2026/6/7
桝田酒造店が岩瀬の街並みを「食とクラフト」の拠点へ変えた道のり

岩瀬は桝田酒造が中心となっていい感じの街並みにしていると聞く。桝田酒造の歴史とともに教えて欲しい。
キュリオす
富山市岩瀬の歴史的街並みは、廻船問屋の繁栄と衰退を経て、桝田酒造店5代目当主の主導で再生した。古い建物を購入・改修し、飲食店やアトリエなどを誘致。「食とクラフトの街」として新たな魅力を生み出している。
富山市の北部に位置する岩瀬は、古くは室町時代に「越中岩瀬湊」として記録に登場する港町である。江戸時代から明治初期にかけて、日本海を行き交う「北前船」の寄港地として大いに栄えた。富山からは米が積み出され、北海道からは昆布やニシンなどの海産物が運び込まれたという。交易で巨万の富を築いた廻船問屋が軒を連ね、「東岩瀬廻船問屋型町家」と呼ばれる独特の建築様式が形成された。その豪壮な造りは、当時の繁栄を今に伝えている。
しかし、明治6年(1873年)の大火で多くの家屋が焼失した。当時の廻船問屋の財力によって京都から腕利きの職人を招き、木造建築の粋を集めて再建されたが、明治後期には電信や鉄道の普及により北前船の時代は終焉を迎える。 港の重要性は富山市の工業化と共に増したものの、戦後のモータリゼーションの進展は陸上運送の時代を呼び込み、廻船問屋の衰退は避けられなかった。高度経済成長期を経て、産業構造の変化や工場の閉鎖が相次ぎ、歴史的な街並みは徐々にその風情を失っていったのである。
桝田酒造店の歴史も、この岩瀬の地の変遷と深く結びついている。創業は明治26年(1893年)、初代の桝田兵三郎が北海道旭川で酒造業を興したことに始まる。 しかし、旭川の極寒の気候に妻フデが故郷岩瀬への帰郷を強く望んだため、明治38年(1905年)に岩瀬の地へと戻り、再び酒造りを始めた。 当初は「岩泉」の銘柄で酒を醸していたが、昭和の初め頃、港町の芸者衆にも喜ばれるようにと、苗字の桝田にちなんで「満寿泉」と名付けた酒が大当たりし、これが主力ブランドとなった。 昭和40年代半ばには、4代目当主の桝田敬次郎がまだ一般には認知されていなかった吟醸酒造りにいち早く注力し、「吟醸の満寿泉」としてその名を確立していく。 蔵は、北アルプス立山連峰を源とする清冽な伏流水を仕込み水とし、廻船問屋の重厚な町家が連なる東岩瀬の街並みのなかに位置している。
衰退しつつあった岩瀬の街並みに再び活気をもたらしたのは、5代目当主の桝田隆一郎氏が主導した「まちづくり」の動きである。彼は2004年に「岩瀬まちづくり株式会社」を設立し、歴史的な建物を生かした再生プロジェクトを本格化させた。 その活動は、1998年頃に元材木商の建物を購入し、蕎麦屋として再生したことから始まったという。
桝田氏の取り組みは、単なる建物の保存にとどまらない。彼は、売りに出されたり、取り壊しが予定されたりしていた古い土蔵や町家を次々と購入し、それらを現代のニーズに合わせた機能を持つ空間へとリノベーションしていった。例えば、陶芸家や木彫刻家のアトリエ、ギャラリー、フレンチやイタリアン、寿司といった多様なジャンルのレストラン、クラフトビール醸造所、そしてワインセラーを併設した酒商などが、歴史的建造物の中に息づくようになったのである。 この過程で、彼は全国から才能あるアーティストや料理人を岩瀬へと誘致し、「食とクラフトの街」としての新たな岩瀬の魅力を創出していった。
桝田氏のまちづくりに対する考え方は、「大それたことではない」という。彼は、自分や家族、社員とその家族が幸せに暮らす環境を整えることを重視し、そこで造られる酒を多くの人に楽しんでもらいたいと語る。 美しい環境の中で暮らすことが、人々の感性を育み、豊かな文化を醸成するという信念が根底にある。 また、富山市もこの動きを支援し、電線の地中化工事や街路の修景整備といったインフラ整備を進め、歴史的街並みと調和した景観形成を後押しした。 桝田氏は、強制的な規制ではなく、成功事例を積み重ねることで住民が自発的に街並み保全に参加するような、緩やかなアプローチを採っている。
