2026/5/30
水郷・佐原でマッシュルームが名産になった理由

佐原はマッシュルームが名産だと聞く。なぜここでマッシュルームがよく獲れるのか?
キュリオす
千葉県佐原は「北総の小江戸」として知られるが、日本有数のマッシュルーム生産地でもある。稲作の裏作から始まった栽培は、原料の変化や市場のニーズに対応し、JRAの敷きわらと高度な環境制御技術によって発展した。
千葉県北東部に位置する佐原は、「北総の小江戸」と称される歴史的な町並みが有名だ。小野川沿いには江戸時代からの商家が軒を連ね、水運で栄えた往時の面影を色濃く残している。観光で訪れる人々は、この水郷の風情に心惹かれるだろう。しかし、この歴史ある町が、実は日本有数のマッシュルーム生産地であると聞けば、多くの人は意外に思うかもしれない。風光明媚な水辺の風景と、閉鎖された菌舎で育つキノコの姿は、一見すると結びつきにくい。なぜ、この水郷の町で、マッシュルームがこれほどまでに盛んに栽培されるようになったのか。その背景には、土地の条件、時代の変化、そして人々の選択が複雑に絡み合っている。
佐原が属する香取市は、マッシュルーム生産量において日本一を誇り、国内生産量の約4割を占めるという。この地のマッシュルーム栽培の歴史は、1967年に芳源(よしげん)マッシュルーム株式会社が創業したことに始まる。当初は、缶詰加工用のマッシュルームを生産していたのだ。
当時の香取市を含む千葉県東総地域は、稲作が盛んな土地であった。マッシュルーム栽培に不可欠な培地の主要な原料となる稲わらが豊富に調達できたため、稲作の「裏作」として、多くの農家がマッシュルーム栽培を手掛けるようになったという。1973年頃には、この地域に約200軒から300軒ものマッシュルーム農家が存在し、活況を呈していたとされる。生産者同士が自主的に勉強会を開き、技術向上に努めていたことも記録に残っている。芳源マッシュルームの菅佐原芳夫氏も、18歳の時に地元の生産者のもとで3ヶ月間住み込みで修行し、培地作りの技術を習得したという。
しかし、1970年代後半に入ると、農業の近代化がマッシュルーム産業に大きな転換を迫る。コンバインの普及により、稲わらは短く裁断され、田畑に撒かれるようになったため、培地に適した清潔な稲わらの入手が困難になったのだ。これにより、多くのマッシュルーム農家が廃業に追い込まれ、産業は一時的に衰退した。
芳源マッシュルームも原料不足に直面したが、この危機を乗り越えるため、新たな活路を見出す。茨城県美浦村にある日本中央競馬会(JRA)のトレーニングセンターから、厩舎で使われた敷きわらを調達することに成功したのだ。馬の敷きわらはマッシュルームの培地として非常に適しており、この安定した原料供給源の確保が、同社の存続と発展に大きく貢献した。
さらに1993年には、同社は缶詰原料用から生鮮市場向けへと生産を全面的に切り替え、規模を拡大していく。生鮮マッシュルームは、缶詰用とは異なる品質と鮮度が求められ、より高度な栽培技術と管理体制が必要となる。この転換は、市場のニーズに応えるとともに、佐原のマッシュルームが「肉厚で旨みがぎっしり詰まった」 と評される高品質なブランドを確立する礎となった。
マッシュルーム栽培が佐原で発展した要因は、単に歴史的な経緯や人の努力だけでは説明できない。その核となるのは、マッシュルームというキノコが持つデリケートな性質と、それを最大限に引き出すための「制御された環境」の存在である。
マッシュルームは、他のキノコ類と比較しても特に栽培が難しいとされている。その成長には、厳密な温度、湿度、そして二酸化炭素(CO2)濃度の管理が不可欠なのだ。佐原の主要生産者である芳源マッシュルームは、70棟を超える、あるいは2022年時点で千葉県と茨城県に合わせて88棟の専用施設「菌舎(きんしゃ)」を所有し、この環境制御を行っている。
