2026/6/14
北海道の温泉はなぜ多様?火山の恵みと先人の情熱

北海道の代表的な温泉地と、それぞれの特徴について教えて欲しい。
キュリオす
北海道には全国一の温泉地数があり、硫黄泉やモール泉など泉質が多様だ。その背景には、火山の活動や太古の植物層、そして開拓者たちの情熱がある。大地と人々の営みが織りなす温泉の秘密に迫る。
湯煙の向こうに広がる巨大な実験場
冬の登別、地獄谷の展望台に立つと、視界の半分が白い蒸気に覆われる。鼻を突くのは、ゆで卵を想起させる独特の硫黄臭だ。足元からは絶えずゴボゴボという低い音が響き、岩の隙間からは熱水が噴き出している。ここは単なる観光地ではなく、地球という巨大な熱源が地上に露出した「剥き出しの現場」なのだと感じる。北海道にはこうした風景が、数えるだけでも二百五十カ所以上点在している。
全国一の温泉地数を誇るこの島を歩くと、その多様性に圧倒される。乳白色の硫黄泉、コーラのような琥珀色をしたモール泉、強酸性のピリリとした湯。それらは単に「体が温まる」という効能を超えて、この島がどのような地質学的プロセスを経て形成されたのかを饒舌に語りかけてくる。なぜこれほどまでに異なる性質の湯が、一つの島に凝縮されているのか。その答えを探ることは、北海道という土地の成り立ち、そしてそこに挑んだ人々の足跡を辿る旅に他ならない。
滝本金蔵と美泉定山が切り拓いた湯脈
北海道の温泉史を紐解くと、そこには常に「開拓」という二文字が付きまとう。本州の古湯が神話や一千年前の僧侶に端を発するのに対し、北海道の主要な温泉地の多くは、明治以降の近代化プロセスの中でその輪郭を現した。
その象徴的な存在が、登別温泉の礎を築いた滝本金蔵である。一八五八年(安政五年)、江戸の大工職人だった金蔵は、妻・佐多のひどい皮膚病を治したい一心で、当時まだ未開の地だった登別の奥地へと分け入った。アイヌの人々が「ヌプル・ペッ(色の濃い川)」と呼び、薬湯として利用していたその地で、金蔵はささやかな湯小屋を建てる。これが現在の巨大旅館「第一滝本館」の始まりである。金蔵の物語は単なる美談に留まらない。彼は自費を投じて道路を切り開き、駅逓所を設け、馬車を走らせた。一人の男の「妻を救いたい」という私的な情熱が、結果として北海道を代表する一大温泉郷のインフラを整備することになった。
時を同じくして、札幌の南に位置する定山渓でも一人の男が孤独な闘いを続けていた。美泉定山という修験僧である。一八六六年(慶応二年)、定山はアイヌの人々の案内で、豊平川の上流に湧く温泉に辿り着いた。彼はそこに定住し、病に苦しむ開拓民たちのために湯治場を拓く。当時の定山渓は道なき道の先にある秘境であり、定山は食料の確保すらままならない過酷な環境下で、祈りと共に湯を守り続けた。現在の定山渓が「札幌の奥座敷」として華やかな賑わいを見せている背景には、こうした宗教的な献身があった。
さらに東へ目を向ければ、洞爺湖温泉の誕生は劇的だ。一九一〇年(明治四十三年)、有珠山の噴火によって大地が隆起し、それまで影も形もなかった温泉が突如として湧き出したのである。この奇跡的な誕生を見守ったのが、当時壮瞥郵便局に勤めていた三松正夫だった。彼は噴火のプロセスを詳細に記録し続け、のちに昭和新山という新しい山の誕生をも見届けることになる。洞爺湖温泉は、火山のエネルギーがダイレクトに観光資源へと転換された稀有な例と言える。
一方で、道東の阿寒や川湯の歴史には、硫黄採掘という産業の影が色濃く反映されている。明治期、マッチや火薬の原料として硫黄の需要が高まると、アトサヌプリ(硫黄山)は安田財閥などによる大規模な採掘拠点となった。過酷な労働環境下で多くの人々がこの地に集まり、その副産物として温泉地の開発が進んだ。阿寒湖畔の森を守り抜いた前田一歩園財団の活動も、こうした開発の波に対するカウンターとして始まったものだ。北海道の温泉地は、ある時は愛、ある時は信仰、そしてある時は産業の要請によって、荒野の中から一つずつ拾い上げられてきたのである。
爆裂火口と泥炭層が生み出す多様な泉質
北海道の温泉が持つ最大の魅力は、その圧倒的な「泉質の幅」にある。登別温泉が「温泉のデパート」と称されるのは、決して誇張ではない。わずか数キロメートルの範囲内に、硫黄泉、食塩泉、明礬泉、芒硝泉、緑ばん泉、鉄泉、酸性鉄泉、重曹泉、ラジウム泉という九種類もの泉質が共存している。これらはすべて、地獄谷という巨大な爆裂火口跡を源泉としている。
