2026/5/28
伊東で金目鯛が豊漁なのはなぜ?相模灘の地形と漁師の技

伊東は金目鯛が有名だ。どうして金目鯛がよく獲れるのか?金目鯛の好きな場所は?
キュリオす
伊東で金目鯛がよく獲れるのは、相模灘の深海に広がる起伏に富んだ海底地形が金目鯛の生息に適しているためです。この記事では、その地形的要因と、漁師たちの丁寧な漁法や鮮度を保つ工夫について紹介します。
伊東の港に降り立つと、潮の香りの向こうに、どこか期待を帯びた空気が漂う。土産物店には鮮やかな赤い魚体が並び、食堂の軒先には煮付けの甘辛い匂いが誘う。そう、伊東といえば「金目鯛」が有名だ。しかし、なぜこの伊東で、これほどまでに金目鯛がよく獲れるのか。その背景には、単なる漁業の歴史だけでなく、この土地が持つ特異な自然環境が深く関わっている。水深数百メートルの深海に棲むこの魚が、なぜ伊東の食卓に当たり前のように並ぶのか、その理由を探ることは、相模灘の知られざる深淵を覗き込むことに等しい。
金目鯛は、かつては一部の地域を除いて、一般的にはあまり知られていない魚であった。下田の魚市場が金目鯛を扱い始めたのは昭和50年頃で、それ以前は市場にほとんど流通していなかったという。しかし、高度経済成長期の食文化の変化や輸送技術の発展とともに、その価値が見直されていく。特に伊豆半島では、明治時代にはすでに東伊豆町稲取でキンメダイ漁業の歴史が始まっており、大正時代には小型発動機船を用いた立て縄釣り(一本釣り)が行われるようになった。
戦後の復興期を経て、稲取のキンメダイ漁はさらに発展し、現在では約60隻の漁船が操業する地域で最も重要な漁業の一つとなっている。伊東においても、キンメダイやムツ、メダイといった底魚類を対象とした立て縄釣りが主要な漁法として定着した。
この時期、金目鯛は単に「獲れる魚」から「価値のある高級魚」へとその地位を確立していく。その背景には、伊豆半島の漁師たちが培ってきた丁寧な漁法と、鮮度を保つための工夫があった。一本釣りによる魚体へのダメージを最小限に抑え、水揚げ後すぐに氷温で保持し、その日のうちに港へ戻る「日戻り操業」の徹底が、金目鯛の品質を高め、ブランド化へと繋がったのである。特に下田港は金目鯛の水揚げ量で日本一を誇り、年間3,000〜4,000トンもの金目鯛が水揚げされ、下田に揚がる魚の8割を占めるという。伊東、稲取、下田の市場集計は、静岡県全体のキンメダイ漁獲量の約95%を占めている。
金目鯛が伊東で豊富に獲れる背景には、その生態と伊豆半島周辺の独特な海洋環境が深く関係している。金目鯛は世界中の熱帯から温帯域、水深200メートルから800メートル前後の海山や陸棚縁辺部に生息する深海魚である。日本では釧路沖以南の太平洋、新潟県以南の日本海に広く分布し、特に伊豆諸島周辺の海域は日本最大の漁場とされている。
伊豆半島東海岸、特に相模湾に面した地域は、この深海魚にとって理想的な生息環境を提供している。その理由は、フィリピン海プレートと太平洋プレートのダイナミックな動きによって形成された海底地形にある。伊豆・小笠原諸島に連なる海底山脈「海嶺」は、水深200メートルから800メートルのかけ上がり(海底火山の斜面)を形成しており、これが金目鯛の絶好の漁場となっているのだ。
金目鯛の大きな金色の目は、暗い深海でわずかな光を効率的に捉えるために発達したもので、視覚に頼って餌を捕食する。主に小魚や甲殻類、オキアミなどを餌としている。このような海底地形は、深海生物が豊富に生息する環境であり、金目鯛にとって十分な餌があることを意味する。
また、相模湾の特性も重要である。伊豆諸島周辺海域のキンメダイは、この海域に滞留する個体が多い一方で、一部は高知県沖や南西諸島沖まで広く移動することも標識放流の結果から判明している。相模湾から伊豆諸島周辺海域では6月から10月が産卵期とされ、最盛期は7月から8月である。産卵は成魚が生息する広範囲の海域で行われる。このような環境が、金目鯛の安定した生息と繁殖を支えていると考えられる。水深が深く、起伏に富んだ海底地形、そして豊富な餌生物が、伊東沖の金目鯛の豊かな資源を育む基盤となっているのだ。
金目鯛の主な漁獲地は静岡県、高知県、千葉県であり、特に伊豆半島は全国有数の産地として知られる。その中でも、伊東、稲取、下田といった伊豆東海岸の港は主要な水揚げ拠点である。しかし、それぞれの産地には微妙な違いがある。
