条件と、進取の気性に富んだ人々の存在が重なった結果と見ることができる。多くの漁村が単一の産業に特化する傾向がある中で、すさみが漁業と農業、そして巡礼路という複数の要素を併せ持ち、それぞれを独自の形で発展させてきたことは、その地理的・歴史的背景の複雑さを示している。
これらの比較から見えてくるのは、すさみが単なる「漁村」や「宿場町」という枠に収まらない、多層的な性格を持つ地域であるという点だ。黒潮という普遍的な自然条件の中で、特定の漁法をブランド化する独自の戦略を採り、さらに陸と海の交流点としての役割を果たしてきたことが、すさみ独自の発展を促した要因と言えるだろう。
今、枯木灘に吹く風
現在のすさみ町は、豊かな自然と歴史的な背景を持ちながらも、他の多くの地方自治体と同様に、人口減少と高齢化という課題に直面している。2026年6月1日時点での推計人口は3,150人であり、2008年をピークに減少傾向が続いている。特に高齢化率は全国平均よりも高く、2020年時点では46.8%に達している。この人口構造の変化は、地域経済の縮小や地域活動の担い手不足といった問題を引き起こしている。
しかし、すさみ町はこうした状況に対し、手をこまねいているわけではない。地域の資源を活かした様々な取り組みが進められている。例えば、町の主要産業である漁業では、「すさみケンケン鰹」のブランド力を維持・向上させるための努力が続けられている。漁村マルシェの開催などを通じて、地元で獲れた新鮮な魚介類を町外にPRし、消費を喚起する試みも行われている。また、漁師の高齢化や後継者不足といった課題に対応するため、漁業体験の機会を提供したり、移住者向けの研修プログラムを実施したりすることで、新たな担い手の育成にも力を入れている。
観光面では、世界遺産にも登録されている熊野古道大辺路「長井坂」が重要な資源である。長井坂は、枯木灘の雄大な景色を望むことができる場所として、国内外からのハイカーを惹きつけている。また、すさみ町立エビとカニの水族館は、そのユニークな展示内容で多くの来館者を集めている。2015年に紀勢自動車道がすさみ南ICまで延伸されたことで、関西圏からのアクセスが格段に向上し、観光客の増加に繋がったという側面もある。道の駅すさみは、この自動車道の終点に位置し、地域の観光情報発信拠点として機能している。
さらに、すさみ町は「イノブータン王国」というユニークな町おこしを展開している。これは、町内で誕生したイノブタを町のシンボルとし、イベントや特産品開発を通じて地域の活性化を図る試みだ。毎年ゴールデンウィークには「イノブタダービー」が開催され、多くの観光客で賑わう。このような遊び心を取り入れた取り組みは、過疎化が進む地域において、住民の交流を促し、外部からの関心を引き寄せる上で重要な役割を果たしている。
また、移住・定住促進にも力を入れており、地域おこし協力隊の受け入れや、移住者と地域住民が交流できる場の提供など、きめ細やかな支援が行われている。大阪から移住し、町内でカレー店をオープンした姉妹の例のように、新たな視点やエネルギーが地域に吹き込まれることで、伝統的な産業や文化に新しい息吹がもたらされることもある。すさみ町観光案内所「FRONT110」は、かつての警察署をリノベーションして作られた施設で、観光案内だけでなく、移住相談や地域住民との交流の場としても機能している。
これらの取り組みは、すさみ町が直面する人口減少という大きな流れに対し、地域固有の資源を再認識し、多様な主体が連携して新たな価値を創造しようとする意志の表れと言えるだろう。
海と道の交差点が紡ぐもの
すさみという土地を深く見つめると、単なる「地方の小さな町」という括りには収まらない、複数の顔が見えてくる。それは、黒潮が育む豊かな海の恵み、熊野古道という歴史的な陸路、そして独自の地質が織りなす景観が、複雑に絡み合って形成されたものだ。
この町が示すのは、自然の条件が産業や文化の基盤となり、そこに歴史的な人の営みが加わることで、地域固有の個性がいかにして形作られるかという点である。黒潮という普遍的な自然現象が、すさみでは「ケンケン漁」という独自の漁法と「すさみケンケン鰹」というブランドに結実した。これは、単に魚が獲れるというだけでなく、その獲り方、そしてそれを価値として高める工夫が、地域の人々の手によって脈々と受け継がれてきた証左である。
また、熊野古道「大辺路」の存在は、すさみが古くから外部との交流の窓口であったことを示唆する。海路と陸路が交差する地点は、物資だけでなく、情報や文化、そして人々の信仰が行き交う場所でもあった。周参見王子神社の絵馬が物語るように、海の民が陸の信仰に安寧を求めたように、この地では異なる要素が融合し、独自の文化が育まれてきた。
過疎化と高齢化という現代的な課題に直面しながらも、すさみ町が地域固有の資源を再評価し、観光や産業振興、移住促進といった多角的なアプローチで未来を模索している姿は、多くの地方が抱える共通の問いへの、一つの具体的な回答を示している。それは、失われゆくものに目を向けるだけでなく、今あるものをいかにして新しい価値へと転換していくかという視点である。イノブータン王国のような遊び心溢れる試みも、地域の持つ可能性を広げようとする柔軟な発想から生まれている。
すさみが教えてくれるのは、土地の個性は単一の要因で決まるのではなく、海と山、自然と歴史、そしてそこに暮らす人々の選択が重なり合うことで、奥行きのある風景となって立ち現れる、ということだろう。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。