2026年5月18日
糸島「またいちの塩」はなぜ昔ながらの製法を守るのか
福岡県糸島市で「またいちの塩」が伝統的な製法を守る背景を解説。縄文時代から続く塩作りの歴史、流下式塩田と平釜を用いた製法、そして現代における手仕事の価値に迫る。
潮風が運ぶ、砂浜の記憶
福岡県糸島市、玄界灘に面した海岸線を歩くと、潮の香りの奥に、どこか懐かしいような、それでいて力強い土の匂いが混じる瞬間がある。この土地で「またいちの塩」を訪ねると、海水から塩を結晶させる工程が、想像以上に手間と時間をかけて行われていることを知る。なぜ、現代において、これほどまでに伝統的な製法にこだわるのか。単に「昔ながら」という言葉で片付けられない、この地の塩作りの背景には、土地の記憶と、それを引き継ぐ人々の選択があるように見える。
縄文から続く、塩の道
糸島における塩作りの歴史は、遠く縄文時代にまで遡ると言われている。この地域からは、弥生時代以降の土器片に付着した塩分や、製塩土器の出土が確認されており、古くから人々が海水を煮詰めて塩を得ていたことがうかがえる。特に福岡県は、瀬戸内海沿岸地域に比べて遠浅の海岸が少なく、大規模な入浜式塩田の造成が困難であったため、古くから燃料を多く消費する「藻塩焼き」のような直煮法や、天日干しと煮詰める工程を組み合わせた方法が主流であったと推測される。
江戸時代に入ると、各藩は財源確保のため塩の生産を奨励し、福岡藩でも沿岸部での製塩が活発化した。しかし、全国的な主流であった入浜式塩田が広がることはなく、小規模ながらもそれぞれの地域で工夫を凝らした製法が続けられていたようだ。明治以降、近代的な製塩技術が導入される中で、効率を追求する大規模な塩田や工場生産が主流となり、糸島のような小規模な伝統的製塩は一時衰退していった。しかし、昭和後期から平成にかけて、食の安全や地域固有の味が見直される中で、再び伝統的な製塩が見直され、現代に至るのである。
潮風と太陽が織りなす製法
「またいちの塩」が採用しているのは、主に「流下式塩田」と「平釜」を組み合わせた製法である。まず、汲み上げた海水を竹や木を組んだ「流下盤」と呼ばれる傾斜面に流し、太陽と風の力で水分を蒸発させ、塩分濃度を高めた「かん水」を作る。この流下盤は、自然の力だけで効率的に海水を濃縮するための工夫であり、広大な土地を必要とする入浜式塩田とは異なる。
かん水はさらに、釜でゆっくりと時間をかけて煮詰める。この平釜での煮詰めこそが、塩の結晶の形や味を左右する重要な工程だ。一般的な工業生産では、短時間で大量に結晶させるため、均一で小さな結晶が多くなる傾向がある。しかし、平釜で時間をかけて煮詰めることで、様々な大きさの結晶が混じり合い、ミネラル分が豊富に含まれた、複雑な風味を持つ塩が生まれるのだ。この製法は、天候に左右されやすく、広大な敷地と多くの人手を要するため、決して効率が良いとは言えない。それでもこの方法が選ばれるのは、単に塩分を抽出するだけでなく、海が持つ多様なミネラル分を閉じ込め、糸島の気候風土を映し出すような塩を生み出すためである。
