2026/6/23
風呂敷に包まれた桔梗信玄餅、その誕生と人気の秘密

桔梗信玄餅について詳しく教えて欲しい。
キュリオす
山梨土産の定番「桔梗信玄餅」。安倍川餅から着想を得て、ユニークな風呂敷包装と「自分で仕上げる」体験で人気を博した経緯を辿る。地域ブランド戦略と革新的な商品開発の物語。
風呂敷に包まれた小さな宇宙
山梨の土産物売り場に立ち寄ると、決まって目に飛び込んでくるのが「桔梗信玄餅」だ。きな粉をまとった柔らかな餅に、とろりとした黒蜜をかけて食す。その素朴な姿からは想像しにくいが、この菓子は単なる餅菓子に留まらない、緻密な戦略と偶然が重なり合って生まれた文化的な存在だ。なぜこれほどまでに多くの人に愛され、山梨の象徴として定着したのか。その答えは、包装の細部にまで宿る工夫と、時代を読む経営者の視点、そして郷土への深い思いが織りなす物語の中にある。
安倍川餅から生まれた甲州の銘菓
桔梗信玄餅の歴史は、明治22年(1889年)に甲府で菓子店として創業した桔梗屋に始まる。しかし、その転機は昭和の時代に訪れる。昭和35年頃からの洋菓子ブームの到来は、日本の伝統的な和菓子業界に大きな影響を与え、桔梗屋もまた新製品の開発を迫られていた。当時の山梨の土産といえば、生のぶどうを砂糖で包んだ「月の雫」や、ぶどう・桃といった果実が主であり、年間を通して販売できる目立った菓子は少なかったという。
こうした状況の中、三代目である故・中丸幸三氏を中心に、日本人の嗜好に合う新しい菓子が模索された。そのヒントとなったのが、山梨県に古くから伝わる「安倍川餅」だ。山梨では、お盆の時期に餅にきな粉と黒蜜をかけて仏前に供え、食す習慣があった。この風習に着目し、現代風に小さくまとめ、一年中楽しめる土産菓子として開発されたのが桔梗信玄餅である。
昭和43年(1968年)の正月には最初の試作品が完成し、その年の夏に販売が開始された。当初、同業者からは「お客様に包装を解いてもらい、別容器の黒蜜をかけてもらうのは売れるわけがない」と冷ややかな声も聞かれたという。しかし、このユニークな包装と、添加物を一切使用しない餅の素朴な味わい、黒蜜の独特な舌触りが好評を博し、発売後は大きな話題となった。
さらに、発売翌年からはNHK大河ドラマ「天と地と」が放送され、武田信玄ブームが到来したことも、桔梗信玄餅の知名度向上に拍車をかけた。この菓子自体は武田信玄が実際に食べたものではなく、「山梨県を代表する土産になってほしい」という願いを込めて、山梨を代表する武将である武田信玄の名が借りられたものだ。こうして、桔梗信玄餅は山梨の銘菓としての地位を確立していくこととなる。
包装と体験が織りなす価値
桔梗信玄餅が単なる餅菓子に留まらず、特別な存在として認識される背景には、その独特な「仕組み」が深く関わっている。一つは、餅、きな粉、黒蜜という三つの要素の絶妙なバランスだ。柔らかな求肥餅はきな粉をたっぷりとまぶされ、そこに別添の黒蜜をかけて食す。この個別の提供方法が、食べる者に「自分で仕上げる」という体験を与え、単なる消費以上の価値を生み出している。
そして、もう一つ、そして最も特徴的なのが、個別の風呂敷状の包装である。小さな餅ときな粉が入った発泡ポリスチレン製の容器と黒蜜の容器が、一枚のポリフィルムで一つ一つ手作業で包まれているのだ。この包装は、開発当初、商品をパックする機械に投資する予算がなかったため、仕方なく手作業で行われたという偶然の産物だった。しかし、この手作業による風呂敷包みが、かえって「日本文化の象徴」として評価され、「風呂敷をほどくドキドキ感がたまらない」といった顧客の声を集めることになった。現在でも、機械化が進む中でも、1個あたりわずか6秒という職人技で、1日12万個もの桔梗信玄餅が手作業で包まれている。
この包装は、単に中身を保護するだけでなく、食べ方にも工夫を凝らす余地を与えている。風呂敷を広げてその上で黒蜜をかけたり、容器の中でお餅ときな粉、黒蜜を混ぜ合わせたり、さらには風呂敷の四隅を持って全体を揉み込むことで、きな粉と黒蜜を均一に絡ませる方法も推奨されている。食べるという行為自体が、一種の「儀式」や「遊び」の要素を帯びることで、記憶に残る体験へと昇華されているのだ。
