2026/6/2
牛久大仏はいつからある?120mのブロンズ像の建立背景

牛久の大仏はいつからあるの?めっちゃでかい
キュリオす
茨城県牛久市に立つ全高120mの牛久大仏は、1993年に完成した。浄土真宗の開祖・親鸞聖人の教えを現代に伝える象徴として、また多くの人々に仏の慈悲を感じてもらうために建立された。阿弥陀如来の「十二の光明」にちなみ120mの高さが選ばれた。
茨城県牛久市を車で走っていると、不意に視界に飛び込んでくる巨大な像がある。広がる関東平野の向こうに、青銅色の仏像が立ち上がるその姿は、初めて目にする者には現実離れした光景だろう。その高さは120メートルに及び、台座を除いた像高だけでも100メートルを数えるという。この途方もないスケールの「牛久大仏」は、一体いつ、なぜこの地に建立されたのか。
牛久大仏の建設構想は1983年(昭和58年)に着手され、1986年(昭和61年)に着工、そして1993年(平成5年)に完成した。 事業主体となったのは、浄土真宗東本願寺派本山東本願寺である。
この巨大な阿弥陀如来像が造られた背景には、浄土真宗の開祖である親鸞聖人との深い縁がある。親鸞は、後鳥羽上皇の怒りを買って越後国(現在の新潟県)に流罪となった後、赦免されてから常陸国(現在の茨城県)に入り、約20年間をこの地で布教活動に費やしたとされているのだ。 笠間市の西念寺など、茨城県内には親鸞ゆかりの地が今も多く残る。 牛久大仏は、親鸞の教えを現代に伝える象徴として、また多くの人々に仏の慈悲を感じてもらう「目に見える教え」として建立されたという側面を持つ。
牛久大仏の全高120メートルという数字には、明確な理由がある。阿弥陀如来が放つとされる「十二の光明」にちなんで、120メートルという高さが選ばれたのだ。 この像は、浄土真宗東本願寺派の霊園である「牛久浄苑」の敷地内に建てられている。 牛久浄苑は、単なる霊園ではなく、大仏を中心に浄土庭園や小動物公園、花畑などを併設した複合型の大規模公園墓地として計画された。
その建設には、約80億円の費用と10年間の歳月が投じられたとされる。 交通の便が良いことも建設地選定の理由の一つだった。JR常磐線や常磐自動車道、そして圏央道が近くを通ることで、より多くの人が訪れやすい場所として牛久が選ばれたという。
牛久大仏は、全高120メートル(像高100メートル、台座20メートル)という規模から、ブロンズ製立像としては世界最大としてギネス世界記録に認定されている。 この大きさは、奈良の大仏(像高14.98メートル)が掌に乗ってしまうほどだという形容がしばしば用いられる。 日本には他にも多くの巨大な仏像や観音像が存在するが、牛久大仏のスケールは群を抜いている。
例えば、坐像としては福井県の越前大仏が像高17メートルで日本一とされ、涅槃像では福岡県の釈迦涅槃像が全長41メートルで世界最大級のブロンズ製である。 また、観音像では宮城県の仙台大観音が高さ100メートルを誇る。 これらの像の多くが、特定の宗教的背景や地域振興、あるいは個人の信仰心によって建立されたという共通点を持つ。しかし、牛久大仏の特異性は、その圧倒的な「ブロンズ製立像」としての高さと、それが複合霊園という形で現代の社会機能と結びついている点にあるだろう。 他の大仏が、その土地の歴史や自然と一体となって築かれてきたのに対し、牛久大仏は、より明確な意志と計画のもとに、現代の技術をもってその姿を現したと言える。
牛久大仏は、現在も「牛久阿弥陀大佛」として、浄土真宗東本願寺派本山東本願寺によって管理・運営されている。 胎内は5層構造になっており、見学者は内部に入ることができる。 1階の「光の世界」から始まり、写経体験ができる「念仏の間」、約3,300体の胎内仏が並ぶ「蓮華蔵世界」、そして地上85メートルの高さにある展望台「霊鷲山の間」からは、関東平野を一望できる。 天候の良い日には富士山や東京スカイツリーまで見渡せるという。
大仏の足元には、極楽浄土をイメージした広大な浄土庭園が広がり、四季折々の花々が咲き誇る。 春にはポピーやかすみ草、夏には紫陽花、秋にはコスモスなどが楽しめるという。 また、園内にはうさぎやヤギと触れ合える小動物公園も併設されており、宗教的な施設でありながら、家族連れも楽しめる観光スポットとして機能している。 仲見世では地元の名産品が並び、食事処も充実している。
牛久大仏の巨大さは、単に数字の上での記録に留まらない。それは、見る者に畏敬の念を抱かせると同時に、現代における宗教のあり方、あるいは人間の創造性の極限を問いかけているようにも見える。親鸞聖人の教えを広めるという明確な目的のもと、最新の技術と膨大な資材を投じて造られたこのブロンズ像は、古くから存在する奈良や鎌倉の大仏とは異なる文脈で成立している。
多くの大仏が長い年月をかけて地域の信仰や文化に溶け込んできたのに対し、牛久大仏は、ある意味で「現代のプロジェクト」として、短期間でその姿を完成させた。その巨大な体躯は、遠くからでもその存在を主張し、訪れる人々には内部からの展望や、仏教世界を体感する機会を提供する。それは、単なる信仰の対象であるだけでなく、ランドマークであり、観光資源であり、そして現代の技術と信仰心が交錯する具体的な風景として、そこに立っている。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。