2026/6/14
広島県からの入植者が「広島村」と名付けた北広島市、寒冷地稲作成功とボールパーク誘致の変遷

北海道の北広島ってどういうところ??
キュリオす
明治期に広島県からの入植者が開拓し「広島村」と名付けた北広島市。寒冷地での稲作成功やクラーク博士の言葉、そして現代のボールパーク誘致まで、その歴史と街の形成過程を辿る。
北の開拓地へ、広島からの道
北広島の歴史は、明治時代に広島県からの入植者たちがこの地を開拓したことに始まる。1884年(明治17年)、和田郁次郎をリーダーとする広島県人25戸103人が、野幌原野へと移り住んだ。彼らが故郷の名を冠して「広島村」と名付けたことが、現在の北広島市のルーツである。
この入植は決して容易なものではなかった。最初の冬は未曽有の大凶作に見舞われ、厳しい寒さの中で生活は困難を極めたという。しかし、彼らは互いに励まし合い、開拓に尽力した。和田郁次郎は農民たちに平等に土地を与え、その結果、移住者は次第に増加し、1893年(明治26年)には380戸1,200人余りの大きな集落へと成長した。この頃には米の生産量で北海道一を記録するまでになったという。
北広島の開拓史には、もう二人の重要な人物がいる。一人は「寒地稲作の父」と称される中山久蔵だ。彼は1871年(明治4年)に島松沢に入植し、当時不可能とされていた道南より北での米作りに挑戦した。川から引いた水の温度が低く作物が育たない中、暖水路を設けたり、風呂の湯を苗代に入れたりといった工夫と努力を重ね、1873年(明治6年)には「赤毛種」という寒さに強い品種の栽培に成功した。久蔵は改良した種もみを無償で分け与え、「中山の種」として石狩、空知、上川地方へと広がり、多くの農家を支えたという。
もう一人は、札幌農学校(現在の北海道大学)の初代教頭を務めたW.S.クラーク博士である。彼は1876年(明治9年)に北海道開拓使長官・黒田清隆に招かれて来日し、農業技術の向上に貢献した。そして、1877年(明治10年)に日本を離れる際、見送りの学生たちに残した「Boys, be ambitious(青年よ、大志を懐け)」という言葉は、現在の北広島市のカントリーサインにも採用されるほど、この地の精神として受け継がれている。クラーク博士がこの名言を残した舞台が、現在の北広島市島松であった。
これらの歴史を経て、広島村は1902年(明治35年)に二級町村制を施行し、1906年(明治39年)に一級町村となった。その後、1968年(昭和43年)に広島町、1996年(平成8年)に北広島市へと改称され、現在の姿を形成していった。特に1970年(昭和45年)以降は、道営北広島団地の開発をきっかけに人口が急増し、宅地開発が進むにつれて札幌のベッドタウンとしての性格を強めていくことになる.
開拓と交通が拓いた大地
北広島市が現在の姿を形成した背景には、地理的条件と計画的な開発が大きく影響している。まず、札幌市に隣接し、新千歳空港からも鉄道で約20分と、道内主要都市や空港へのアクセスが良いという立地が挙げられる。JR千歳線や道央自動車道、国道36号線、国道274号線といった交通網が整備され、札幌圏と北海道中部・東部を結ぶ交通の要衝となっている。この交通の利便性が、札幌のベッドタウンとしての発展を後押しした要因の一つだ.
次に、恵まれた地勢がある。北広島市は石狩平野の南部に位置し、南西部にある島松山(標高506メートル)を最高点に、北東方向へ標高100メートル前後のなだらかな台地が広がっている。この波状台地は、かつて鬱蒼とした大森林であったが、広島県からの入植者たちが農地として開墾した。地質は大部分が洪積層からなり、南西部の丘陵地帯では畑作や酪農、北東部の低地では水田を中心とした農業が展開されてきた。特に寒地稲作発祥の地として、北海道の米作りに貢献してきた歴史がある。
さらに、計画的な都市開発も街の形成に寄与した。1970年代以降の人口急増は、道営北広島団地の開発によるところが大きい。札幌への通勤・通学者が増える中で、住宅地の整備が進み、都市機能と豊かな自然がバランスよく共存する「ほどよく都会、ほどよく田舎」な環境が形成された。市内には森林や親水空間、公園が豊富にあり、エルフィンロードのような自転車歩行者専用道路も整備されている.
