2026/6/2
茨城のさつまいもはなぜ美味しい?干し芋の歴史と土地の秘密

茨城は干し芋やいもけんぴも有名だ。さつまいもがよく獲れる理由は?いつから作ってる?
キュリオす
茨城がさつまいもの名産地となり、干し芋生産で全国の9割以上を占める理由を、関東ローム層の土壌や冬の乾燥した気候、江戸時代中期からの栽培の歴史、そして干し芋に特化した加工技術の変遷から辿る。
茨城の冬の畑に立つと、乾いた風が吹き抜ける。収穫を終えたばかりの土からは、どこか甘い香りが漂うようだ。この地は、干し芋の生産量で全国の9割以上を占め、さつまいもの名産地としても知られている。しかし、なぜ茨城でこれほどまでにさつまいもが育ち、それが干し芋という加工品として定着したのか。そして、その歴史はいつから始まったのだろうか。一見すると地味な作物に見えるさつまいもが、この土地で特別な地位を築いた背景には、自然の恵みと、人々の知恵、そして幾度かの転換点があった。
さつまいもが日本に伝来したのは17世紀初頭、中国から琉球を経由したとされる。その後、九州から本州へと伝播し、飢饉の際の救荒作物として各地で栽培が広がった。茨城県におけるさつまいもの本格的な栽培は、江戸時代中期に始まる。特に、享保の大飢饉(1732年)の経験を経て、幕府の政策として飢饉対策が強化される中で、甘藷(かんしょ、さつまいもの別名)の普及が図られた。この時期、蘭学者・農学者の青木昆陽が甘藷の試作・普及に尽力したことはよく知られているが、茨城でも水戸藩が甘藷の栽培を奨励し、領民の食料確保に貢献したという記録が残る。
しかし、茨城のさつまいもが単なる救荒作物から「干し芋」という特産品へと転換するのは、明治時代に入ってからである。太平洋戦争後、食糧難の時代には再び干し芋の需要が高まり、政府の奨励もあって生産量が急増した。特に、現在のひたちなか市周辺では、明治初期に静岡県から伝わった製法を元に、干し芋作りが本格化したと言われている。この地域では、冬場の農閑期に現金収入を得る手段として、さつまいもを加工する技術が農家によって磨かれていったのだ。当初は自家消費や近隣での販売が主だったが、鉄道網の発達と共に東京などの大消費地へと出荷されるようになり、茨城の干し芋は全国にその名を知られるようになった。
茨城県がさつまいもの一大産地となった背景には、いくつかの地理的・気候的条件が重なっている。まず、この地域に広く分布する関東ローム層の土壌が挙げられる。火山灰が堆積してできたこの土壌は、水はけが良く、適度な保水性も持つため、深く根を張るさつまいもの栽培に非常に適している。また、根菜類特有の甘みや風味を育む上で、土壌の質は重要な要素となる。
次に、気候条件も大きく影響している。茨城県は比較的温暖で日照時間が長く、さつまいもの生育に必要な十分な光合成を促す。特に、収穫期である秋口から冬にかけての寒暖差は、さつまいもがデンプンを糖に変える作用を促進し、甘みを蓄える上で有利に働く。さらに、干し芋の製造に不可欠なのが、冬場の乾燥した気候と強い北風(筑波おろし、赤城おろしなど)である。収穫されたさつまいもを蒸し、スライスして天日で乾燥させる工程は、湿度が高いとカビの原因となり、品質を損ねてしまう。茨城の冬は太平洋側気候の特徴として晴天が多く、湿度が低く、適度な風が吹くため、自然乾燥に適した環境が整っているのだ。この自然の力を最大限に活用することで、茨城の干し芋は独特の風味とねっとりとした食感を生み出している。
さつまいもの一大産地として知られる地域は、日本全国にいくつか存在する。例えば、鹿児島県や宮崎県といった九州地方は、さつまいもの栽培面積、収穫量ともに全国トップクラスを誇る。これらの地域では、焼酎の原料や加工食品、あるいは生食用としての出荷が中心となる。対して茨城県の場合、生食用としての出荷も多いものの、その最大の特色は、収穫されたさつまいもの多くが「干し芋」という加工品へと姿を変える点にある。
静岡県でも干し芋は作られているが、生産規模や歴史の深さにおいて茨城が圧倒的な存在感を示す。この違いは、単にさつまいもがよく育つという条件だけでなく、加工技術の確立と、それを支える地域全体の体制が整っているかどうかに起因する。茨城では、明治期に干し芋の製法が導入されて以降、品種改良から栽培方法、蒸し方、乾燥方法に至るまで、干し芋に特化した技術が世代を超えて受け継がれ、洗練されてきた。例えば、干し芋に適した品種として開発された「タマユタカ」や、近年主流となっている「べにはるか」などは、糖度が高く、蒸した際にねっとりとした食感を持つように改良されている。九州のさつまいも産業が焼酎やでんぷん加工といった一次加工に強みを持つ一方で、茨城は菓子としての二次加工品である干し芋に特化し、その品質を極めてきたという点で、特異な発展を遂げたと言えるだろう。
現在の茨城県におけるさつまいも、特に干し芋の生産は、伝統的な製法を守りつつも、新たな技術や品種の導入が進んでいる。ひたちなか市や東海村、那珂市などを中心とする県央地域は、今も干し芋生産の中心地であり、冬になると畑のあちこちに干し網が広がる風景が広がる。多くの農家が家族経営で長年培ってきた経験と勘を頼りに、さつまいもの選別から蒸し、スライス、乾燥、そして熟成までの一連の工程を手掛ける。天日干しによる自然乾燥は、機械乾燥では得られない独特の風味と食感を生み出すとされ、その工程は今も多くの生産者によって守られている。
一方で、安定した品質と供給を求める声に応えるため、乾燥機を併用したり、衛生管理を徹底した加工施設を導入したりする動きも見られる。また、品種改良も活発で、ねっとりとした食感が特徴の「べにはるか」や「シルクスイート」といった新品種が主流となり、消費者の嗜好の変化に対応している。干し芋の生産は、冬場の農閑期における貴重な現金収入源である一方、高齢化や後継者不足といった課題も抱えている。しかし、近年は「ほしいも」のブランド力向上や、若手農家のUターン・Iターンによる新規参入、観光資源としての活用なども進められており、単なる農産物の加工品に留まらない、地域の文化としての価値が見直されつつある。いもけんぴについては、茨城でも製造・販売はされているものの、干し芋ほどの圧倒的な知名度や生産規模には至っていないのが現状だ。
茨城県のさつまいも、そして干し芋の物語を辿ると、それは単に豊かな収穫量に終わる話ではないことが見えてくる。関東ローム層という土壌の条件、冬の乾燥した気候、そして救荒作物として導入されたさつまいもを、いかに美味しく、長く保存するかという人々の工夫。これらの要素が長い時間をかけて重なり合い、独自の加工技術と文化を育んできた。
他の地域がさつまいもを生食用や焼酎の原料として発展させてきたのに対し、茨城は「干し芋」という、手間暇のかかる、しかし付加価値の高い加工品に特化することで、その地位を確立した。それは、土地の条件を最大限に活かし、品種改良や加工技術を洗練させてきた結果であり、何気なく口にする干し芋の一切れには、この土地の自然と、そこに生きる人々の歴史が凝縮されているのだ。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。