2026/6/4
船橋の海は今もホンビノスガイやスズキを育む

船橋はかつては良港だったと知った。今の主な海産物は?
キュリオす
かつて良港として栄えた船橋。埋め立てで姿を変えた東京湾奥部の三番瀬では、現在もホンビノスガイ、スズキ、コノシロ、そして高品質な海苔が水揚げされている。変化に対応し、海の恵みを未来へ繋ぐ漁業の営みを紹介する。
東京湾の奥部に位置する船橋市は、京葉工業地帯の一角を占める大規模な都市である。JR船橋駅周辺の喧騒や、広大な埋め立て地に広がる商業施設群を目にするたび、この地がかつて「良港」として栄えたという話に、どこか現実離れした響きを感じる読者もいるだろう。しかし、その記憶は歴史の中に確かに刻まれている。現代の船橋において、かつての豊かな海はどのような姿を見せ、どのような海産物を育んでいるのか。その問いは、都市の発展と海の変容を同時に見つめることになる。
船橋の海がその名を馳せたのは、江戸時代にまで遡る。徳川家康がこの地を訪れた慶長年間(1596-1615年)には既に漁業が営まれており、元和元年(1615年)には、船橋浦は将軍家へ新鮮な魚介類を献上する「御菜浦(おさいのうら)」に指定された。漁師たちは魚を納める代わりに、広大な漁場の占有を許されていたという。この特権は、船橋の漁業が幕府の食を支える重要な役割を担っていた証左である。
当時の主要な漁場は、現在「三番瀬(さんばんぜ)」と呼ばれる東京湾最奥部の干潟・浅海域だった。三番瀬は、潮流や干満が豊かな海として知られ、江戸の人口増加に伴う魚介類の供給地としても機能した。元禄16年(1703年)の『御菜御肴差上通』という記録には、将軍家に献上された魚の種類と数が記されており、石ガレイ、コチ、キス、イナ、ナヨシ、ホウボウ、アジといった多岐にわたる魚種が獲られていたことがわかる。また、アサリやバカガイなどの貝類も豊富であった。中世には既に船橋港が鎌倉道の起点であった可能性も指摘されており、その頃から海上交通と物資の集積地としての性格を持っていたようだ。明治時代になっても、船橋市役所周辺には干潟が広がり、水産業は地域の主要産業の一つであった。昭和30年代には海苔養殖が全国でも指折りの生産枚数を誇り、漁獲高も増加していた時期があった。
船橋の海が大きく変貌を遂げるのは、戦後の高度経済成長期からである。昭和20年代以降、都市の発展と工業化を目的とした大規模な埋め立て事業が急速に進められた。特に昭和40年代には、京葉臨海工業地帯の造成や港湾整備のために広大な海面が埋め立てられ、かつての豊かな漁場は大きく姿を変えていった。これにより、船橋漁業協同組合は1962年(昭和37年)に漁業権の一部を放棄し、1973年(昭和48年)には全面放棄に至っている。
埋め立てによる漁場の縮小に加え、首都圏の人口増加に伴う海水汚染も漁業に深刻な影響を与えた。特に、夏季から秋季にかけて発生する「青潮(あおしお)」と呼ばれる貧酸素水塊は、海底の生物に甚大な被害をもたらし、漁獲高を大きく左右する要因となっている。また、利根川上流での大雨の際に江戸川放水路が開放されると、ヘドロ化した汚泥が三番瀬に流れ込み、貝類が死滅する被害も報告されている。これらの環境変化は、かつて当たり前のように獲れていた魚介類の種類や量に大きな影響を与え、漁業のあり方を根本から変えることになった。
東京湾沿岸の多くの地域で漁業が衰退する中、船橋の漁業が特筆されるのは、東京湾奥部で唯一、今も本格的な操業が行われている漁業地帯であるという点だ。これは、三番瀬という貴重な干潟・浅海域が残されたことと、漁業者たちの努力によるところが大きい。
他の東京湾沿岸都市、例えば浦安市や市川市も、船橋と同様に高度経済成長期に大規模な埋め立てが進み、多くの漁業権が放棄された歴史を持つ。しかし、これらの地域では伝統的な漁業の規模は大幅に縮小し、観光業やレクリエーションが前面に出るようになった。対して船橋は、埋め立てによる漁場減少や環境変化に直面しながらも、漁業を産業として維持し続けてきた。これは、三番瀬が持つ生態系の多様性と、スズキやコノシロといった回遊魚の生育場としての機能が、埋め立て後も一定程度保たれたためとも考えられる。また、外来種であるホンビノスガイが東京湾に定着し、青潮にも強いという特性が、アサリの不漁を補う形で漁業を支える一因となった点は、他の地域の事例とは異なる適応の形と言えるだろう。漁業権の全面放棄後も、漁業協同組合は限られた漁場での操業を継続し、資源管理や環境保全活動にも積極的に取り組んできた。
現在の船橋漁港で水揚げされる主な海産物は、過去とは異なる顔ぶれを見せつつも、その豊かさを保っている。特に注目されるのは、以下の三点だろう。
第一に、ホンビノスガイである。北米原産の外来種だが、東京湾で繁殖し、近年では漁獲量が増加している。ハマグリのような肉厚な食感と旨味があり、クラムチャウダーや酒蒸し、浜焼きなどで親しまれている。青潮の影響を受けにくい生命力の強さも、安定供給に繋がっている。第二に、スズキとコノシロだ。船橋はこれら二魚種において、日本一の水揚げ量を誇る漁港である。特にコノシロは、成長とともにシンコ、コハダ、ナカズミと名を変える出世魚として知られ、最近ではつみれやさんが焼きなどの加工品としても活用されている。これらは小型底引網漁業や小型まき網漁業で漁獲される。第三に、海苔(のり)養殖である。冬場に盛んに行われる海苔養殖は、船橋の漁業の特色の一つであり、伝統的な「竹ひび式」と呼ばれる方法で育てられた「船橋三番瀬海苔」は、その味と香りが全国でもトップクラスと評され、地域ブランドとして確立されている。
船橋市漁業協同組合は、これらの海産物のブランド化に力を入れており、漁港内には水産物直売所「三番瀬みなとや」を設け、獲れたての魚介類や加工品を販売している。また、毎月第3土曜日には「船橋漁港の朝市」が開催され、新鮮な海の恵みが市民に届けられている。
船橋がかつて「良港」であったという認識は、現代の都市景観からは想像しにくいかもしれない。しかし、都市化の波に洗われ、埋め立てによってその姿を大きく変えながらも、船橋の海は「三番瀬」という干潟を中心に、独自の漁業文化と生態系を維持してきた。江戸時代に将軍家の「御菜浦」として栄えた歴史から、戦後の埋め立てと環境変化を経て、現代ではホンビノスガイやスズキ、コノシロ、そして高品質な海苔の産地として、新たな価値を見出している。
この地の漁業は、単に資源を採取するだけでなく、青潮監視や干潟の保全活動、漁業体験の提供などを通じて、海と人との関係性を再構築しようとしている。それは、失われた過去の「良港」を嘆くのではなく、残された海の恵みを最大限に活かし、未来へと繋ぐための、地道で力強い営みである。船橋の漁港に立つとき、潮風と共に運ばれてくるのは、単なる海の匂いではなく、変化に対応し、生き抜いてきた人々の歴史と、現代の海が持つ静かな熱量なのだろう。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。