地方の歴史的な街並み再生は、日本各地で喫緊の課題となっている。多くの地域が少子高齢化や人口減少、産業の衰退といった共通の問題に直面し、歴史的建造物の老朽化や現代的な改築による景観の喪失が進んでいるのが現状だ。 その中で、岩瀬の取り組みは特異な光を放っている。
一般的な歴史的街並み保存が、建造物を「展示物」として厳格に保存し、観光客を呼び込むことに主眼を置くのに対し、岩瀬の再生は「使いながら保存する」という姿勢が際立つ。 桝田酒造店が主導するこの動きは、単に建物を修復するだけでなく、そこに新たな機能と活気ある「営み」を吹き込むことで、街そのものを現代に生きる場として再定義している。これは、行政主導の補助金制度や景観条例による整備とは異なる、民間企業が先導し、外部の人材を積極的に巻き込みながら、地域経済と文化を一体的に活性化させるモデルと言えるだろう。
桝田氏自身がスペインのサン・セバスチャンを引き合いに出し、歴史的遺産が特段多いわけではない港町が、食文化を核に世界的な観光地へと変貌を遂げた事例に触れているのは示唆に富む。 岩瀬もまた、単なる「古い街並み」ではなく、「食とクラフト」という現代的な価値を付加することで、国内外の注目を集めるに至った。これは、歴史的資源を静的に保存するだけでなく、現代のライフスタイルやニーズに応じた新しい価値を創造し、能動的に未来を「醸し出す」視点の重要性を示している。
現在の岩瀬は、国内外の食通やクリエイターが訪れる「食とクラフトの街」として知られるようになった。 大町通りを中心に、かつての廻船問屋や土蔵が、ミシュランガイドに掲載されるようなハイレベルな飲食店、こだわりの酒商、ガラス工房、陶芸家のギャラリーなどとして機能している。 これらの施設は単なる観光施設ではなく、実際に人々が働き、創造し、生活する場として息づいているのだ。
桝田酒造店も、その中心で「満寿泉」の酒造りを続けながら、直営の有料試飲施設「沙石(させき)」を運営している。 ここでは、定番の純米大吟醸から、貴醸酒、さらにはウイスキーのオーク樽で熟成させた日本酒といった革新的な試みまで、多様な「満寿泉」を味わうことができる。 訪れる人々は、歴史的な街並みを散策し、職人の手仕事に触れ、そして富山湾の海の幸と「満寿泉」を堪能するという、複合的な体験を享受している。
富山ライトレールが富山駅中心部と岩瀬を結び、交通の利便性が向上したことも、この街の活性化に貢献している。 しかし、桝田氏は現在の岩瀬の完成度を「まだ5%くらい」と語り、さらなる進化を見据えている。 地域に根ざした老舗が、自身の事業の枠を超えて街全体の未来を描き、その実現に向けて手を動かし続ける姿が、岩瀬の街並みに独特の奥行きを与えている。
富山の岩瀬が示すのは、歴史的な街並みの再生が、単に過去の姿を再現するだけではなしえないという事実である。そこには、特定の個人、この場合は桝田酒造店の5代目当主が抱いた「自分たちの地域をより良くしたい」という具体的な動機と、それを実現するための継続的な行動があった。衰退していく建物を一つ一つ購入し、新たな使い道を考え、そこに人を呼び込むという、地道なプロセスが積み重ねられた結果、今の岩瀬が形成されたのだ。
この街並みは、廻船問屋が築いた富の記憶を留めつつも、現代の「食」と「クラフト」という新しい文化を柔軟に受け入れ、未来に向けて変化し続ける生命力を宿している。それは、外から与えられた計画や補助金だけでなく、地域に根ざした主体が、自らの手で文化を「醸し出す」ことによって、街の価値を再構築できる可能性を静かに示している。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。