このような要素が重なり、北広島は単なる札幌の郊外都市に留まらず、独自の農業基盤と開拓の歴史を持つ街として発展してきた。交通の要衝としての機能、なだらかな丘陵地帯が提供する良好な農地、そして計画的な住宅地開発が、この街の骨格を形作ったと言えるだろう。
北海道に散らばる「故郷」と、北広島の独自性
北海道には、北広島市のように故郷の地名を冠した開拓地が数多く存在する。「山形」「福島」「岐阜」「香川」「鳥取」といった県名や、「越後」「信濃」「伊勢」などの旧国名を冠した地名がその例だ。これらは、明治期に郷里を同じくする人々が指導者を中心にまとまって移住し、互いに助け合って開拓に励んだ「団体移住」の証である。道庁もこのような団体移住を奨励し、様々な便宜を図ったため、入植地には出身地の言葉や風習が伝えられたという。
北広島市もまた、広島県からの団体移住によって生まれた「故郷を冠する街」の一つだが、その中でもいくつかの独自性が見て取れる。まず、その開拓が、寒冷地での稲作という困難な挑戦と結びついていた点である。中山久蔵による寒地稲作の成功は、当時の北海道の農業にとって画期的な出来事であり、北広島が単なる入植地ではなく、農業技術革新の拠点となったことを示している。これは、他の多くの開拓地が既存の農法を適用しようとしたのに対し、この地では新たな環境に適応するための模索が積極的に行われたことを意味する。
また、札幌という大都市の隣接地に位置しながら、農業と都市機能のバランスを保ってきた点も特筆される。札幌のベッドタウンとして人口が増加し、住宅地開発が進む一方で、市内には今も広大な農地が残り、都市近郊型農業が展開されている。これは、例えば札幌近郊の他のベッドタウンがより住宅地化に特化していったのとは異なる道筋である。北広島市は、農業の6次産業化を推進するなど、地域資源を活かした取り組みも行っている。
さらに、近年では「エスコンフィールドHOKKAIDO」という大規模なエンターテインメント施設を誘致し、街の新たな顔としている。これは、他の多くの開拓地が人口減少や高齢化といった課題に直面する中で、大規模な投資と都市機能の再編を通じて、新たな活路を見出そうとする試みと言える。球場を中心にホテルや温泉、商業施設が一体となった「北海道ボールパークFビレッジ」は、野球観戦の枠を超えた集客力を持つ。この複合的な発展は、開拓期の農業、その後のベッドタウン化、そして現代の観光・エンターテインメントという、異なる発展段階を段階的に重ねてきた北広島ならではの姿と言えるだろう。
ボールパークが描く現代の風景
現在の北広島市は、その歴史的な背景の上に、新たなランドマークである「北海道ボールパークFビレッジ」が加わり、大きく変貌を遂げている。2023年3月に開業したエスコンフィールドHOKKAIDOは、北海道日本ハムファイターズの本拠地として、年間400万人を超える来場者を集める北海道有数の観光スポットとなった。JR北広島駅周辺は、このボールパークの開業に伴い急速な発展を見せ、新しい住居や公共施設の整備が進んでいる.
