2026/6/11
神様はいくらで酒を買う?川辺町の無言劇「酒買いの儀式」

川辺町の酒買いの儀式について教えて欲しい。
キュリオす
岐阜県川辺町では、春の祭礼で神の使い「沛王」が酒屋に御神酒を買いに行く「酒買いの儀式」が行われる。江戸時代から続くこの儀式は、言葉を交わさず十二文を巡るパントマイムで演じられ、豊穣への願いが込められている。
岐阜県の中央部、飛騨川が南北に流れる加茂郡川辺町。山と川に囲まれたこの地で、毎年春の祭礼の早朝、ひっそりと、しかし確かな存在感をもって行われる儀式がある。それが「酒買いの儀式」だ。町の氏神である太部古天神社の祭礼の一環として、神の使いとされる「沛王(はいおう)」が酒屋へと御神酒を買いに現れる。なぜ神が自ら酒を「買い」に来るのか。そして、その取引がなぜ、言葉を交わさぬ「パントマイム」で行われるのか。現地でその一部始終を目の当たりにすれば、単なる珍奇な行事では片付けられない、土地の記憶と人々の願いがそこには宿っていることがわかるだろう。
川辺町の「酒買いの儀式」は、江戸時代から続く伝統を持つ。この儀式は、飛騨路と美濃路を結ぶ交通の要衝として栄えた川辺町が、かつて木材の集散地であった歴史とも無縁ではない。古くは飛騨川を利用して木曽ヒノキなどの木材が運ばれ、多くの人々が行き交う場所であったのだ。この地域の氏神である太部古天神社の祭礼に組み込まれてきた「酒買いの儀式」は、元禄年間(1688年~1704年)にはすでにその原型があったとも言われているが、現在の形になったのは江戸時代中期以降だとされる。
儀式の起源については諸説あるが、旗本大嶋氏が大阪から伝えたという説が有力視されている。 大阪の商業文化が、遠く離れた山間の地にもたらされ、それが地元の信仰と結びついて独自の発展を遂げたという見方もできるだろう。特に、神の使いである「沛王」の面は、左甚五郎の作と伝えられる国の重要文化財とされており、その歴史的な重みが儀式に深みを与えている。 漢の高祖の別名とされる「沛王」が、神の使者として現れるという設定は、当時の人々の信仰心と、物語性への欲求が融合した結果なのかもしれない。そして、この儀式が単なる神事にとどまらず、ユーモラスなパントマイムとして演じられるようになった背景には、人々の暮らしの中に息づく芸能の要素があったと考えられる。 神事と民俗芸能が一体となり、地域の人々の娯楽としても機能してきたのだ。
毎年4月の第2土曜日・日曜日に開催される太部古天神社の春の祭礼。 その本楽の日、つまり日曜日の早朝6時頃、川辺町の町はずれにある造り酒屋「白扇酒造」に、祭りの始まりを告げるかのように沛王が現れる。 沛王は、漢の高祖の別名とされるその名の通り、力強くもどこか飄々とした面を被り、三升徳利を下げ、お供の獅子を従えている。
店に入った沛王は、寛永通貨十二文を差し出し、身振り手振りで酒を要求する。これに対し、酒屋の当主もまた言葉を発さず、パントマイムで応じるのだ。当主はまず、一文足りないと言って酒を売るのを渋る。沛王はそんなはずはないと主張し、獅子に相談するそぶりを見せ、再び勘定を促す。すると当主は「ああ、ございました」と一文が見つかったかのように振る舞い、酒を売ることを承諾する。
しかし、これで終わりではない。当主が酒壺から徳利に酒を注ぐ際、わざと八分目ほどまでしか入れない。沛王は徳利の口に指を入れ、指が濡れないことを確認すると、「まだ八分目ではないか、もっと入れろ」と不満を示す。当主は仕方ないといった様子で、栓をする分を残すという口実で満杯になるまで酒を注ぐ。ようやく指が濡れるほどになった酒を手に入れた沛王は、満足げに徳利を頭上にかざし、大見得を切って店を後にするのだ。 この一連のやり取りはすべて無言のパントマイムで行われ、そのユーモラスな掛け合いは見る者の笑いを誘う。 この儀式の根底には、米が日本人にとって「命の泉」であり、酒屋にとっても同様であるという認識がある。 豊作を願う春祭りの一環として、酒と米への感謝を、このような形で表現しているのである。
