2026年5月18日
秋月の廣久葛本舗、葛きりの美味しさの秘密とは
秋月藩の奨励から始まった葛の歴史と、廣久葛本舗が守り続ける伝統製法「寒水晒し」について解説。国産葛根へのこだわりと、手間暇かけた製法が、あの透明な葛きりの美味しさを生み出している。
葛が誘う古道の静けさ
秋月の町を歩くと、城下町の面影を色濃く残す石垣や武家屋敷のしっとりとした空気が肌に触れる。その静けさのなかに、ふと葛きりの涼やかな喉越しを思い出す瞬間がある。透明なその一筋が、なぜこれほどまでに鮮烈な印象を残すのか。特に廣久葛本舗で口にした葛きりは、一般的なそれとは明らかに一線を画していた。国産の葛が稀少だと言われる現代において、この地で代々受け継がれてきた葛の文化は、一体どのような背景を持っているのだろうか。その問いを抱きながら、秋月の古道を辿ってみる。
黒田藩が紡いだ葛の歴史
葛は古くから薬用として重宝され、飢饉の際には救荒作物としても利用されてきた植物である。その根から採れる葛粉は、精進料理や和菓子の材料として、日本各地で細々と作られてきた。しかし、秋月において葛が特別な地位を確立したのは、江戸時代に遡る。秋月藩、つまり黒田藩の支藩であったこの地では、藩主の黒田長興が葛の栽培と加工を奨励したと言われている。
元禄年間(1688年-1704年)には、現在の廣久葛本舗の祖先にあたる高木久助が、藩の命を受けて葛の製法を確立したとされる。当時の秋月藩は、財政を立て直すため、特産品の開発に力を入れていた。そこで目をつけられたのが、この地の山野に自生する良質な葛であった。高木久助は、葛の根から澱粉を抽出し、精製する技術を磨き上げ、「秋月本葛」として藩の専売品にまで高めた。この体制は、葛の品質管理を徹底し、秋月葛の名声を確立する上で重要な役割を果たしたのだ。
明治維新後、藩の専売制度が廃止されると、多くの葛製造元が乱立し、品質の低下を招いた時期もあったという。しかし、廣久葛本舗は、創業以来の製法を守り続け、その品質を維持しようと努めた。大正時代に入ると、二代目の高木久一が、葛の品質向上と販路拡大に尽力し、秋月葛の復興に貢献したと伝えられている。この頃には、全国各地から葛を求めて秋月に人々が訪れるようになり、その名声は揺るぎないものとなっていった。藩政時代から続く、廣久葛本舗の歴史は、秋月葛の品質を保証する証でもあるのだ。
寒水晒しが磨き上げる透明な澱粉
廣久葛本舗の葛きりが信じられないほど美味である理由を探るならば、その製法、特に「寒水晒し(かんざらし)」という伝統的な精製過程にたどり着く。葛の根は、冬の間に掘り起こされる。この時期の葛根は澱粉質が最も豊富であり、良質な葛粉を得るためには不可欠な条件である。掘り起こされた葛根は、まず細かく砕かれ、水に浸して澱粉を分離させる。