この多様性を生んでいるのは、地下の複雑な配管構造だ。地表に近い場所で地下水が火山の熱に触れる際、どの岩石層を通り、どのような鉱物を溶かし込むかによって、湯のキャラクターが決まる。硫黄泉は毛細血管を拡張して血行を促進し、食塩泉は肌に塩分の膜を作って保温効果を高める。これらが混ざり合うことなく、独立した源泉として湧き出す様は、大地の精密な化学実験を見ているかのようだ。
一方で、火山の熱を直接の起源としない「モール泉」の存在が、北海道の温泉文化をより重層的なものにしている。十勝平野に位置する十勝川温泉がその代表だ。モール(Moor)とはドイツ語で泥炭を意味する.数百万年前、十勝平野は大きな内湾であり、そこには広大な湿原が広がっていた。枯れたアシや樹木が完全に分解されずに堆積し、長い年月をかけて泥炭層や亜炭層を形成した。
十勝川温泉の琥珀色の湯は、この太古の植物層を地下水がくぐり抜ける際に、フミン質と呼ばれる有機物を取り込むことで生まれる。一般的な鉱物性の温泉が「地球の無機的なエネルギー」だとすれば、モール泉は「生命の記憶が溶け出した水」と言い換えることができる。肌に吸い付くような独特のぬめりは、植物由来の天然の保湿成分によるものだ。地下五百から七百メートルという、比較的浅い地層から五十度以上の高温で湧き出すこの湯は、火山帯から離れた平野部における特異な地熱の存在を示唆している。
さらに道東の川湯温泉へ行けば、今度は強酸性の「攻めの湯」に出会う。pH一・七前後という、五寸釘を数日で溶かしてしまうほどの酸性度は、火山の噴気ガスが地下水に直接溶け込むことで形成される。殺菌力が極めて高く、古くから皮膚病の療養地として重宝されてきた。このように、火山の爆発、植物の堆積、ガスの溶解といった異なる地球の営みが、この広い島の各地で、それぞれ独自の「水」を仕立て上げている。
巨大旅館の「縦の充実」と原生林の借景
北海道の温泉地を、本州の有名な温泉地と比較してみると、その構造的な違いが浮き彫りになる。例えば、群馬の草津温泉や兵庫の有馬温泉を思い浮かべてほしい。そこには「湯畑」や「外湯」を中心とした、高密度で徒歩圏内の温泉街が存在する。狭い路地に土産物屋や共同浴場がひしめき、浴衣姿で歩くことが文化の一部となっている。
対して北海道の温泉地、特に登別や定山渓、洞爺湖などは、一つひとつの旅館が巨大な「要塞」のような規模を持っているのが特徴だ。これは、開発が始まった時期が近代以降であり、広大な土地を利用できたという背景がある。本州の温泉地が、長い歴史の中で集落の中に湯を取り込んでいった「加法」の街づくりであるのに対し、北海道は原野の中に突如として巨大な宿泊施設を配置した「点」の街づくりから始まった。
この違いは、湯の楽しみ方にも影響を与えている。本州では、複数の外湯を巡る「横の移動」が醍醐味だが、北海道の大型旅館では、一軒の施設内に複数の泉質や巨大な浴槽を揃えた「縦の充実」が追求される。第一滝本館に代表されるような、千五百坪を超える大浴場の中に五つもの泉質が揃うスタイルは、土地の広さと湧出量の多さがなければ成立しない。
また、湧出量の比較においても興味深い事実が見えてくる。日本一の湧出量を誇るのは別府温泉(大分県)であり、毎分約八万七千リットルという桁違いの数字を叩き出す。北海道全体の総湧出量はそれに次ぐ全国二位だが、単一の温泉地としての登別は約三千リットル(地獄谷全体で一万トン/日)程度であり、草津の三万二千リットルと比較しても、決して「量」だけで圧倒しているわけではない。
北海道の強みは、量よりもむしろ「密度の低さ」と「景観との一体感」にある。本州の温泉地が「歴史的な街並み」を守ることに腐心する一方で、北海道の温泉地は、すぐ隣に広がる原生林やカルデラ湖といった「手付かずの自然」を借景にする。阿寒湖では湖畔から突き出す泥火山(ボッケ)を眺め、洞爺湖では対岸にそびえる昭和新山の威容を仰ぎながら湯に浸かる。街という文化的なフィルターを通さず、地球の活動をダイレクトに感じる体験。これこそが、本州の洗練された温泉文化に対する、北海道の回答と言えるのではないか。
有珠山の噴火遺構と資源の集中管理
現在の北海道の温泉地は、単なるリラクゼーションの場から、大地の成り立ちを学ぶ「ジオパーク」としての側面を強めている。その最前線が、洞爺湖・有珠山地域だ。二〇〇九年に日本で初めて世界ジオパークに認定されたこの場所では、温泉は「火山の恵み」であると同時に、「災害と隣り合わせの恩恵」として定義されている。