「酒買いの儀式」のように、特定の品物を「買う」という行為を儀式化した例は、日本各地に散見される。例えば、岩手県盛岡市材木町には「酒買地蔵尊例大祭」がある。 これは「毎晩のように酒屋に通ってくる小僧さんが、実は地蔵菩薩の化身だった」という言い伝えに基づいている。 小僧に酒を売っていた酒屋の番頭が、ある晩、小僧の頭を木槌で叩いてしまい、後に地蔵の眉間に傷があるのを見つけ、その正体を知るという物語だ。この祭りでは、商売繁盛の地蔵尊として信仰され、毎年7月の最終土曜日に祭礼が行われる。
盛岡の酒買地蔵尊と川辺の酒買いの儀式は、ともに「酒を買う」という行為が中心にあり、地域に根ざした信仰と結びついている点で共通する。しかし、その背景には明確な違いがある。盛岡の例が、地蔵菩薩という仏教的な存在が酒を求める物語であり、商売繁盛を願うという側面が強いのに対し、川辺の儀式は、太部古天神社の祭礼に登場する「沛王」という神の使者が、豊作を願って御神酒を調達するという神道的な色彩が濃い。 また、盛岡の儀式が地蔵尊への信仰に基づく静的なものであるのに対し、川辺の儀式は、当主と沛王、獅子による掛け合いが演劇的な要素を強く持ち、ユーモラスなパントマイムとして展開される点が特徴的だ。
日本には、冠婚葬祭のような通過儀礼において、古い状態を断ち切り新しい世界へと変身するセレモニーの際に酒が飲まれる「待ち酒」の文化も存在する。 これは、特別な時に造られた「生酒」を皆で分かち合うという共同体の意識が強い。一方、川辺の酒買いの儀式は、神の使者が共同体の代表として酒を「買い」、その過程を演劇的に見せることで、豊穣への願いと共同体の結束を再確認する役割を担っていると言えるだろう。単なる「購入」ではなく、その行為自体が持つ象徴性と、それに付随するユーモアが、この儀式を他の酒にまつわる習俗から際立たせているのだ。
岐阜県川辺町は、人口1万人ほどの小さな町だが、その歴史と文化は深く、この「酒買いの儀式」もその一部として今に受け継がれている。 儀式を担う白扇酒造は、明治32年(1899年)から清酒の醸造を始め、みりん製造も手がける老舗の酒蔵である。 儀式が行われる日曜の早朝は、多くの観光客が訪れる時間ではないが、地元住民や一部の愛好家にとっては、春の訪れを告げる重要な行事として認識されている。
近年、全国的に地方の伝統行事では、担い手の高齢化や人口減少、若者の地域行事への関心の低下といった課題が指摘されている。しかし、川辺町の「酒買いの儀式」は、白扇酒造と太部古天神社が共同で豊作を願う春祭りとして継続している。 川辺町は、かつての木材集散地としての歴史に加えて、現在は飛騨川の豊かな水資源を活かしたボート競技が盛んで、「ボート王国かわべ」として地域振興を図るなど、新たな魅力を発信している町でもある。 このような現代の町の姿の中で、江戸時代から続く「酒買いの儀式」が、変わらぬ形で受け継がれていることは、単なる伝統の維持に留まらない、地域の人々の文化への愛着と、それを支える酒蔵の存在が大きいと言えるだろう。
川辺町の「酒買いの儀式」は、一見すると滑稽なパントマイムに映るかもしれない。しかし、その無言のやり取りの中に、この土地が長きにわたって育んできた知恵と、共同体の関係性が見えてくる。神の使いである沛王と、地元の酒屋の当主との間で繰り広げられる十二文を巡る駆け引き、そして酒の量を巡る攻防は、単なる芝居ではない。それは、豊作への願いと、その年の恵みを分かち合う共同体における、目に見えない「交渉」の象徴なのである。
酒という、米の恵みから生まれる特別な産品を、神が「買う」という形をとることで、人々は豊穣への感謝と、次なる豊かさへの期待を込める。当主が一度は渋り、沛王が指で酒の量を確認するといった細かな演出は、収穫の喜びを分かち合う際の、現実的な厳しさと、それでもなお満たされることへの期待感を、ユーモラスに表現しているのではないか。言葉ではなく身振り手振りで紡がれる対話は、時に言葉以上に雄弁に、人々と神、そして人々同士の間の、見えない絆を再確認させる。この儀式は、現代において忘れられがちな、自然の恵みと、それを受け取る人間の謙虚さ、そして共同体でそれを分かち合うことの尊さを、静かに、しかし確かに伝えているのだ。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。