2026/6/17
豪雪地帯の古民家が「新しい贅沢」を提示できた理由

里山十帖について詳しく教えて欲しい。
キュリオす
新潟県南魚沼市の築150年超の古民家を再生した「里山十帖」。雑誌編集から始まった「本当の豊かさ」の探求が、土地の風土と現代デザインを融合させ、新たな贅沢の形を提案する。
豪雪の里に響く静かな問い
新潟県南魚沼市の山間に分け入ると、雪深い冬には一面の銀世界が広がり、春から秋にかけては豊かな緑に包まれる。その風景の中に、築百五十年を超える古民家を再生した「里山十帖」は佇む。単なる宿泊施設としてではなく、「体験するメディア」として、現代における豊かさとは何かを問いかける場所だ。なぜ、この豪雪地帯の古民家が、国内外から注目を集める「新しい贅沢」の形を提示できたのか。その背景には、一冊の雑誌から始まった探求と、土地の風土に深く根ざした実践がある。
雑誌から宿へ、古民家が語る歴史
里山十帖の物語は、1989年に東京で創業したデザイン会社を前身とする株式会社「自遊人」の歩みと重なる。 代表の岩佐十良は、2000年にライフスタイルマガジン「自遊人」を創刊し、「Ecological. Creative. Organic. We're designing lifestyles.」というテーマを掲げた。 彼は雑誌を通して「本当の豊かさ」を追求する中で、2004年に活動拠点を新潟県南魚沼市へ移す決断をする。 オフィスを大月ほたるの里の目の前に構え、自ら農業法人を立ち上げて米作りを始めるなど、地方での暮らしと食文化に深く関わるようになったのだ。
転機が訪れたのは、南魚沼に移住して8年が経った頃、地域の農家から廃業寸前の温泉旅館の引き継ぎを相談されたことである。 当初、岩佐は乗り気ではなかったというが、その旅館が豪雪に耐え抜いてきた築百五十年の古民家であり、地域でも貴重な「総欅、総漆塗り」の建物であったことが、彼の心を動かした。 魚沼地域には、雪の重みに耐えうる強固な構造を持つ古民家が多く残るが、その維持には多大な労力がかかり、「暗い、寒い、古くさい」という理由で取り壊される例が後を絶たなかった。 岩佐は、この古民家をただ「守る」だけでなく、現代の生活に合う快適性とデザイン性を兼ね備えた宿として再生することで、古民家の新たな価値を提示できると考えたのである。
2014年5月、「宿泊施設は体感メディア」というコンセプトのもと、里山十帖はグランドオープンを迎える。 築百五十年のレセプション棟は、天井高十メートルという開放的な吹き抜け空間を持ち、釘を使わずに組み上げられた太い梁と柱が、豪雪地帯の建築技術の粋を伝える。 リノベーションのテーマは「昔から同じであったかのように」とされ、床・壁・天井のほとんどが刷新されながらも、どこをどう改装したのか分からないほど自然に馴染むよう設計された。 そこに配されたのは、アルネ・ヤコブセンの「エッグチェア」のような世界的なデザイナーの家具や現代アート作品であり、伝統的な空間と現代デザインの融合が、訪れる者に新鮮な驚きを与える。 この再生プロジェクトは、2014年のグッドデザイン賞BEST100およびものづくりデザイン賞、さらには2015年にはシンガポールグッドデザインアワードを受賞するなど、国内外で高い評価を得ることになる。
「Redefine Luxury」という提案
里山十帖が掲げるコンセプトは「Redefine Luxury」であり、「体験と発見こそが、真の贅沢」だという。 その具体的な表現が、「さとやまから始まる十の物語」である。 「食」「住」「衣」「農」「環境」「芸術」「遊」「癒」「健康」「集」の十のテーマを通じて、この土地ならではの豊かな暮らしを提案している。
「食」の領域では、「ローカル・ガストロノミー」をコンセプトに据える。 豪華な高級食材を使うのではなく、半径二十五キロメートル圏内で採れる無農薬・有機野菜や伝統野菜、そして日本有数の米どころである魚沼産コシヒカリを主役に据えた料理が供される。 料理長を務める桑木野恵子は、大学卒業後にエステサロン勤務を経て海外を巡り、ヨガやアーユルヴェーダ、ベジタリアン料理を学んだという異色の経歴を持つ。 彼女は、地域に根付く食文化や風土、雪国の暮らしを肌で感じながら、山で採れる山菜や木の実、ハーブなどを料理に取り入れ、伝統的な発酵・保存食文化を現代の味覚へと昇華させている。 鰹と昆布の出汁を一切使わず、地元でとれる野菜や魚から多様な旨味を引き出す調理法は、ミシュランガイド新潟2020で一つ星、ゴ・エ・ミヨ2021で高評価を獲得するなど、高く評価されている。 特に、土鍋で炊いた南魚沼産コシヒカリは、「煮えばな」と呼ばれる炊き立てのアルデンテ状態で提供され、米そのものがメイン料理として際立つ。
