2026/5/24
幕内土俵入りで力士が集まってしている所作はなに?

相撲で、幕内土俵入りの時に、みんなで土俵の上で輪になってなんか手を上げてる所作があるが、あれは一体何をしているのか。
キュリオす
幕内土俵入りで力士たちが輪になり手を上げる所作は、古来より伝わる神事としての相撲の伝統を受け継ぐものです。武器を持たず正々堂々と闘う誓いや、土俵を清める意味が込められています。
幕内土俵入りにおける力士たちの一連の動作は、古くからの神事としての相撲の伝統を受け継ぐ、意味深い所作の集合体である。まず、土俵の縁に沿って円形に並んだ力士たちは、全員が内側を向いた後、一度だけ手を打つ。これは「柏手(かしわで)」と呼ばれるもので、本来は「塵浄水(ちりちょうず)」という所作を簡略化したものだという。塵浄水は、相撲の取組前に蹲踞(そんきょ)の姿勢で手を揉み、柏手を打った後に両腕を左右に開いて手のひらを相手に見せる動作を指す。これは、手に武器を持たず、正々堂々と素手で闘うことを誓う意味と、体を清める意味が込められているとされる。
柏手の後、力士たちは右手を少し上げる動作に移る。これは「三段構え」のうちの「上段の構え」を表すものとされている。三段構えとは、相撲の儀式における上段・中段・下段の三つの構えを指し、上段の構えは心身の準備が整った「本然の体」を示すものだ。
次に、両手で化粧回しをわずかに持ち上げる所作がある。これは、本来であれば土俵上で邪気を払うために行う「四股(しこ)」を踏む動作を簡略化したものと言われている。
そして、最後の「両手を上げる」動作。これは、四股を踏んだ後の「せり上がり」という動作の省略形であり、同時に「武器を持っていません」という丸腰のアピールでもある。 近年では、この両手を上げる動作が「万歳」のように高らかに掲げられる傾向もあるが、元来は肘を軽く曲げた状態で静かに上げるものだったようだ。
現在の幕内土俵入りの形式が確立されたのは、比較的近年のことである。相撲が神事として始まったのは平安時代以前とされ、その年の豊作を占う祭りの儀式として行われてきた。 江戸時代に入ると、勧進相撲が盛んになり、庶民の娯楽として定着していく中で、土俵入りの様式も変化していった。
江戸時代の錦絵には、横綱土俵入りと同様に、幕内力士たちが土俵で実際に四股を踏む姿が描かれている。 当時は幕内力士の人数が少なく、一度に土俵に上がるのが十人に満たないこともあったため、個々の力士が正式な四股を踏むことが可能だった。例えば、雷電爲右エ門が活躍した時代には、平幕の力士は五枚ほどしかおらず、三役を含めても一度に土俵入りする力士は八人程度だったという。
しかし、時代が下り、相撲の人気とともに力士の数が増加すると、一度に土俵に上がる人数も増えていった。現在では幕内だけでも二十人前後、十両でも十二人から十六人もの力士が土俵に上がるため、全員が本格的な四股を踏むには土俵上のスペースと時間の制約が大きくなった。 このような背景から、江戸時代までの丁寧な所作は、現代の柏手、右手を上げる、化粧回しを持ち上げる、そして両手を上げるという一連の簡略化された形へと変化していったのだ。
また、土俵入りの様式自体も変遷を遂げている。かつては土俵の周囲に四本柱があり、力士は最初から内側を向いて所作を行っていた。しかし、1952年(昭和27年)9月場所で四本柱が撤廃されたことを機に、観客側を向いて土俵入りを行う試みもなされたが、力士と行司の呼吸が合わず、翌日には現在の「外向きから内側に向き直る」形式に改められた。 さらに、行司が先導して入場する現在の形式は、1965年(昭和40年)1月場所から導入されたもので、それ以前は行司が先に土俵で蹲踞して待機していたという。
幕内土俵入りの所作は、単なる力士の紹介やパフォーマンスに留まらない。その根底には、相撲が古来より持つ「神事」としての意味合いが深く関わっている。土俵そのものが「神様が降り立つ聖域」とされ、本場所の前には「土俵祭」という重要な神事が行われる。 力士たちが土俵に上がる際の「警蹕(けいひつ)」と呼ばれる「シィー」という声も、観客に静粛を促し、神聖な場であることを示す伝統的な所作である。
柏手は、神前で手を打ち、神を招き、自らの身を清める意味を持つ。これは、相撲が五穀豊穣を祈る神事として始まったことと深く結びついている。 右手を上げる動作は、武器を持たずに正々堂々とした態度を示すものであり、相撲が単なる力比べではなく、礼節を重んじる武道であることの表れだ。そして、化粧回しを持ち上げ、最後に両手を上げる動作は、地中に潜む邪気を払い、大地を鎮める「四股」の精神を受け継いでいる。 力士が力強く大地を踏みしめる四股は、その土地を清め、豊穣を願う呪術的な意味合いがあった。