加えて、桔梗信玄餅の「信玄」という名称は、山梨県の象徴である武田信玄にあやかったものであり、この地域との結びつきを強く印象付けている。菓子そのものが持つ素朴な味わいに加え、風呂敷という日本的な意匠、そして武田信玄という歴史上の人物との結びつきが、土産菓子としての物語性とブランド力を高める要因となっている。これらの要素が複雑に絡み合い、桔梗信玄餅は独自の存在感を放っているのだ。
類似と相違が語る個性
桔梗信玄餅を語る上で、しばしば比較対象となるのが、その発想の源となった「安倍川餅」と、同じ山梨県内で「信玄餅」を製造販売する金精軒の製品である。これらの比較から、桔梗信玄餅の個性や戦略がより鮮明に見えてくる。
まず、安倍川餅との関係だが、これは桔梗信玄餅が「現代風にアレンジされた安倍川餅」という側面を持つことを示している。静岡県の名物である安倍川餅は、つきたての餅にきな粉と白砂糖をまぶすのが一般的で、こし餡を添えることもある。歴史は江戸時代初期に遡り、徳川家康に献上された逸話も残る。桔梗信玄餅が安倍川餅からヒントを得たのは、山梨でお盆に安倍川餅を供える習慣があったためだ。しかし、桔梗信玄餅は個包装と黒蜜を別添にする形式を採用し、通年販売可能な土産菓子としての利便性と独自性を追求した点で、伝統的な安倍川餅とは一線を画している。安倍川餅が「故郷の味」としての性格が強いのに対し、桔梗信玄餅は「旅の土産」としての役割を強く打ち出したと言えるだろう。
次に、金精軒の「信玄餅」との比較は、商標とブランド戦略の複雑さを示す好例だ。桔梗屋が1968年(昭和43年)に「桔梗信玄餅」を販売開始したのに対し、金精軒は1972年(昭和47年)に「信玄餅」を発売している。しかし、「信玄餅」の商標は金精軒が先に登録していたため、桔梗屋は「桔梗信玄餅」として独自の商標を登録することになった。両社の製品は、きな粉と黒蜜をかけた餅という点で酷似しているが、金精軒の信玄餅には「武田信玄が出陣の際の非常食」という逸話や、販売当初の大きな切り餅を再現した「極上生信玄餅」といった独自の展開もある。また、金精軒は「水信玄餅」という、南アルプスの湧水と少量の寒天で作られた透明な餅を夏季限定で販売しており、こちらは30分しか持たないという特性が話題を呼んでいる。
さらに、福岡の銘菓「筑紫もち」との比較も興味深い。筑紫もちもきな粉餅に黒蜜をかけるスタイルで、見た目が桔梗信玄餅とよく似ていると度々話題になる。しかし、細部を見ると違いがある。例えば、黒蜜の量や濃さ、甘さには差があり、筑紫もちは和紙で包まれることで高級感を演出している。このように、類似したコンセプトの菓子が各地に存在する中で、桔梗信玄餅は風呂敷状のポリフィルム包装、そして「自分で黒蜜をかける」という体験を前面に出すことで、独自のポジションを確立してきた。これは、単に味の良さだけでなく、提供形態や消費体験まで含めて「商品」として設計する視点が、その成功に不可欠であったことを示唆している。
伝統と革新が交錯する現在地
桔梗信玄餅は、山梨を代表する銘菓として、その存在感を現代においても維持し続けている。その背景には、単に伝統を守るだけでなく、時代に合わせた革新を続ける桔梗屋の経営戦略があると言えるだろう。
現在、桔梗信玄餅は山梨県内の土産物店はもちろん、高速道路のサービスエリアや主要駅、オンラインショップなど、多様な場所で販売されている。桔梗屋は、製菓業の枠を超え、多角的な事業展開を見せている。その象徴が、笛吹市にある「桔梗信玄餅工場テーマパーク」だ。ここでは、無料で桔梗信玄餅の製造工程を見学できるほか、名物の「お菓子の詰め放題」や、アウトレット品の販売、包装体験などが人気を集めている。特に、スタッフが1個あたり約5秒で風呂敷包みを行う職人技は、多くの見学者の目を引くという。このような体験型の施設は、消費者に製品への理解と愛着を深めさせ、ブランドイメージの強化に貢献している。
