2026/6/14
土のない石段でわさびはなぜ育つ?天城の湧水と「畳石式」の秘密

畳石式わさび田を代表するわさび栽培は、砂と石と水しか無いように見える。わさびは何を栄養にして成長しているのか?どういう仕組み?
キュリオす
有東木や伊豆のわさび田は土がなく、石と水だけで構成される。しかし、わさびは湧水に含まれるミネラルと溶存酸素を栄養源とし、石積みの緻密な濾過構造で成長する。この「畳石式」は、地形の制約と水害への対抗から生まれた知恵である。
無機質な石の階段を流れるもの
伊豆・天城峠を越え、中伊豆の筏場(いかだば)へと足を踏み入れると、そこにはおよそ農業のイメージからはかけ離れた光景が広がっている。急峻な谷の斜面を埋め尽くすのは、整然と積まれた石垣の階段だ。どこを見渡しても、ふかふかとした黒土や、青々と茂る雑草の姿はない。あるのは、濡れて黒光りする無数の石と、その間を縫うように、あるいは表面を覆うように滑り落ちる透明な水だけである。
この「畳石式(たたみいししき)」と呼ばれるわさび田を初めて目にした者は、一様に同じ疑問を抱くはずだ。植物が育つために不可欠なはずの土が、ここには存在しない。わさびは、この無機質な石と砂の層に根を張り、ただ流れてくる水に身を任せている。肥料を大量に撒いている様子もなく、周囲の森から腐葉土が流れ込んでいる風でもない。
「水が綺麗だから育つ」という説明は、耳に心地よいが、科学的な答えとしては不十分だろう。純水に近いほど透明な水には、本来、植物を大きく育てるほどの栄養素は含まれていないはずだからだ。それなのに、わさびはここで1年以上の歳月をかけて、あの独特の辛みと粘り、そして拳ほどの太さを持つ根茎を蓄えていく。
砂と石と水。この三つしかないように見える極限の環境で、わさびはいったい何を食べて生きているのか。その謎を解く鍵は、石積みの内部に隠された緻密な濾過構造と、天城の山々が数十年かけて濾し出した湧水の「呼吸」にある。
泥を捨て、石を選んだ男の執念
わさび栽培の歴史を紐解くと、今の「畳石式」が完成したのは、それほど古いことではない。わさび栽培そのものは、約400年前の江戸時代初期、静岡市の有東木(うとうぎ)地区で始まった。当時の栽培方法は、渓流の浅瀬に砂利を敷き、自生に近い状態で育てる「地沢式(じざわしき)」や、さらに原始的な「地底(じぞこ)植え」と呼ばれるものだった。
伊豆にわさびが伝わったのは1744年、天城湯ヶ島の山守・板垣勘四郎が有東木から苗を持ち帰ったのがきっかけとされる。しかし、当初の伊豆のわさび栽培は苦難の連続だった。天城の地形は険しく、一度台風が来れば、沢を流れる濁流がせっかく植えたわさびも、それを支える砂礫も、すべて根こそぎ海へと押し流してしまった。当時の農家にとって、わさび栽培は博打に近いものだったという。
転機が訪れたのは明治25年(1892年)頃のことだ。伊豆市原保(わらぼ)の平井熊太郎(ひらいくまたろう)という男が、それまでの常識を覆す新しい田の構造を考案した。彼は石工としての技術を背景に、わさび田の内部に巨大な石を組み上げ、その上に段階的に小さな石、砂を重ねていく複層構造を編み出した。これが「畳石式」の原型である。
熊太郎が目指したのは、単に水を通すことではなく、水の「暴力性」を制御しつつ、その「恩恵」を最大限に引き出すことだった。彼は、わさびが病気に弱い原因が、水の停滞と、それによる根の酸欠にあることを見抜いていた。石を積み、あえて大きな隙間を作ることで、大量の水を地中深くへと浸透させ、同時に古い水と新しい水を常に入れ替える。この構造によって、わさびの根は常に新鮮な酸素に触れ続けることが可能になった。
この技術は、当初は一部の農家が秘匿するものだったが、1958年(昭和33年)の狩野川台風による壊滅的な被害が、皮肉にもその普及を後押しすることになる。大規模な復旧工事の際、水害に強く、かつ収穫量の多い「畳石式」が標準的なモデルとして採用され、現在の伊豆を象徴する景観が完成した。今、私たちが目にする石の階段は、天災という理不尽な力に対抗するために積み上げられた、人智の集積体なのである。
栄養の正体は、水そのものの呼吸にある
