2026/6/4
松戸の「MAD CITY」は誰が、なぜ始めた?

松戸のMAD CITYって一体なんなのか?誰が言い出した?
キュリオす
松戸の「MAD CITY」プロジェクトは、寺井元一氏が空き家を活用し、クリエイターが集まるまちを目指して2011年に開始。名称は松戸を逆さにした響きや、住民の自虐的な呼称に由来。不動産、コミュニティ、アートを核に、地域に根差したまちづくりを進めている。
「MAD CITY」の歴史は、株式会社まちづクリエイティブ代表の寺井元一氏の構想から始まる。彼は学生時代にNPO法人「KOMPOSITION」を立ち上げ、ストリートバスケの大会「ALLDAY」や、合法的にグラフィティを描ける壁「リーガルウォール」といったプロジェクトを通じて、都市空間における表現活動の場を模索してきた人物である。しかし、イベント運営が中心となる活動の中で、寺井氏はより地域に根ざした「まちづくり」への関心を深めていったという。
2010年5月、寺井氏は株式会社まちづクリエイティブを設立。その翌年、2011年1月には松戸駅前で「MAD City」プロジェクトを開始した。 当時の松戸駅周辺は、バブル崩壊後の再開発が停滞し、多くの空き家や空きビルが点在する状態だった。都心の家賃高騰に苦しむ若手クリエイターにとって、東京へのアクセスが良い松戸は、新たな活動拠点となる可能性を秘めていたのである。 寺井氏は、こうした地域の課題と、クリエイティブな活動を求める人々のニーズを結びつけることで、まちに新しい価値を生み出すことを目指した。プロジェクトは、松戸市が2009年から進めていた「松戸アートラインプロジェクト」とも連動し、地域の文化芸術振興の機運とも重なっていった。
「MAD City」という名称は、松戸という地名を逆さにした「ドツマ」の響きから生まれたという説と、一部の住民が自虐的に松戸を「マッド」と呼んでいたことに着想を得て、「ばかげている、熱狂している」といった英語の「mad」の意味を重ね合わせたものだ。 この言葉には、既存の枠にとらわれない、常識を打ち破るようなまちづくりへの意気込みが込められている。寺井氏らは、大規模な再開発ではなく、「人」の力でまちを変えるという、ある意味で「マッド」なアプローチを選んだのである。
MAD CITYの活動は多岐にわたるが、その核となるのは「不動産」「コミュニティ」「アート」の三つの要素が有機的に結びついている点にある。プロジェクトの主要な柱の一つが、空き家や空き店舗をクリエイター向けに転貸する「MAD City不動産」だ。 一般の不動産市場では扱われにくい、古民家やガレージなど、入居者が自由に改装できる物件を積極的に発掘し、提供している。これにより、東京では高額で手に入りにくいアトリエやSOHOスペースを、松戸で確保することが可能になった。
次に重要なのが、創造的なコミュニティの形成である。MAD CITYは、JR松戸駅西口を中心とした半径500メートル圏内をコアエリアと定めている。この「半径500メートル」という距離は、コンビニエンスストアの商圏とほぼ同じであり、住民がサンダル履きで出かけられるような日常的な行動範囲を意識したものだという。 この狭いエリアにクリエイターが集住することで、自然な交流が生まれ、互いの活動を刺激し合う関係性が築かれる。新旧住民の交流をサポートする「コミュニティデザイン」の取り組みも行われ、地域に根差した活動が促されている。
そして、アートプロジェクトの推進も欠かせない要素だ。その象徴が、国際的なアーティスト・イン・レジデンス「PARADISE AIR(パラダイスエア)」である。 これは、松戸駅前の旧ホテル上層階、かつてパチンコホール「楽園」の上に位置する場所に2013年に開設された。 江戸時代、水戸街道の宿場町として栄えた松戸では、旅の途中の文人画人が宿泊代の代わりに作品を残していったという歴史がある。 この「一宿一芸」のコンセプトに着想を得て、PARADISE AIRは国内外のアーティストが滞在制作を行い、地域住民との交流を通じて松戸の文化を多層的にアップデートする拠点となっているのだ。
これらの活動は、単なる点としての施策ではなく、空き家活用、クリエイター誘致、コミュニティ形成、文化芸術振興が相互に作用し、シナジーを生むプロセスとして実践されている。 まちづクリエイティブは、これらの異なる分野を横断的に運営することで、従来のまちづくりにはなかった包括的なアプローチを試みていると言えるだろう。
MAD CITYのような民間主導によるまちづくりは、日本各地で見られる地域活性化の試みの中でも、いくつかの点で特異な位置を占めている。一般的な地域活性化策が、行政主導の大規模なハコモノ整備や、観光客誘致を目的としたイベント開催に傾倒しがちなのに対し、MAD CITYは「人」を核に据え、内側からの変革を目指す。