また、桔梗屋は桔梗信玄餅を核としながらも、様々な派生商品を開発している。「桔梗信玄生プリン」はきな粉味の和風プリンに黒蜜をかけて味わうスタイルで、1日に3万個も売れるヒット商品となった。その他にも、桔梗信玄餅を練り込んだアイスクリームやロールケーキ、どら焼き、キャラメルなど、和洋折衷の幅広いラインナップを展開している。さらに、2021年12月には、長年の顧客からの要望に応え、容器まで食べられる最中製の「桔梗信玄餅 極」を発売し、環境配慮と顧客満足を両立させる試みも行っている。これは、50年前のファンレターに記された「容器も食べられるようにしてほしい」という声を実現したものだという。
さらに、サンリオキャラクターズや人気アニメ「鬼滅の刃」とのコラボレーション商品も登場し、若い世代や観光客へのアピールも積極的だ。これらの取り組みは、老舗でありながらも既成概念にとらわれず、「お客様を飽きさせないこと」「地域の価値を活かすこと」という企業理念に基づいている。桔梗屋は、農業生産法人「ハイジの野菜畑」の運営や、レストラン、温泉施設、ホテル経営、中央自動車道サービスエリアの指定管理など、製菓業の枠を大きく超えた事業を展開し、地域経済の活性化にも寄与している。伝統の味を守りつつ、常に新しい価値を創造し続ける姿勢が、現代における桔梗信玄餅の揺るぎない地位を築いていると言えるだろう。
郷土菓子の多層的な姿
桔梗信玄餅が山梨の象徴的な土産菓子として広く認識されているのは、単に餅と黒蜜ときな粉の組み合わせが美味であるというだけではない。その背景には、郷土の歴史と文化への敬意、消費者の体験を重視する視点、そして商機を見極める経営判断が多層的に絡み合っている。
安倍川餅という古くからの風習から着想を得ながらも、個別の風呂敷包装や黒蜜別添という「一手間」の演出は、当時の洋菓子ブームに対抗し、和菓子の新たな価値を提示する試みでもあった。この「一手間」は、食べる行為そのものを特別な体験へと昇華させ、単なる消費財ではない「記憶に残る土産」としての地位を確立させた。それは、製品の機能的価値だけでなく、情緒的価値を重視する現代のマーケティングに通じる先見性があったと言える。
また、「信玄」という名称の使用は、山梨の象徴である武田信玄のブランド力を借りるという、巧みな地域ブランディング戦略の一例である。実際に武田信玄が食したわけではないという事実を知ったとしても、その名称が持つ歴史的響きは、菓子の背景に物語を与え、土産物としての魅力を高めている。さらに、工場テーマパークでの体験型コンテンツや、容器まで食べられる「極」の発売、多様なコラボ商品展開は、伝統を守りながらも常に変化を恐れない桔梗屋の姿勢を示している。
桔梗信玄餅の成功は、地方の銘菓が、いかにして地域の文化や歴史を現代の消費者のニーズと結びつけ、持続可能なブランドへと成長し得るかを示す一つのモデルケースである。それは、単に美味しい菓子を作るだけでなく、それをいかに提示し、いかに体験させるかという、総合的なプロデュース能力の結晶なのだ。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。
参考
- THE YAMANASHI INTERVIEWthe-yamanashi-interview.com
- 桔梗屋の歴史 – 桔梗屋甲府本館honkan.kikyouya.co.jp
- 桔梗信玄餅の歴史 – 桔梗信玄餅工場テーマパークthemepark.kikyouya.co.jp
- 桔梗信玄餅の種類っていくつあるの?老舗山梨土産桔梗屋商品のご紹介! - 道の駅つる【公式サイト】富士湧水の城下町 山梨県都留市1000nentsuru.com
- 桔梗信玄餅 - Wikipediaja.wikipedia.org
- 桔梗 信玄餅yamanashi.mytabi.net
- 【步骤图】桔梗信玄饼的做法_桔梗信玄饼的做法步骤_菜谱_下厨房m.xiachufang.com
- 信玄餅ができるまで:武田信玄と山梨の銘菓 – 山梨 信玄餅・創作和菓子 | 金精軒製菓オンラインショップshop.kinseiken.co.jp