2026/6/11
郡上八幡、鯉が泳ぐ水路は防火から始まった

郡上八幡はなぜそんなに水が綺麗と謳われるのか?要因は?どう特別?
キュリオす
郡上八幡の清らかな水は、豊富な降雨と石灰岩層による自然ろ過に加え、江戸時代の防火用水路整備が起源。住民による水舟での段階的利用と共同管理が、現代まで「水の町」の景観と暮らしを支えている。
郡上八幡の町を歩くと、水路の音が常に耳に届く。その流れは透明で、場所によっては色鮮やかな鯉が悠々と泳いでいるのを見る。町中に点在する湧水地からは、冷たい水がこんこんと湧き出し、地元の人々が日常的に利用している姿を目にするだろう。なぜこれほどまでに水が清らかに保たれているのか。単に自然の恵みというだけではない、この土地固有の事情と、そこに暮らす人々の営みがそこにはある。
長良川の支流である吉田川と小駄良川が合流する地に位置する郡上八幡は、三方を山に囲まれた地形を持つ。年間降水量は約2,700ミリメートルと豊富で、その水が石灰岩層に浸透し、自然にろ過されて市街地の各所で湧出しているのだという。この豊かな自然条件が、清らかな水の源であることは確かだろう。しかし、水がただ湧き出すだけでは、これほどまでに生活に根差し、清らかさを保つことは難しい。この町の水が「きれい」と謳われる背景には、自然の恵みを最大限に生かし、そして守り続けてきた人々の知恵と努力が深く関わっている。
郡上八幡における水の利用は、戦国時代末期に遠藤慶隆が城下町を整備した頃に始まる。しかし、現在の水路網の基礎が築かれたのは、江戸時代に入ってからだ。寛文7年(1667年)、郡上藩主遠藤常友は、承応の大火で失われた城下町の再建にあたり、防火対策を主眼に置いて用水路の整備を進めた。これが、郡上八幡が「水の城下町」として再生する大きな転換点となる。
当時、町中に張り巡らされた水路は、単なる防火用水に留まらなかった。小駄良川や吉田川、そして山からの湧水を水源として、各家庭や共同の洗い場へと引き込まれ、生活用水として活用されるようになる。例えば、文化7年(1810年)の「郡上町方法令之條目」には、水路への不浄物の投棄を禁じ、清掃を義務付ける記述が見られる。これは、水が公共の資源として認識され、その清浄さを保つためのルールが、江戸時代には既に確立されていたことを示している。
特に有名なのは、室町時代の連歌師・飯尾宗祇が愛用したとされる「宗祇水」だろう。文明3年(1471年)、宗祇が古今伝授を受けた際にこの泉を訪れ、歌を詠み交わしたという故事が伝えられている。江戸時代には、郡上藩主の金森頼錦や遠藤常友らによって泉の保存と顕彰が図られ、現在の石の水場が整備された。1985年には環境庁(現環境省)の「名水百選」の第1号に選定され、郡上八幡の水の文化を象徴する存在となっている。このように、歴史上の人物と結びつくことで、水は単なる生活資源を超え、町の文化と記憶の一部として大切にされてきたのだ。
郡上八幡の水が「きれい」と謳われる要因は、大きく分けて二つある。一つは地理的・地質的な条件、もう一つはそこに暮らす人々が築き上げてきた独特の利用システムと共同管理の文化である。
地理的条件としては、まず豊富な降雨量が挙げられる。郡上八幡地域は年間約2,700ミリメートルもの雨が降り、これが長良川水系の吉田川、小駄良川、乙姫川といった三つの川を潤している。さらに、この地域の地質は石灰岩層であり、山に降った雨水や雪解け水が地下に浸透する過程で、天然のフィルターとして不純物がろ過される。この自然の浄化作用が、清らかな湧水の源となっているのだ。市街地には約107箇所もの湧水が点在するとも言われている。
しかし、自然の恵みだけでは、現代までこれほどの水環境を維持することはできない。郡上八幡の水の清らかさを支えるもう一つの柱は、地域に根付いた水利用の仕組みである「水舟」と、それを支える住民による共同管理にある。水舟は、湧水や山水を引いた二槽または三槽からなる階段状の水槽で構成される。一番上の槽は飲用や食材洗い、次の槽は汚れた食器の洗浄、そして一番下の槽はさらに汚れたものを洗うなど、用途に応じて水を段階的に利用する。最終的に流れ出た食べ物の残りなどは、下の池の鯉の餌となり、水は自然に浄化されて川へと還されるという合理的な循環システムが構築されているのだ。
この水舟は、個人の敷地内に設置されているものが多いが、観光用に整備されたものも町中に見られる。そして、これらの水利用施設は、「洗い場組合」や「宗祇水奉賛会」といった住民組織によって維持管理されている。1980年代には、上水道の整備によって伝統的な水利用施設の利用者が減少したり、水質が悪化したりする時期もあった。しかし、住民と行政が一体となって「水を活かしたまちづくり」に取り組み、生活排水と用水の分離や公共空間の整備を進めた結果、再び「水の町」としての評価を取り戻した経緯がある。こうした住民一人ひとりの意識と、それを支える共同のルールが、郡上八幡の水を「きれい」に保つ重要な要因となっている。