マッシュルーム栽培の要は「培地(ばいち)」作りにある。これはマッシュルームの成長に必要な栄養分を全て含んだ「母体」とも言える部分だ。芳源マッシュルームでは、JRAから調達した馬の敷きわらを主原料とし、これに鶏糞や石膏、コーヒー豆の搾りかすなどを混ぜ合わせ、発酵させる。この発酵工程は、一次発酵と二次発酵に分けられ、堆肥内の病原菌や害虫を殺菌し、アンモニアを放出させて堆肥を熟成させる重要なプロセスだ。この培地作りの技術は、芳源マッシュルームの創業当初から培われてきたものであり、現在も同社の基礎をなしている。
培地が完成すると、これを栽培ベッドに敷き詰め、マッシュルームの種菌を植え付ける。その後、「覆土(ふくど)」と呼ばれるピートモスなどを一定の厚さに敷く作業が行われる。この覆土が、菌糸が子実体(マッシュルーム本体)を形成するための刺激となるのだ。
栽培期間中、菌舎内では温度が約20℃に保たれ、湿度も精密に調整される。CO2濃度は、マッシュルームのかさが開きすぎたり、収量が減ったりするのを防ぐため、500ppmから2000ppmの間で管理される。これらの環境要因は、センサーと自動制御システムによって24時間体制で監視・調整されており、安定した高品質なマッシュルームの生産を可能にしている。
また、芳源マッシュルームは、栽培における「安心・安全」を重視し、農薬や化学肥料を一切使用しない「完全無農薬栽培」を徹底している。これは、手間と労力を要するが、マッシュルーム本来の豊かな香りと味を守り、消費者に安全な食材を届けるためのこだわりだという。ミネラル豊富な地下水を利用している点も、品質への貢献が大きい。
このように、佐原のマッシュルーム栽培は、自然の恩恵に加えて、高度な技術と徹底した管理によって支えられている。歴史ある水郷の風景からは想像しにくいが、その背後には、最新の設備と職人の技が融合した、現代的な農業の姿があるのだ。
マッシュルーム栽培が盛んな地域は日本各地に存在するが、佐原(香取市)の事例を他の地域と比較することで、その独自性がより鮮明になる。例えば、シイタケやエノキタケといった他のキノコ類は、原木栽培や菌床栽培が主流であり、比較的自然の環境に左右される部分も大きい。しかし、マッシュルームは「ツクリタケ」とも呼ばれるように、人工的な環境制御下での栽培が前提となる。
山形県舟形町のマッシュルーム栽培も、同様にコンポスト製造から収穫まで一貫した工程で行われている。そこでは馬厩肥やコーヒー豆の搾りかすなどが培地に使われるが、佐原(香取市)がJRAのトレーニングセンターから大量の馬の敷きわらを安定的に調達している点は、特筆すべき外部資源の活用例と言える。これは、隣接する異なる産業(競馬産業)から排出される副産物を、別の産業(農業)が有効活用するという、地域資源循環の一つの形を示している。他の地域で同様の規模で馬の敷きわらを確保することは容易ではないだろう。
また、マッシュルームは世界的に見れば非常にポピュラーなキノコであり、特に欧米では日常的に食卓に並ぶ。しかし、日本ではかつて缶詰のイメージが強く、生鮮品としての消費は限定的だったという歴史がある。佐原のマッシュルーム産業が、1993年に缶詰原料から生鮮市場向けに大きく舵を切ったことは、国内の食文化の変化と、それに積極的に対応した生産者の先見性を示している。これは、単に「生産する」だけでなく、「市場を創造する」という視点があったことを意味する。
一般的な農業が、その土地の気候や土壌といった自然条件に強く依存するのに対し、マッシュルーム栽培は、むしろそれらの制約を乗り越えるための「環境制御」が肝となる。佐原が持つ水郷の地形や、かつての稲作地帯という条件は、培地原料の確保という点で初期の優位性をもたらしたが、現代の主要な成功要因は、施設園芸における技術力と、安定した外部資源の確保能力に移行しているのだ。これは、伝統的な農産物の産地形成とは異なるアプローチであり、土地固有の自然条件に加えて、産業間の連携や技術革新が産地を育む好例と言えるだろう。
