2026/6/12
究極のふんわりは金属では出せない?馬毛の漉し器が生み出す繊細な食感

馬毛の漉し器について詳しく知りたい。金属のシノワで濾した場合とどう違うのか?
キュリオす
和菓子の栗きんとんや茶碗蒸しの滑らかな口当たりは、漉し器の選び方に左右される。金属製シノワと異なり、馬毛の漉し器が独特の風味と食感を生み出す理由を、その歴史と素材の特性から辿る。
舌の上でとろけるような滑らかさを持つ、和菓子の栗きんとんや、出汁の澄み切った茶碗蒸し。その完璧な口当たりは、食材が持つ本来の風味を際立たせる。しかし、この「滑らかさ」を追求する過程には、道具の選択が深く関わっている。多くの料理人が金属製のシノワや裏ごし器を用いる中で、今もなお一部の職人たちが「馬毛の漉し器」にこだわり続けるのはなぜだろうか。そこには、単なる素材の違いを超えた、繊細な仕事と味覚への問いが隠されている。
漉し器としての馬毛の歴史は、日本の食文化や工芸の変遷と深く結びついている。裏ごしという調理法自体は古くから存在し、食材を細かくしたり、不純物を取り除いたりする目的で、様々な道具が用いられてきた。馬毛の漉し器は、その中でも特に繊細な仕上がりを求める場面で重宝されてきた伝統的な道具の一つである。
江戸時代には、ふるいや漉し器を作る曲げ物(木製の枠を作る技術)の生産地として栄えた地域もあり、新潟県寺泊山田地区では江戸末期にふるい業組合が存在したという記録も残る。 馬毛の漉し器は、主に木製の枠に馬の尻尾の毛を編み込んだもので、その製法には高度な職人技が求められた。 平安時代から続く曲げ物の技法を受け継ぐ職人もおり、彼らによってセイロやふるい、そして漉し器が生み出されてきた歴史がある。
馬毛の漉し器は、食品加工だけでなく、表具の糊漉し器としても利用されてきた。 和紙の修復や製本に使う糊を滑らかに濾すことで、作業の精度を高める役割を担っていたのだ。この多岐にわたる用途は、馬毛という素材が持つ独特の特性が、様々な分野で評価されてきた証左と言えるだろう。しかし、時代の変化とともに、より安価で手入れのしやすい金属製やナイロン製の漉し器が普及し、馬毛の漉し器の需要は徐々に減少していった。 結果として、馬毛を編む職人の数は激減し、現在では「国内唯一の馬毛職人」と称される存在もいるほど、その技術は貴重なものとなっている。 20年ほど前には、馬毛を取り扱う業者の廃業により、素材の入手自体が困難になった時期もあったという。 このような背景から、馬毛の漉し器は単なる調理器具以上の、伝統技術の結晶としての価値を持つに至っている。
馬毛の漉し器が金属製のシノワと決定的に異なるのは、その素材が持つ物理的な特性にある。馬毛、特に尻尾の毛は、他の動物の毛とは異なる断面形状を持つと言われている。 顕微鏡レベルで見ると、その繊維は鋭角な断面や、短い毛が飛び出して枝分かれしている構造をしており、これが食材をより細かく、かつ均一に裏ごしできる理由とされる。 この独自の構造が、食材の粒子を細かくし、繊維質を効果的に取り除くことを可能にしているのだ。
さらに、馬毛には適度な「弾力性」がある。 この弾力性が、裏ごし作業中のヘラとの馴染みを良くし、スムーズな作業を可能にする。 金属の網が固く食材を押し潰すような感覚であるのに対し、馬毛はしなやかに食材を受け止め、適度な抵抗感で漉し通す。この違いが、裏ごしされた食材に「ふんわり」とした独特の口当たりをもたらすのだ。
また、馬毛で裏ごしされた食材は、金属製のものと比較して「空気に触れる機会が多い」という指摘もある。 細かい網目を通過する際に食材が適度に攪拌され、空気を抱き込むことで、甘みが増すとも言われている。 これは、例えば栗きんとんやスイートポテト、白あんといった、口溶けの良さや風味の繊細さが重視される和菓子において、特に重要な要素となる。金属製の漉し器では、食材が金属に触れることで「金気(かなけ)」が移る可能性も指摘されるが、天然素材である馬毛にはその心配がない。 結果として、食材本来の風味を損なうことなく、より純粋な味わいを引き出すことができるのである。これらの特性が、プロの料理人や菓子職人が馬毛の漉し器を「高級品」として愛用し続ける理由となっている。