また、「住」においては、築百五十年の古民家を徹底した断熱改修とエアサイクルの導入により、豪雪地帯でも快適に過ごせる空間へと変貌させた。 従来の古民家が抱える「寒さ」という課題を克服し、「暖かくて、明るく、ソファやベッドの似合う」現代的な住空間を実現することで、古民家再生の新たな可能性を示している。 客室はそれぞれ異なる趣向でデザインされ、デザイナーズ家具やアート作品が配されている。
「癒」の要素としては、大沢山温泉の露天風呂「天の川」がある。 日本百名山の一つである巻機山をはじめ、標高二千メートル級の上信越国境の山々を望む絶景が広がり、特に残雪のある春や初冬の景観は息をのむほどだ。 源泉温度は二十七度と低いが、常に源泉を注入し続けることで、湯の花が舞う「ツルツル・ヌルヌル」とした肌触りの湯を維持している。 皮膚病に効能があるとされ、「美肌の湯」としても知られている。
他の古民家再生との比較
日本各地で古民家を再生した宿泊施設は増えているが、里山十帖のアプローチは、その中でもいくつかの点で異彩を放つ。例えば、九州の黒川温泉郷には、鄙びた田舎風景に溶け込む古民家の宿が多いが、その多くは新潟県から移築されたものである。 雪深い新潟では、豪壮な古民家が雪の重みに耐えうる構造を持つがゆえに、解体される際に移築材として重宝されてきた歴史があるのだ。 しかし、新潟県内では、古民家を宿泊施設として再生する動きは長らく見られなかった。
里山十帖は、この「新潟では壊される一方」という状況に対し、現地で、しかも「寒い」という最大の課題を解決しながら古民家を再生した点で、他の地域における古民家移築とは一線を画する。 徹底的な断熱改修とエアサイクルの導入は、ドイツや北欧の住宅を参考に、豪雪地帯の古民家を現代の快適な住空間へと変貌させるための具体的な技術的解決策であった。 これにより、巨大な吹き抜け空間を持つ古民家が、床暖房なしでも暖かく保たれるという、雪国の人々が抱く古民家への先入観を覆す体験を提供している。
また、里山十帖が単なる宿泊施設ではなく「体験するメディア」と位置付けられている点も、一般的な古民家宿とは異なる。 多くの古民家宿が、古き良き日本の情景や伝統的な暮らしの「雰囲気」を追求するのに対し、里山十帖は「Redefine Luxury」という明確な哲学のもと、「食」「住」「農」「芸術」など多岐にわたる「十の物語」を通じて、ゲストに新たな価値観や発見を促すことを重視している。 料理においても、単に郷土料理を提供するだけでなく、地域で採れる旬の食材を最大限に活かし、現代的な解釈を加えた「ローカル・ガストロノミー」を追求する。 これは、地元の食文化を「守る」だけでなく、「創造的に進化させる」という姿勢の表れだと言えるだろう。
さらに、運営会社である自遊人が、もともと雑誌出版社であるという背景も、里山十帖の独自性を形作っている。 雑誌で培った編集力や情報発信のノウハウが、宿のコンセプト作りや体験プログラム、さらには空間デザインにまで活かされている。 宿自体が情報発信の媒体となり、訪れるゲスト一人ひとりが「感じる、考える、発信する」ことで、新たなムーブメントを生み出すことを目指しているのだ。 このように、里山十帖は古民家再生という枠組みを超え、地域文化の再評価、持続可能なライフスタイルの提案、そして新たなメディアとしての機能までを包含する、複合的な試みとして成り立っている。
十の物語が織りなす現代の里山
里山十帖は、その開業から十年余りを経て、南魚沼の里山に息づく様々な「物語」を紡ぎ続けている。宿泊棟はメインの古民家を中心に五つの建物から成り立ち、それぞれに異なる趣向が凝らされている。 客室は巻機山を望むマウンテンビューと、森の景色を楽しむフォレストビューに分かれ、一部には露天風呂付きの部屋も用意されている。
また、里山十帖の敷地内では、自然観察ツアーや発酵部屋の見学ツアーなど、季節に応じたアクティビティが毎日実施されている。 雪国ならではの伝統的な保存方法である雪室や、様々な素材が発酵・漬け込みされている「発酵部屋」を見学することで、この地の暮らしの知恵に触れることができる。 稲刈りや田植えといった農作業体験も行われ、お米と宿が切っても切れない関係にあることを体感できるイベントとして、大人から子供までが参加できるよう工夫されている。