さて、冒頭の問いに戻ろう。土のないわさび田で、わさびは何を栄養にしているのか。結論から言えば、わさびは「水そのもの」を肥料として食べている。正確には、湧水の中に溶け込んでいる微量なミネラルと、水が含む「溶存酸素」こそが、わさびの巨大なエネルギー源となっている。
一般的な農作物は、土壌に含まれる窒素、リン、カリウムといった養分を根から吸収する。しかし、水わさびの場合、栽培過程で肥料を大量に投入することはほとんどない。天城山の安山岩層を数十年かけて通り抜けてきた湧水には、岩石から溶け出したケイ酸やカルシウム、マグネシウムといった無機成分が、絶妙なバランスで含まれている。これらは、人間が飲むミネラルウォーターとしては微量だが、24時間365日、絶え間なく根に供給され続けることで、植物の骨格を作り上げるのに十分な量となる。
しかし、ミネラル以上に重要なのが酸素だ。植物の根も人間と同じように呼吸をしている。土に植えられた植物は、土の隙間の空気から酸素を取り出すが、水中に浸かった根は、水に溶けている酸素(溶存酸素)に頼るしかない。水温が上がると水中の酸素量は減り、根はたちまち窒息して腐ってしまう。これが、わさびが冷たく、かつ動いている水を好む最大の理由だ。
畳石式の構造は、この酸素供給システムを極限まで高めている。わさび田の断面を見ると、一番下には直径数十センチの大きな石が積まれ、その上に中くらいの石、小石、そして表面に砂礫が敷かれている。水は表面を流れるだけでなく、この石の層を垂直に通り抜け、内部に張り巡らされた「暗渠(あんきょ)」と呼ばれる水路を通って排出される。
この「濾過」のプロセスが、水に激しい動きを与え、空気を巻き込ませ、酸素濃度を常に飽和状態に保つ。さらに、わさび自体が排出する「アリルイソチオシアネート」という辛み成分は、実は他の植物の成長を阻害する毒素(アレロパシー)でもあるのだが、畳石式の激しい流水は、この毒素を根元に留めさせることなく、即座に洗い流してしまう。
つまり、わさび田とは「巨大な浄水器」であり、同時に「人工肺」でもある。わさびは栄養を蓄えられた土から奪うのではなく、通過していく水のエネルギーを、その都度掠め取るようにして成長しているのだ。
地形が規定する、もうひとつの解
わさび栽培の仕組みを理解するために、他の地域の事例と比較すると、伊豆の「畳石式」がいかに特殊な進化を遂げたかが浮き彫りになる。
代表的な比較対象は、長野県安曇野市の「平地式(へいちしき)」だ。日本最大のわさび農場として知られる大王わさび農場などがこの形式を採用している。安曇野のわさび田は、伊豆のような急峻な石垣ではない。北アルプスの雪解け水が扇状地の末端で湧き出す平坦な土地を、1〜2メートルほど掘り下げて作られている。
安曇野の平地式は、圧倒的な「量」の伏流水を背景にしている。伊豆が「限られた水を効率よく循環させるために石を積む」のに対し、安曇野は「溢れ出す大量の水を平地で捌く」という思想に近い。地質も異なる。伊豆が火山の岩石(安山岩)による石積みを主軸にするのに対し、安曇野は砂礫層が厚く、砂の浄化能力を最大限に活かしている。このため、安曇野のわさびは伊豆産に比べて根茎が大きく育ちやすい傾向にあるが、水温管理の難易度は平地の方が高い。
また、島根県や東京都奥多摩地方で見られる「地沢式」や「渓流式」との対比も興味深い。これらは自然の沢の勾配をそのまま利用し、石で囲った区画に砂を敷く方法だ。畳石式に比べると構造が単純で、築田コストは低い。しかし、水量の変化に弱く、大雨が降れば砂が流出し、日照りが続けば水温が急上昇する。
これらの比較から見えてくるのは、伊豆の「畳石式」が、決して「最高の贅沢」として選ばれたわけではないという事実だ。むしろ、天城という「急峻すぎて平地がない」「雨が多すぎて沢が暴れる」という過酷な地形条件を克服するために、消去法的に選ばれ、磨き上げられたサバイバル技術だったのである。
大規模な平地を持たない伊豆の民が、垂直方向の空間を「石のフィルター」として活用することで、面積あたりの収益性を極限まで高めた結果が、あの美しい階段状の風景なのだ。安曇野が「水の豊かさ」の象徴だとすれば、伊豆は「水の制御」の象徴であると言える。