日本には「水の都」と称される地域が複数存在するが、郡上八幡の水の文化は、その中でも独特の側面を持つ。例えば、長崎県の島原市も「水の都」として知られ、雲仙山系の伏流水が市内随所から湧出し、「鯉の泳ぐまち」として観光客を惹きつけている。島原の湧水の多くは、寛政4年(1792年)の雲仙岳噴火に伴う地殻変動によって誘発されたものであり、浜の川湧水のように4つの区画に分かれた洗い場を地域住民が清掃・管理している点は郡上八幡の水舟と共通する。
また、静岡県の柿田川湧水群も「東洋一の湧水量」を誇る名水として名高い。富士山の溶岩流によってろ過された地下水が大量に湧き出し、飲料水や工業用水、農業用水として利用されている。かつては工場の排水で水質が悪化した時期もあったが、住民による環境回復の取り組みが実を結び、国の天然記念物にも指定されている。京都の伏見もまた、良質な伏流水に恵まれた日本有数の酒どころである。桃山丘陵の伏流水は、酒造りに適した中硬水であり、多くの酒蔵が集積する要因となった。伏見酒造組合は、地下鉄計画から地下水脈を守るための大規模な調査や陳情を行うなど、水の保全に努めてきた歴史を持つ。
これらの地域と郡上八幡を比較すると、共通するのは「豊富な湧水」という自然条件と、「住民による保全活動」という人為的な努力である。しかし、郡上八幡が特異なのは、その水が生活のあらゆる場面に、より密接に、そして視覚的に統合されている点だろう。島原や柿田川が湧水を観光資源や産業利用の核とする一方で、郡上八幡は水路や水舟が町の景観の一部として、また住民の日常生活の一部として、常に「見える」形で存在している。
特に「水舟」に代表される多目的・段階的な水利用システムは、限られた水を無駄なく、かつ衛生的に使うための知恵が凝縮されたものだ。これは単なる水の美しさだけでなく、水資源に対する深い敬意と、それを共有するコミュニティの規範意識がなければ成り立たない。他の「水の都」が特定の用途(観光、産業、飲用)に特化する傾向があるのに対し、郡上八幡は生活、防火、景観、そして環境教育といった多岐にわたる役割を水に与え、それらを一体的に管理している点で、より包括的な「水との共存」の形を示していると言える。
郡上八幡の清らかな水は、現代においても町の暮らしと経済に深く結びついている。観光客は、町中に点在する水舟で喉を潤したり、いがわ小径で鯉が泳ぐ水路を散策したりすることで、その水の豊かさを体感できる。吉田川での鮎釣りや、夏に行われる郡上おどりでの水中花火など、水は町の文化やイベントの重要な要素であり続けている。
しかし、上水道が普及した現代において、伝統的な水利用を維持することには課題も存在する。1960年代中頃に上水道が整備され始めると、水利用施設の利用者は一時的に減少した時期もあった。それでも、郡上八幡の人々は「便利な水道だけを使う」という選択はしなかった。その背景には、水路の清掃活動を行う「洗い場組合」や「いがわと親しむ会」といった住民組織の存在がある。これらの組織は、水の恵みに感謝し、その清らかさを守るための活動を活発に行っているのだ。
近年では、空き家の増加や高齢化による管理の担い手不足といった問題も指摘されている。しかし、地域住民はそれぞれの地区の課題に合わせて、柔軟に管理形態を変化させながら、水利用施設を維持している。行政もまた、町内会の水舟維持費用を補助するなど、市民と協力して「水のまち」づくりを積極的に進めている。水と暮らしを繋いできたこれまでの生き方を維持していくことについて、住民の間に異論はないという。これは、水が単なる資源ではなく、コミュニティを形成し、人々の生活様式そのものを規定する、かけがえのない存在として認識されている証拠だろう。
郡上八幡の水を巡る旅は、単に水の物理的な清らかさを確認するだけでなく、水と人との関係性の深さを再認識させるものだ。この町が「名水百選」の第一号に選ばれたのは、単に水質が良いという理由だけではなかった。そこには、都市と周辺の農村部を一体と捉え、水を循環するシステムとして評価する視点があったという。
「水縁空間」という言葉がある。水が媒体となって「人と人」や「環境と人」が結びつく環境全体を指す概念だ。郡上八幡は、歴史的な経験を経て現在に至るまで、この見事な水縁空間を維持・保全してきた。水路の清掃を通じて住民同士が交流し、水舟の利用ルールを共有することで共同体が育まれる。水は、この町の「感覚環境」を形成し、住民の生活に心地よいリズムを与えているのだ。
郡上八幡の「きれいな水」は、自然がもたらした恵みと、人々が長い歴史の中で培ってきた知恵、そして現代に至るまで途切れることなく続いてきた共同の努力が織りなす結果である。それは、目に見える透明度だけでなく、水を通じて築かれてきた無形の文化、すなわち「水縁空間」の豊かさによっても支えられている。この町を流れる水は、その清らかさの中に、人と自然、そして人と人との間に築かれた密やかな関係性を映し出しているのだ。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。