現在の香取市は、芳源マッシュルーム株式会社を中心に、日本におけるマッシュルーム生産の最前線を走っている。同社は、年間約3,800トンのマッシュルームを生産し、これは国内生産量の約4割を占める規模だ。その生産体制は、千葉県と茨城県に合計88棟の菌舎とパッキング専用施設を擁するまでになっている。
芳源マッシュルームは、肉厚で香りが高く、旨みが凝縮された高品質なマッシュルームを追求している。特に「ジャンボマッシュルーム」や「ギガマッシュルーム」といった大型のマッシュルームは、熟練の技術者が選りすぐったものをじっくりと育てることで生み出される希少品だという。収穫は全て手作業で行われ、一つずつ丁寧に摘み取られ、軸を切り落とし、パックに詰められる。社長の菅佐原芳夫氏は、マッシュルーム栽培を「子育て」と表現しており、その手間暇を惜しまない姿勢が、製品の品質に直結している。
同社は、常に技術革新にも意欲的だ。ヨーロッパの最新設備を導入して培地作りを行うなど、世界のマッシュルーム栽培技術を積極的に研究し、生産現場に取り入れている。また、国内市場の拡大だけでなく、ベトナムにも生産拠点を設けるなど、海外展開にも力を注いでいる。
佐原のマッシュルームは、地元の食文化にも深く根付きつつある。道の駅「水の郷さわら」や「道の駅くりもと」といった施設で販売され、地元のレストランでは、香取市産のマッシュルームを使ったパスタやポタージュ、ステーキなどが提供されている。歴史的町並みを観光する人々が、意外な形で地元の特産品に触れる機会も増えているだろう。
一方で、持続可能な生産に向けた課題も存在する。培地原料であるJRAの敷きわらが、将来的にウッドチップに切り替わる計画があるため、安定的なワラ確保に向けた交渉や、新たな調達先の分散が模索されている。これは、外部資源に依存する産業が常に抱えるリスクであり、今後も生産者は柔軟な対応を迫られることとなる。
佐原がマッシュルームの産地として確立された背景をたどると、一つの発見がある。この地が「水郷の町」として知られるのは、利根川東遷事業によって水運の要衝となり、商業都市として栄えた歴史に由来する。豊かな水は、かつて稲作を支え、マッシュルーム栽培の初期段階で培地となる稲わらをもたらした。しかし、現代の佐原のマッシュルーム産業を支えているのは、水辺の風景そのものの恩恵というよりも、むしろその風景の「裏側」にある、徹底的に制御された人工的な環境と、外部からの資源を巧妙に利用するシステムなのだ。
マッシュルーム栽培は、土壌や気候といった伝統的な農業が直面する自然の制約を、技術と施設によって克服する「工場型農業」の側面を持つ。水郷の町というイメージとは対照的に、マッシュルームの菌舎内は、季節や天候に左右されない安定した生産環境が構築されている。この地でマッシュルームが栄えたのは、単に「水が豊富だったから」ではなく、むしろ、かつて稲作が盛んで培地原料が手に入りやすかったという歴史的偶然と、その後の農業の変化に対応し、JRAの敷きわらという新たな資源を確保する柔軟性、そして何よりも、デリケートなマッシュルームの育成に欠かせない環境制御技術への投資と、それを「子育て」と呼ぶまでになった生産者の情熱が結びついた結果である。
佐原のマッシュルームは、歴史的景観の陰に隠れた、もう一つの現代的な産業風景を提示している。それは、見慣れた土地のイメージを更新し、「なぜ、ここで」という問いの向こうに、人々の創意工夫と適応の物語が広がっていることを示唆している。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。