2026/6/5
桶川の紅花は染料や化粧品に?江戸時代に栄えた産業の歴史

桶川は紅花が有名らしいが、どう使ったのか?観賞用?
キュリオす
桶川で紅花が栽培されたのは、観賞用ではなく、江戸時代に染料や化粧品原料として重宝されたためです。最上紅花に次ぐ生産量を誇り、町に富をもたらしました。近代化で衰退しましたが、現在は町おこしとして多様な形で活用されています。
埼玉県桶川市を訪れると、初夏には鮮やかな紅花畑が目に飛び込んでくる。その風景は、単なる季節の彩りとしてだけでなく、この土地がかつて培ってきた産業と文化の記憶を呼び起こす。紅花が桶川でどう使われていたのか、そしてそれは単なる観賞用だったのか。この問いは、江戸時代の経済と人々の暮らしに深く根ざした物語へと繋がっている。
桶川における紅花栽培の歴史は、江戸時代後期の天明・寛政年間(1781~1801年)に始まる。当時、江戸の商人が最上地方の紅花の種子をこの地にもたらしたことがきっかけだったという。桶川は五街道の一つ、中山道の宿場町として栄え、江戸から十里、およそ40キロメートルという地理的条件も相まって、農作物の集散地でもあった。この地の気候は最上地方に比べて温暖で、紅花の収穫時期が一足早い六月であることから、「早庭物(はやばもの)」として紅花商人たちに重宝されたという。
幕末には、桶川の紅花は「桶川臙脂(おけがわえんじ)」の名で全国に知れ渡り、山形の「最上紅花」に次いで全国で二番目の生産量を誇るまでに成長した。 紅花は高値で取引され、米一反あたりの平均価格が二両であったのに対し、紅花はその倍の四両にも達したという記録も残る。 このように、紅花は桶川に富をもたらし、宿場町としての賑わいを一層深める要因となった。
桶川で栽培された紅花は、主に染料として利用され、その多くが江戸へと運ばれた。 紅花から抽出される色素には、水溶性の黄色色素(サフロールイエロー)と、水に溶けにくい赤色色素(カルタミン)の二種類がある。 特にカルタミンは鮮やかな紅色を発し、高級な衣料品の染め物や、女性の化粧品である口紅や頬紅の原料として珍重された。 江戸時代には「紅一匁(もんめ)金一匁」と称されるほど高価なものであり、ごく一部の裕福な人々しか使用できない貴重品だったと伝わる。
観賞用としての栽培も皆無ではなかっただろうが、歴史的に見れば、桶川の紅花栽培は経済活動、すなわち染料や化粧品原料の供給を主目的とした産業であった。紅花の花弁を乾燥させ、黄色色素を取り除いた後に餅状に加工する「紅餅」の製造技術は、貴重な赤色色素を効率的に得るための工夫だった。 また、紅花は古くから漢方薬としても用いられてきた。花弁を乾燥させたものは「紅花(コウカ)」と呼ばれ、血行促進や鬱血除去、婦人病の薬として生理不順や冷え性などに効果があるとされる。 種子からはリノール酸を多く含むサフラワー油が採れ、食用油としても利用されてきた歴史がある。
紅花栽培は全国的に見られたが、江戸時代を通じて二大産地として名を馳せたのが、出羽の「最上紅花」と、武蔵の「桶川紅花」であった。最上地方では室町時代末期から栽培が始まり、最上川の舟運を利用して京都や大阪へと紅餅が出荷され、紅花商人たちが活躍した。 気候・土壌が栽培に適していたことも要因だが、最上川の舟運と紅花商人たちの商才が、産地拡大に大きく寄与したと考えられている。
一方、桶川は江戸という巨大な消費地に近い地の利を活かした。最上地方が七月に収穫するのに対し、桶川では一足早い六月に収穫できたため、紅花商人に歓迎され、高値で取引されたという点が特徴的だ。 しかし、明治時代に入ると状況は一変する。中国産の紅花の輸入が増加し、さらに化学染料であるアニリンの普及により、天然染料としての紅花の需要は激減した。 これにより、山形県と同様に、桶川の紅花生産も大きな打撃を受け、次第に衰退し姿を消していくことになる。 かつて紅花畑が広がっていた風景は、近代化の波の中で失われていった。
失われたかに見えた桶川の紅花だが、平成五年(1993年)に当時の桶川市長が「べに花の郷づくり」事業に着手したことで、再び光が当たった。 これは、紅花をシンボルとした町おこしの一環であり、単なる伝統の復活に留まらない、多角的な取り組みが始まった。現在、桶川市では川田谷地区(桶川市農業センター周辺)や加納地区(べに花ふるさと館周辺)で紅花が植栽され、六月中旬頃には「べに花まつり」が開催される。
この祭りでは、かつての主要な用途であった染め物体験ができるほか、観賞用の切り花としての紅花栽培も行われている。 また、「べに花ふるさと館」のような施設では、紅花を使った料理や特産品が提供され、紅花まんじゅうや紅花せんべいなども作られている。 若い芽や葉は食用にもなり、ハーブティーや紅花酒としても楽しまれる。 現代の桶川における紅花は、かつての産業としての姿とは異なり、地域の文化資源、観光資源として、多様な形で活用されているのだ。
桶川の紅花は、問いの出発点にあった「観賞用」という側面を、現代において獲得している。しかし、その根底には、江戸時代に染料や化粧品という実用的な価値を追求し、市場経済の中で発展してきた歴史がある。単なる美しい花としてではなく、貴重な「紅」を生み出す経済作物として、この土地の先人たちは紅花と向き合ってきた。
かつては生活を支える重要な産業であった紅花が、合成染料の登場によってその役割を終え、一度は忘れ去られた。しかし、その歴史が現代の町おこしの中で再評価され、新たな形で人々の暮らしに寄り添っている。桶川の紅花畑に立つとき、そこに広がる紅い花々は、産業としての盛衰と、文化としての再構築という、時間軸を超えた二つの顔を見せている。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。