これらの所作は、力士がこれから神聖な土俵で相撲を取るにあたり、自らの心身を清め、邪悪なものを払い、神に敬意を表し、そして観客に対しては「我々は武器を持たず、素手で正々堂々戦う」という宣言を行う、総合的な儀式なのである。
幕内土俵入りと並んで、相撲の華とされるのが「横綱土俵入り」である。この二つは同じ土俵上で行われる儀式でありながら、その形式と意味合いにおいて明確な違いがある。
横綱土俵入りは、露払いと太刀持ちという二人の力士を従え、さらに背中に「横綱」と呼ばれる注連縄(しめなわ)を締めて土俵に上がる。 この横綱という注連縄そのものが神聖な意味を持ち、横綱という地位が単なる力士の最高位ではなく、「ご神体」に近い存在であることを示唆している。 横綱は、土俵中央で「雲龍型」または「不知火型」という特定の型に沿って、本格的な四股と手刀などの所作を披露する。 特に、両手を広げてせり上がる不知火型は「攻めの型」、左手を胸に添える雲龍型は「攻守兼備」の型とされ、それぞれの横綱の個性や相撲哲学が表現される。
これに対し、幕内土俵入りは、横綱以外の十両以上の全関取が参加し、集団で行われる。 横綱土俵入りが個々の横綱の威厳と神聖さを際立たせるソロパフォーマンスであるのに対し、幕内土俵入りは、多くの力士が一体となって土俵を清める集団儀礼としての性格が強い。前述の通り、人数が増えたことで個別の四股は簡略化され、柏手や化粧回しを上げる動作、そして両手を上げる動作へと集約された。
つまり、横綱土俵入りが、最高の力士が神に捧げる厳かな舞であるとすれば、幕内土俵入りは、これから相撲を取る多くの力士たちが、神聖な土俵と観客に対して、身を清め、邪気を払い、公平な勝負を誓う共同の宣誓儀式だと言えるだろう。この対比は、相撲が持つ神事性と興行性、そして個の力と集団の調和という、複数の側面を浮き彫りにする。
現代の大相撲において、幕内土俵入りは、本場所の華やかな幕開けを告げる重要な儀式として位置づけられている。色とりどりの化粧回しを締めた力士たちが、行司の先導で花道から入場し、一人ずつ名前と出身地、所属部屋が場内にアナウンスされる。 この瞬間、観客は応援する力士に拍手を送り、その日の取組への期待を高める。
簡略化されたとはいえ、土俵上で行われる柏手、右手を上げる、化粧回しを持ち上げる、両手を上げるという一連の所作は、力士たちにとって、これから始まる勝負に向けて心身を整えるための大切なルーティンであり、また、相撲の伝統と格式を観客に伝える機会でもある。特に、最後の両手を上げる動作は、力士によっては高々と掲げ、その日の意気込みを示すかのように見えることもある。
この儀式は、単に古くからの慣習を惰性で続けているわけではない。日本相撲協会も、公式サイトなどで土俵入りの所作の意味を解説し、その歴史的背景と神事としての重要性を伝えている。 若い力士たちもまた、この所作を通じて相撲の根底にある精神性を学び、受け継いでいく。土俵入りは、力士と観客、そして相撲という文化を結びつける、生きた伝統の場なのである。
幕内土俵入りで力士たちが輪になって手を上げる所作を、「何かを上に送るような」と感じる視点は、相撲が持つ根源的な意味を捉えていると言えるかもしれない。この動作が、かつて邪気を払い、大地を鎮める「四股」の簡略形であり、また「武器を持たない」という潔白の表明であると知っても、その背後にある「神事」としての相撲の側面は失われない。
力士たちが一斉に手を上げる姿は、単なる肉体的な動作を超えて、土俵という神聖な空間に集う彼らが、見えない存在や、あるいは来るべき勝負の行方に対して、何らかの祈りや誓いを捧げているようにも映る。それは、五穀豊穣を願う古代の神事から、現代の興行へと形を変えながらも、相撲が常に大地と天、そして人々の営みとの間に立つ、媒介者としての役割を担ってきたことの証左だろう。
観客の眼差しが、その所作に抽象的な「何かを上に送る」意味を見出すとき、そこには、相撲が持つ神聖な起源と、現代に生きる人々が抱く根源的な願いが、無意識のうちに交錯しているのかもしれない。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。