例えば、下田港は金目鯛の水揚げ量で日本一を誇り、その多くは伊豆諸島周辺の沖合で数日間かけて底立て延縄漁で獲られる「沖キンメ」である。一方、東伊豆町の稲取では、伊豆東海岸から近い漁場で日帰り操業を行う立て縄(一本釣り)漁が主流であり、そこで獲れる金目鯛は「地キンメ」と呼ばれる。この「稲取キンメ」は、一尾ずつ丁寧に扱われることや、日戻りによる鮮度の高さが特徴とされ、高値で取引される。伊東の地キンメも、豊富な餌に恵まれた環境で育ち、脂の乗った濃厚な味わいが特徴とされる。
千葉県の銚子沖や勝浦沖もまた、金目鯛の好漁場として知られている。これらの海域も、黒潮と親潮がぶつかり、プランクトンや小魚が豊富な世界屈指の漁場である。銚子や勝浦、伊豆周辺の漁場は、漁港からそれほど遠くない日帰り操業が可能な水深に金目鯛の漁場があるため、鮮度が高い「地金目鯛」が水揚げされる。千葉県でも、銚子沖では立て縄釣り、勝浦沖では7月から9月を禁漁期とするなど、資源保護の取り組みが行われている。
このように、金目鯛の主要産地はそれぞれ、その地理的条件や歴史的経緯によって異なる漁法とブランドを確立してきた。伊東を含む伊豆半島東海岸の産地は、水深が深く起伏に富んだ海底地形が漁港から比較的近い位置にあり、日帰り操業による「地キンメ」の鮮度と品質を強みとしている点で共通している。また、一本釣りや立て縄釣りを主体とすることで、魚体へのダメージを抑え、品質を維持する努力も共通して見られる特徴である.
伊東の金目鯛漁は、現在も立て縄釣り漁業が主体である。この漁法では、一本の幹縄に多数の釣り針をつけた枝縄を取り付け、それを海中に垂直に降ろしてキンメダイなどを釣り上げる。漁獲された金目鯛は、鮮度を保つため直ちに氷温で管理され、その日のうちに港へ水揚げされる。
しかし、現代の金目鯛漁を取り巻く環境は、かつてとは異なる側面も持つ。近年、静岡県全体のキンメダイ漁獲量は減少傾向にあり、2014年には1984年のピーク時の約25%にまで落ち込んでいる。伊東においても、2010年以降の年平均漁獲量は2009年以前の約77%に減少している。このような資源の減少は、漁業関係者にとって喫緊の課題であり、持続可能な漁業のための資源管理が重要視されている。
静岡県では、漁業者による自主的な資源管理が行われており、休漁日の設定、小型魚の保護(体長28cm以下のキンメダイは再放流)、漁具の制限などが実施されている。これらの取り組みは、キンメダイの成長がゆっくりで、成魚になるまでに最低でも4年かかるという生態を踏まえたもので、資源の回復と持続的な利用を目指している。
伊東の市場や飲食店では、年間を通じて金目鯛を味わうことができる。特に12月から2月の冬場、そして産卵前の6月から8月は脂の乗りが良いとされ、旬の時期として知られている。地元の漁協では、漁業体験や直売所の開設、さらには「伊東の地きんめ」というブランド化を進めることで、その魅力を発信し続けている。漁港に揚がる金目鯛の鮮やかな赤色は、伊東の海の恵みを象徴する風景として、今も多くの人々の目を楽しませている。
伊東において金目鯛が豊富に獲れる背景には、深海魚という金目鯛の生態と、伊豆半島が持つ特異な海底地形の偶然の一致がある。金目鯛は水深200メートルから800メートルという深海を好み、特に海底の起伏に富んだ海山や陸棚縁辺部を主な生息域とする。伊豆半島沖の相模湾は、フィリピン海プレートと太平洋プレートの活動によって形成された海嶺、すなわち海底山脈が発達しており、この複雑な地形が金目鯛にとって理想的な隠れ家と餌場を提供している。
この海底地形がもたらすのは、単に物理的な生息空間だけではない。深海の複雑な地形は、多様な生物が集まる環境を生み出し、金目鯛の主要な餌となる小魚や甲殻類、オキアミなどが豊富に生息する生態系を形成する。また、伊豆諸島周辺の海域は、金目鯛の産卵場としても機能しており、稚魚から成魚までが一貫して生育できる環境が整っている。
伊東の金目鯛漁は、このような自然条件に加えて、日帰り操業を可能にする漁港から漁場までの距離の近さという地理的利点も享受している。これにより、鮮度を最大限に保ったまま水揚げすることができ、結果として「伊東の金目鯛」という高品質なブランドを築き上げてきたのだ。深海の地形とそこに育まれる生命、そしてそれらを恵みとして受け止め、守りながら利用してきた人々の営みが、伊東の金目鯛文化を形作っていると言えるだろう。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。