継承される石の記憶と、現代の歪み
現在、伊豆のわさび栽培は「静岡水わさびの伝統栽培」として世界農業遺産に認定されている。しかし、その足元では、かつてない変化が起きている。
まず、維持管理のコストが、もはや個人の農家の手に負えなくなりつつある。畳石式のわさび田は、一度作れば終わりではない。大雨が降れば石垣の隙間に泥が詰まり、濾過能力が落ちる。すると、わさびの根が腐り始める。農家は定期的に砂をすべて掻き出し、石を洗い、再び積み直す「砂替え」という重労働を繰り返さなければならない。
さらに、気候変動による水温の上昇が追い打ちをかける。わさびの生育に最適な水温は13度から15度。これが16度を超えると、軟腐病などの病害が多発する。かつては天城の深い森が水を冷やし、安定した湧水を供給していたが、近年の猛暑やゲリラ豪雨は、そのバランスを確実に崩し始めている。
現地を歩くと、崩れたまま放置された石垣や、モノレールが錆びついたわさび田を時折見かける。石を積む技術を持つ職人も減り、5メートルを超えるような高石垣の修復には、数百万単位の費用がかかることもある。世界農業遺産という華やかな称号の裏で、この緻密なエコシステムは、極めて危うい均衡の上に立っている。
それでも、中伊豆の筏場や湯ヶ島には、今も20代、30代の若手農家たちが石を積み、苗を植え続ける姿がある。彼らはドローンを用いた生育管理や、SNSでの直接販売といった現代的な手法を取り入れつつも、根幹にある「石と水の関係」だけは、明治の平井熊太郎が残した型を忠実に守っている。彼らにとって、わさび田は単なる農地ではなく、先祖から受け継いだ「巨大な精密機械」のようなものなのだろう。
「通過」という豊かさの形
わさび田の風景を眺めていると、私たちが普段信じている「豊かさ」の定義が揺らぐのを感じる。
通常の農業は、土という「ストック」を豊かにすることを目指す。堆肥を入れ、耕し、栄養を蓄積させる。しかし、わさび田には蓄積がない。そこにあるのは、ひたすらな「フロー」である。上流から来た水は、わさびの根を洗い、酸素と微量の栄養を分け与え、不純物を濾過され、そして何事もなかったかのように下流へと去っていく。
わさびは、その通過していく流れの中から、生命を維持するのに必要な最小限のものだけを、ごく静かに受け取っている。所有せず、留めず、ただ流れるものと共生する。このストイックなまでの清潔さが、あの透明感のある辛みを生んでいるのだとしたら、わさびの味とは「無」を組織化した結果なのかもしれない。
砂と石と水。それしかない場所でわさびが育つ理由は、そこが「何もない場所」だからではなく、世界で最も「純度の高い交換」が行われている場所だからだ。
石の隙間を水が潜り抜ける音を聞きながら、わさび田を後にする。振り返れば、夕闇に沈み始めた天城の谷に、無数の石垣が鈍い光を放っている。それは、自然を力でねじ伏せるのではなく、自然の循環の中に「石のフィルター」という自らの居場所をそっと差し込んだ、人間の知恵の痕跡そのものであった。
伊豆のわさび田には、土はない。しかし、そこには400年の歳月をかけて磨かれた、水と石の対話が、今も休むことなく流れ続けている。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。
参考
- 栽培の歴史 | 世界農業遺産・日本農業遺産 静岡水わさびの伝統栽培shizuoka-wasabi.jp
- 新米わさび農家の嫁が語る【畳石式わさび田とは】|浅田恵子@静岡伊豆note.com
- 【エビちゃん日記】 残すべき「世界の農業遺産」-ワサビを! | 株式会社フルーツバスケットfruitbasket.jp
- maff.go.jp
- 美しい景観にも注目。世界農業遺産認定の静岡水わさびの伝統栽培。 | 【公式】静岡県ガストロノミーツーリズム | 美味らららshizuoka-gastronomy.jp
- ワサビを育む自然環境を明らかにし、わさび田を後世に残したい! | academistacademist-cf.com
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