2026/6/12
新潟・寺泊山田の曲物、プロの厨房で生き残った理由

寺泊山田の曲物について詳しく教えてほしい。
キュリオす
新潟県長岡市寺泊山田の曲物は、江戸時代後期から続く伝統工芸品。厳しい気候の中、副業として発展し、特に調理器具に特化することで現代まで技術が伝承されている。
日本海に面した新潟県長岡市寺泊山田の集落を歩くと、時折、微かに木の香りが漂うことがある。それは、単に木材の匂いというよりも、人の手によって加工され、熱を加えられた独特の気配だ。この地には、薄く削いだ木材を曲げて作る「曲物」の伝統が息づいている。特に篩(ふるい)や裏漉しといった調理道具が古くから作られてきたが、現代の生活の中で、なぜこの手仕事が残り続けているのか。その疑問は、単なる工芸品の背景に留まらない、土地の歴史と人々の営みの深層に触れる機会となるだろう。
寺泊山田の曲物の歴史は、少なくとも江戸時代後期にまで遡る。日本海に面したこの地域は、かつて北国街道の要衝として栄え、漁業や農業を生業とする人々が暮らしていた。冬期の厳しい気候のなか、彼らは副業として曲物作りを始めたのだ。現存する最も古い資料としては、天保13年(1842年)に作成された「仲間取究書」があり、この時点で既に篩業組合が存在していたことが確認されている。当時の山田集落は「篩屋の里」と呼ばれるほど曲物作りが盛んで、江戸時代末期には約30人の職人が加盟する組合があったという。
昭和30年代から40年代にかけては、地域内に10数軒の製造元が軒を連ねていたとされる。しかし、戦後の農業の機械化が進むにつれて、農業用篩の需要は徐々に減少し、多くの製造元が廃業に追い込まれた。 伝統的な手仕事が時代の変化に直面する中で、寺泊山田の曲物も例外ではなかった。そうした逆境を乗り越え、現在までその技術を伝承しているのは、天保元年(1830年)創業の「足立茂久商店」ただ一軒である。 同店の11代目である足立照久氏は、この地の曲物技術を長岡市無形文化財(工芸技術)として、また2022年には新潟県伝統工芸品として次代へと繋ぐ役割を担っている。
寺泊山田の曲物の根幹をなすのは、薄く削った木材を円形に曲げ、合わせ目を山桜の樹皮で綴じるという伝統的な製法である。 この技術は、弥生時代にまで遡るとも言われる曲物全般に共通する基本でありながら、その精度と耐久性が製品の質を決定づける。
材料には、かつて地元産の「クマサキ」や、北海道などから仕入れた唐檜(とうひ)が用いられた。しかし、唐檜の希少化に伴い、現在では全国各地から集められる杉や檜が主な材料となっている。 板状に加工された木地は、まず曲げ加工が施され、その後長期間の乾燥を経て「曲輪(まげわ)」と呼ばれる製品の基本となる。 この曲輪に、篩であれば網を張り、蒸籠であれば底板をはめ込むことで、それぞれの道具が形作られる。
特筆すべきは、足立茂久商店が、他の多くの曲物職人が農家や一般向けの製品を主に作っていた時代から、料亭や旅館、菓子店といった「食のプロ」向けの道具製作に特化してきた点である。 プロの現場で求められる繊細さ、使い勝手の良さ、そして修理しながら長く使える堅牢さが、彼らの製品の評価を高めてきた。 一般的な民具が安価な代替品に置き換わっていく中で、プロの厳しい要求に応え続けたことが、寺泊山田の曲物が生き残った理由の一つとして挙げられるだろう。
日本全国には、寺泊山田の曲物以外にも様々な曲物の伝統が存在する。例えば、秋田県の「大館曲げわっぱ」は国の伝統的工芸品に指定され、弁当箱としての知名度が高い。 静岡県の「井川メンパ」や長野県の「木曽檜のめんぱ」、福岡県の「博多曲物」なども、それぞれ地元の木材を活かし、地域に根ざした独自の発展を遂げてきた。
これらの曲物に共通するのは、檜や杉といった針葉樹の薄板を曲げ、山桜の皮で綴じるという基本的な構造である。 しかし、使われる木材の種類、主な製品の用途、そして歴史的背景には違いが見られる。大館曲げわっぱが豊かな秋田杉を背景に発展し、主に弁当箱やおひつといった日常の食卓を彩る道具として広まったのに対し、寺泊山田の曲物は、森林資源に乏しい海沿いの集落で、漁業や農業の副業として始まり、篩や裏漉し、蒸籠といった調理器具に特化してきた経緯がある。
また、多くの曲物産地が後継者不足や材料調達の困難に直面している現状も共通している。 大館曲げわっぱも天然秋田杉の伐採制限という課題を抱える。 その中で、寺泊山田の曲物がプロの道具としての信頼を築き、修理を前提とした製品づくりを続けてきた点は、使い捨てではない持続可能なものづくりの姿勢として、他の産地とは異なる道を歩んできたと言える。プロユースという限定された市場でこそ、品質の高さが評価され、需要が維持されてきた側面は無視できない。
現在、寺泊山田の曲物製造を担う足立茂久商店では、11代目の足立照久氏が伝統技術を守りつつ、現代の生活に合わせた新たな製品開発にも積極的に取り組んでいる。 その代表的な例が、先代が考案し、大ヒット商品となった「電子レンジで使えるわっぱせいろ」だ。 木の調湿作用を活かしつつ、手軽に蒸し料理を楽しめるこのせいろは、伝統的な曲物の機能性を現代のライフスタイルに接続させた好例だろう。
また、足立氏は「曲輪の球体」と名付けた球状の曲物や、アクリルと組み合わせた花結びなど、インテリアやアートとしての可能性を探る作品も生み出している。 これらの試みは、曲物の用途を広げ、新たな需要を喚起するだけでなく、その造形美を再認識させるきっかけにもなっている。
一方で、伝統的な材料の確保は依然として課題だ。裏漉しに不可欠な馬の毛網の織り手が減少し、入手が困難になった際には、長岡造形大学と協力して技術継承に取り組むなど、外部との連携も模索している。 手作業による少量生産であるにもかかわらず、テレビ番組で紹介されたことで全国的に注目が集まり、現在では製品によっては1年待ちという状況も生まれている。 こうした状況は、伝統工芸品が持つ本質的な価値が、情報化社会において再評価される可能性を示している。
寺泊山田の曲物という一つの手仕事の軌跡を辿ると、そこには単に美しい器が生まれる過程以上のものが見えてくる。それは、漁師や農民の冬の暮らしを支える副業として始まり、やがてプロの厳しい要求に応えることで生き残ってきた、道具としての実用性と信頼性の物語である。全国の曲物産地が直面する課題の中で、寺泊山田が専門性の高い道具に特化し、さらに現代の生活様式に合わせた柔軟な発想で活路を見出してきたことは、偶然ではなく、必然の選択だったと言えるだろう。
削いだ木を曲げ、桜の皮で綴じる。その単純に見える工程の裏には、木材の性質を見極める目と、寸分の狂いも許さない職人の手が、何代にもわたって培ってきた技術が凝縮されている。足立茂久商店の工房に響く木を叩く音は、単なる作業の音ではなく、手仕事が刻む時間そのものの響きなのかもしれない。そして、その道具が今も全国の厨房で使われ、料理人の手になじんでいるという事実が、寺泊山田の曲物が持つ真価を静かに物語っている。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。