例えば、全国的に見られるアーティスト・イン・レジデンス(AIR)の多くは、公立美術館や文化施設が運営主体となるか、あるいは自治体が財政支援を行う形で実施されることが多い。松戸市自体も「松戸アートラインプロジェクト」や「アートパーク」といった文化芸術振興の取り組みを行っているが、PARADISE AIRは、民間企業であるまちづクリエイティブと一般社団法人PAIRが協働運営し、元ラブホテルというユニークな場所を拠点としている点が特徴的だ。 その運営には、パチンコホールを運営する企業がビルオーナーとして協力するなど、異業種連携の側面も強い。 これは、行政の枠組みや一般的な文化支援のロジックだけでは生まれにくい、ある種の柔軟性と多様性を生み出している。
また、空き家問題へのアプローチも対照的だ。多くの自治体では空き家バンク制度や解体補助金などで対応するが、MAD CITYは空き家を単なる負の遺産と捉えず、クリエイターが自由に手を加えることのできる「素材」として積極的に活用する。 「サブリース」という手法でリスクをとり、DIYリノベーションを許容することで、画一的な集合住宅では得られない、個性的で創造的な住まいと仕事場を提供しているのだ。 このように、既存の制度や慣習にとらわれず、民間ならではの視点とスピード感で、不動産、コミュニティ、アートを統合的に扱う点が、MAD CITYを他の地域活性化プロジェクトと一線を画す要因となっている。
2010年代初頭に始まったMAD CITYプロジェクトは、今日、松戸駅周辺に確かな足跡を残している。プロジェクト開始以来、80件以上の空き家や空き店舗の利活用を成立させ、のべ200人以上のクリエイティブ層やDEWKS(共働きで子供のいない夫婦)の移住・定住、事務所移転を実現させてきた。 かつてはシャッターが目立った商店街の一角に、ギャラリーやアトリエ、カフェなどが点在し、街の風景に彩りを加えている。MAD City Galleryのように、元洋品店をDIYで改装したスペースも、その活動拠点の一つだ。
PARADISE AIRは、年間50人近い国内外のアーティストを受け入れる国際的なレジデンスへと成長し、公募時には300倍以上の倍率となることもあるという。 滞在アーティストたちは作品制作だけでなく、地域住民へのインタビューやワークショップを通じて、松戸の日常に新しい視点をもたらしている。 最近では、美術家による都市観察プロジェクト「日日(にちにち)」がMAD CITYのInstagramアカウントで展開されるなど、アーティストの視点を通じたまちの魅力発信も継続されている。
まちづクリエイティブの活動は、クリエイターの誘致にとどまらず、近年では居住支援法人であるNPO法人KOMPOSITIONと連携し、生活困窮者への住居提供や生活支援にまで及んでいる。 これは、クリエイターの中には経済的に不安定な者も多く、住まいと生活の安定が創造活動の基盤となるという現実を踏まえたものだろう。空き家を活用し、単に部屋を貸すだけでなく、入居後の生活困難者への行政や他団体との連携支援を行うことで、より持続可能なコミュニティ形成を目指している。 MAD CITYは、単なるアートの街ではなく、創造性を軸に据えつつ、社会的な包摂性をも探求する場へと進化を続けているのだ。
松戸のMAD CITYが問いかけるのは、都市の価値やまちづくりの主体はどこにあるのか、という根源的な問いである。一見すると「ばかげている」とさえ思えるような名称や、民間が空き家を買い取り、アーティストに自由に改装させるという手法は、既存の都市計画や不動産ビジネスの常識からは外れている。しかし、この「マッドネス」こそが、画一化されがちな都市空間に、個々の主体性と創造性を取り戻すための原動力となっているのではないだろうか。
MAD CITYは、特定の「答え」を示すというよりも、多様な人々がそれぞれの「問い」を持ち込み、協働しながらまちの未来を編集していくプロセスそのものを提示している。それは、かつて宿場町として旅人が行き交い、多様な文化が交錯した松戸の歴史とも無縁ではない。 「MAD CITY」という言葉の裏には、個人の熱狂が重なり合うことで、都市の新しい輪郭が静かに、しかし確実に形作られていく様が映し出されている。この地を訪れる者は、その名の持つ挑発的な響きの中に、都市が持つ未開の可能性と、それを引き出そうとする人々の静かな熱意を見出すことになるだろう。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。