二〇〇〇年の有珠山噴火の際、洞爺湖温泉街は大きな被害を受けた。地殻変動によって道路は波打ち、建物は損壊した。しかし、住民たちはその遺構をあえて保存し、見学路として整備した。温泉に浸かって癒されるだけでなく、その熱を生み出した山の荒ぶる側面も直視する。この「火山との共生」というスタンスは、北海道の温泉地が持つ新しいアイデンティティになりつつある。
一方で、現代ならではの課題も無視できない。高度経済成長期に建てられた巨大な宿泊施設の老朽化や、団体客から個人客へのシフトに伴うニーズの変化、そして後継者不足。かつて滝本金蔵や美泉定山が切り拓いた情熱の跡も、維持し続けるには莫大なコストと知恵が必要とされる。十勝川温泉では、希少なモール泉を保護するために、源泉の集中管理を行い、資源の枯渇を防ぐ取り組みが進められている。
最近では、単に豪華な食事や広い風呂を提供するだけでなく、その土地固有のストーリーを深掘りする宿泊施設も増えてきた。アイヌ文化をデザインや食に取り入れた阿寒の宿や、地元の農家と連携して十勝の豊かな食材をモール泉と共に提供する取り組みなどがそれだ。外から持ち込まれた「リゾート」という概念が、ようやく北海道という土地の歴史や文化と、本当の意味で結びつき始めている。
旅人が今、北海道の温泉を訪れるなら、単に「有名な温泉地」をスタンプラリーのように巡るのではなく、その湯がなぜそこにあるのかという背景に目を向けてほしい。二十年周期で噴火を繰り返す有珠山の麓で、それでも湯を沸かし続ける人々の覚悟。数百万年前の湿原の記憶を、琥珀色の水として今に伝える平野の底力。それらは、現代の私たちが忘れかけている「地球の時間軸」を思い出させてくれる。
地熱という名のこの島の呼吸
北海道の温泉を巡る旅を終えて残るのは、この島が今も激しく呼吸しているという実感だ。登別の硫黄の匂いも、十勝の琥珀色のぬめりも、すべては地下深くで蠢くエネルギーが、地上へと漏れ出した「呼吸の跡」に他ならない。
私たちは往々にして、温泉を「自分たちを癒してくれる便利なサービス」として捉えがちだ。しかし、その成り立ちを辿れば、そこには人知の及ばない偶然の重なりがある。火山帯の絶妙な配置、太古の植物の堆積、そしてそれを掘り当て、道を通した先人たちの執念。それらのどれか一つが欠けても、私たちが今享受しているこの湯浴みの時間は存在しない。
かつて三松正夫が、有珠山の噴火を「神様のいたずら」ではなく、科学的な観察の対象として見つめ、同時にその恵みである温泉を愛したように、私たちもまた、この大地の熱をより多層的な視点で受け止めることができるはずだ。それは、単なる観光の知識を増やすことではなく、自分が立っているこの大地の厚みを感じることでもある。
次に北海道の温泉に浸かる時、目を閉じて、その熱がどこから来たのかを想像してみてほしい。それは数百年前の雨水かもしれないし、数百万年前の湿原の雫かもしれない。あるいは、今この瞬間も地下で燃え盛るマグマの熱そのものかもしれない。その想像力が届く範囲が、あなたの旅の深さになる。北海道の温泉は、ただ温かいのではない。それは、四十六億年続く地球の営みが、この北の島で今も見せている、静かで力強いパフォーマンスなのだ。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。
参考
- 地域ごとに異なる泉質が楽しめる! 北海道は日本一の温泉天国【眠れなくなるほど面白い 図解 北海道の話】 - Yahoo! JAPANarticle.yahoo.co.jp
- 世界的に希少な植物由来の美人の湯、モール温泉。北海道の名湯「十勝川温泉」でONSEN文化を体感♪matoka-tokachi.jp
- 三松正夫 - Wikipediaja.wikipedia.org
- 「登別温泉」開湯160年!その始まりは一人の男の妻への愛だった?!│北海道ファンマガジンhokkaidofan.com
- 登別の歴史 – 一般社団法人 登別国際観光コンベンション協会noboribetsu-spa.jp
- 歴史|第一滝本館【公式】takimotokan.co.jp
- モール温泉 【音更町など】 | 北海道マガジン「カイ」kai-hokkaido.com
- 〈登別温泉ホテルまほろば〉 日本有数の湯量と 9つの泉質を誇る温泉郷の宿へ - 「colocal コロカル」ローカルを学ぶ・暮らす・旅するcolocal.jp