近年では、里山十帖の新たなプロジェクトとして、南魚沼地域に残る貴重な古民家を一棟ずつ再生する「THE HOUSE Project」も展開されている。 2021年に「IZUMI」、2023年には「SEN」、そして2024年には「KIROKU」と、一日一組限定の一棟貸し宿が順次オープンしている。 これらの施設も、築百年から百五十年を超える古民家をフルリノベーションし、現代的な快適さを備えつつ、その土地の歴史や風土を深く感じられる空間となっている。 例えば「KIROKU」は、天女伝説が残る巻機山を望む木六神社の神主の家であった古民家を再生し、境内に続く外気浴テラスを備えたサウナを設けるなど、その土地固有の要素を体験価値へと昇華させている。
里山十帖の敷地内には、ライフスタイルショップ「THEMA」も併設されており、宿で使用されているデザイン家具や料理道具、器、アメニティ、さらにはオーガニックの食品などが販売されている。 滞在中に体験した「豊かさ」を自宅でも再現できるよう、厳選された品々が並ぶ。 アメニティには馬毛と竹でできた歯ブラシや温泉水と米ぬかで作られた石鹸など、環境に配慮した天然素材のものが選ばれ、使い捨てを減らすために持ち帰りを推奨しているという。 こうした細部にわたる配慮も、里山十帖が掲げる「Redefine Sustainability」というコンセプトを体現する一環である。
土地に根ざす豊かさの再定義
里山十帖の取り組みは、単に古民家を再生し、地方に新たな宿泊施設を設けるという表層的な話に留まらない。それは、「真に豊かな暮らしとは何か」という根源的な問いを、土地の風土と文化、そして現代のデザインと技術を交差させることで再定義しようとする試みだと言える。
「Redefine Luxury」「Redefine Sustainability」という言葉が示すように、里山十帖は、物質的な豪華さや過剰なサービスではなく、その土地ならではの「体験」や「発見」にこそ価値を見出している。 豪雪という厳しい自然条件の中で育まれた知恵や、そこでしか育たない食材、そして何世代にもわたって受け継がれてきた古民家の構造そのものが、現代において「贅沢」となり得ることを提示している。 都会の喧騒から離れ、里山の静寂の中で、土地の恵みを味わい、歴史ある建築に身を置くことで、ゲストは自身の五感を研ぎ澄まし、日常では見過ごしがちな豊かさに気づかされる。
古民家再生においても、単なるノスタルジーに浸るのではなく、徹底した断熱や現代的な家具の導入によって、過去と現在、和と洋を共存させることで、古民家が「暗くて、寒くて、古くさい」という通念を打ち破った。 これにより、古民家が持つ普遍的なデザイン性や、豪雪に耐えうる構造の美しさが、新たな視点から再評価されるきっかけを生み出している。
里山十帖が提唱する「十の物語」は、食や住といった具体的な要素だけでなく、環境や芸術、そして「集う」という共同体的なテーマにまで及ぶ。 地方の「ファインダイニング」のあり方や、行き過ぎた資本主義社会における地方の役割を考えるイベントを開催するなど、単なる観光業の枠を超え、社会的な問いを投げかける「リアルメディア」としての役割を担っている。 この場所が提供するのは、一過性の非日常ではなく、土地に根ざし、持続可能な「真の豊かさ」とは何かを、訪れる者一人ひとりに問いかけ、そして共に考える機会なのである。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。
参考
- Concept:Redefine Sustainability – 里山十帖satoyama-jujo.com
- 【珠玉のコース料理×ペアリング<第6弾>】二十四節気・七十二候。里山十帖で移り変わる里山の旬を感じ取る。/南魚沼市|新潟県観光協会公式ブログ たびきち|【公式】新潟県のおすすめ観光・旅行情報!にいがた観光ナビniigata-kankou.or.jp
- 添乗員が語る「里山十帖」のこだわりと魅力|三越伊勢丹ニッコウトラベルmin-travel.co.jp
- 里山十帖 - 宿泊予約 - 一休.comikyu.com
- 入住古宅與大師名椅相伴,日本里山十帖 - Satoyama Jujo|MOT TIMES 明日誌mottimes.com
- 築150年の古民家を快適にリノベーション。グッドデザイン賞受賞の古民家の宿『里山十帖』 | 美食コンシェルジュの道明寺さくらの美味しい毎日ameblo.jp
- 日本の原風景を感じて、暮らすように旅をする――「里山十帖 THE HOUSE SEN」を訪ねて | 人生を豊かにする東京ウェブマガジン Curiosityr100tokyo.com
- 古民家宿「里山十帖」創業者が語る、人の心をつかむサステナブルツーリズムtimeout.jp