しかし、この華やかな変化の裏には、現代都市が抱える課題も垣間見える。ボールパークの誘致は、定住人口の増加を大きな目的の一つとしていたが、開業後も北広島市の人口は減少傾向にあるという指摘もある。2025年1月1日時点の住民基本台帳に基づく人口は55,966人で、前年から512人減少し、18年連続の減少となっている。これは、周辺の南幌町が人口増加に転じているのと対照的だとする見方もある。ボールパークへの巨額な投資が、必ずしも直接的な人口増に繋がっていない現状は、地方創生における大規模開発の難しさを示唆しているのかもしれない。
一方で、ボールパークは地域経済に大きな影響を与えている。三菱UFJリサーチ&コンサルティングの試算によれば、Fビレッジが北広島市にもたらす経済効果は年間500億円を超え、周辺の地価上昇は150%以上とも報じられている。球場内には約40店の飲食店が軒を連ね、世界で初めて球場内でクラフトビールが醸造されるなど、多様なエンターテインメントを提供している。野球観戦にとどまらない体験を提供するFビビレッジは、北広島市を「スポーツとレジャーのまち」として再定義しつつあると言えるだろう。
また、北広島市は「食と農のふれあいファーム くるるの杜」のような施設を通じて、地元の新鮮な野菜や北海道の食材を発信する取り組みも継続している。いちご狩りができる農園も複数あり、農業体験ができる機会も提供されている。このように、現代の北広島市は、大規模なエンターテインメント施設と、歴史に培われた農業の両輪で、その魅力を発信しようとしているのだ。
名に刻まれた故郷と未来の景色
北海道の北広島市を巡る旅は、「北広島」という地名が単なる地理的な呼称ではなく、故郷を遠く離れた人々が新たな大地に希望を託した、確かな足跡であることを教えてくれる。札幌の隣に位置するこの街は、交通の利便性と豊かな自然に恵まれながらも、その発展の礎には、広島県からの開拓者たちが寒冷地稲作という困難な課題に挑み、成功を収めた歴史がある。クラーク博士の「Boys, be ambitious」という言葉が今も街のシンボルとなっているのは、単なる名言の引用に留まらず、開拓期から続く挑戦の精神がこの地に息づいているからだろう。
現代において、エスコンフィールドHOKKAIDOの開業は、北広島市に新たな光を当てた。このボールパークは、単なる野球場ではなく、地域全体の賑わいを創出する複合施設として、多くの人々を惹きつけている。しかし、その一方で、人口減少という現代的な課題に直面しながら、大規模開発の恩恵をいかに地域全体に波及させるかという問いも投げかけている。
北広島市は、開拓期に故郷の名を冠した「広島村」から始まり、農業の発展、札幌のベッドタウンとしての成長、そして現代のボールパークを中心とした都市再編へと、その姿を変え続けてきた。その変遷の中には、常に「新しい価値の創造」への挑戦が見て取れる。この街がこれからも「北の広島」として、その名に込められた故郷への思いと、未来への大志をどのように結びつけていくのか、その動向は、多くの地方都市にとっての示唆を含んでいるだろう。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。
参考
- 北広島市とは 移住前に知っておきたい基礎知識(支援情報・環境など)itchao.jp
- 北海道北広島市の魅力 | The Ambitious City 大志をいだくまち 北広島市 ‐ 北広島市に住みたくなるWEBサイトcity.kitahiroshima.hokkaido.jp
- ボールパークだけじゃない!北海道でいま注目のエリア・北広島の最新スポットガイド 【楽天トラベル】travel.rakuten.co.jp
- Fビレッジから感じた地域の隆盛 - みらい経営者ONLINEmiraic.jp
- 北広島市の由来と歴史を解説!周辺観光やグルメスポットも紹介 | コラム | HOKKAIDO BALLPARK F VILLAGE | 北海道ボールパークFビレッジhkdballpark.com
- 北広島の歴史 | 一般社団法人 北海道きたひろ観光協会kitahirotourism.org
- 北広島市の産業・歴史・特産品情報|PREZO(プレゾ) - 北海道のお取り寄せグルメと産直通販prezo.jp
- youtube.com