漉し器の世界において、金属製のシノワと馬毛の漉し器は、それぞれ異なる特性と役割を持っている。シノワに代表される金属製の漉し器は、主にステンレススチール製で、その最大の特徴は「耐久性と手入れのしやすさ」にある。 錆びにくく、中性洗剤とたわしで洗浄できるため、日常的な使用や衛生管理が求められるプロの現場では汎用性が高い。 また、網目の種類も豊富で、目の粗いものから非常に細かいものまで選べるため、スープやソースの雑味を取り除く、あるいは比較的硬い食材を裏ごしするなど、幅広い用途に対応できる。 例えば、洋食のフォンやソースを澄ませる際には、金属製のシノワがその効率性と精密さにおいて優れた性能を発揮する。
一方、馬毛の漉し器は、その特性から特定の食材や料理において真価を発揮する。特に、和菓子における餡や栗きんとん、あるいは和食における豆腐や茶碗蒸しの卵液を濾す際に用いられることが多い。 馬毛の持つ弾力と独特の網目が、食材を「ふんわり」と細かく仕上げ、舌触りの良さや食材本来の風味を引き出す。 豆腐を裏ごしする際には、馬毛で濾したものが「一番味が良い」とされ、そのきめ細かさや口当たりは金属では得難いものがあるという。 また、糊漉し器として、表具や製本の分野で今も活用されているのは、合成樹脂網に比べて抵抗が少なく、スムーズに糊を濾せるため、和紙の修復といったデリケートな作業に適しているからである。
これらの違いは、単に素材の優劣ではなく、それぞれの道具が追求する「仕上がりの質」と「用途」の哲学の違いを示している。金属は均一性と効率性を、馬毛は繊細さと風味の最大化を目指す。脂分が多い材料や、強い酸性の液体を濾す場合には、馬毛の劣化を防ぐため金属製が推奨されることもあるなど、食材の性質によって使い分けが重要になる。 料理人は、求める結果に応じてこれらの道具を使い分け、あるいは組み合わせて用いることで、最良の仕上がりを追求しているのだ。
馬毛の漉し器は、現代においてその存在自体が希少となっている。かつては全国各地に職人が存在したものの、安価な代替品の登場や後継者不足により、馬毛を編む技術を持つ職人はごくわずかになった。 「国内唯一」と称される職人もおり、彼らが手掛ける馬毛の漉し器は、もはや単なる道具ではなく、伝統技術の継承を象徴する工芸品としての価値を帯びている。
この希少性は、製品の価格にも反映されている。金属製の裏ごし器が比較的手頃な価格で入手できるのに対し、馬毛の漉し器は高価であり、一般の家庭で気軽に購入するような品ではない。 主な購入者は、その価値を理解し、最高の仕上がりを追求するプロの料理人や菓子職人、あるいは伝統工芸に携わる人々が中心となる。彼らにとって、馬毛の漉し器は「使い込むほどに手に馴染む感覚」を持つ、かけがえのない道具である。
しかし、高価であること以外にも、馬毛の漉し器には現代的な課題が伴う。それは「手入れの難しさ」だ。馬毛は天然素材であるため、使用後は柔らかいスポンジで洗い、洗剤を使わず塩で揉み洗いをするなどの特別な手入れが必要となる。 また、カビの発生を防ぐために、使用後は陰干しをして十分に乾燥させる必要がある。 これらの手間は、多忙な現代の厨房において、金属製の道具に比べて敬遠される一因ともなっているだろう。
現在、馬毛の漉し器は一部の専門性の高い道具店やオンラインストアで取り扱われているが、在庫切れや受注生産となることも珍しくない。 この状況は、その技術と製品が存続の危機に瀕していることを示唆している。一部の料理関係者やメディアがその価値を再評価し、職人技を紹介することで、新たな需要喚起や技術継承への関心を高める試みも行われている。
馬毛の漉し器と金属のシノワを並べて見るとき、そこには単なる素材や機能の違い以上のものが浮かび上がる。金属製のシノワが現代の効率性と均質性を体現するならば、馬毛の漉し器は、手間を惜しまず、素材の特性を最大限に引き出すという、古くからの職人たちの姿勢を映し出している。
馬毛の漉し器がもたらす「ふんわり」とした口当たりや、食材が持つ「甘み」の増幅といった微細な違いは、効率一辺倒の現代においては見過ごされがちかもしれない。しかし、プロの料理人や菓子職人が、そのわずかな差のために、高価で手入れに手間のかかる馬毛の漉し器を選び続けるという事実は、食の世界における「質」への飽くなき探求を示している。それは、単に味を整えるだけでなく、食材の可能性をどこまで引き出せるかという問いへの、一つの具体的な答えでもあるのだ。
この道具の存在は、私たちの食文化が、時に非効率に見える手仕事の中にこそ、かけがえのない価値を見出してきたことを教えてくれる。そして、その価値は、使い手と作り手の間に、道具を介して静かに受け継がれていく。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。