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1867年のパリ万博で、薩摩藩は徳川幕府とは別に単独で出展した。これは、幕末の国内情勢と薩摩藩のしたたかな外交戦略、そしてフランス政府との交渉が重なった結果である。薩摩藩は自らを独立した「薩摩国」として国際社会に提示し、その後の日本のあり方を模索する先駆的な試みとなった。
1862年の生麦事件をきっかけに、薩摩藩はイギリスからの賠償金要求を拒否。1863年、鹿児島湾で開戦した薩英戦争は、薩摩藩に西洋の軍事力と近代化の必要性を痛感させ、その後の開国・近代化への道を決定づけた。
江戸時代、薩摩藩は琉球王国を窓口に清国と交易し、黒糖などを輸出した。幕末には西洋列強とも密貿易を行い、武器を調達。長崎とは異なる独自の貿易ルートが藩の財政と近代化を支えた。