規格外の野菜たちが秋田の過酷な風土を生き抜いてきたのはどういった経緯からだったのか?

雪の底から掘り出される黄色い芽
真冬の秋田の農地を訪れると、雪原の中にぽっかりと開いた深い穴に出会うことがある。積もった雪を1メートル以上も力尽くで掘り進め、凍てつく土の表面から摘み取られるのは、ひろっこと呼ばれるアサツキの若芽だ。光を浴びずに雪の下で芽吹いたその姿は鮮やかな黄色みを帯び、緩やかに曲がっている。口に含むと強烈な辛みはなく、どこか澄んだ甘みとシャキシャキとした歯触りが広がる。
日本の伝統野菜と聞けば、京都の洗練された佇まいを持つ野菜や、金沢の加賀野菜のような華やかな姿を思い浮かべる人が多いのではないだろうか。しかし、秋田の地に受け継がれてきた野菜たちは、そうした見映えの良さとは対極にある。丈が2メートルにも達する巨大な秋田ふき、すりおろすと目が眩むような辛みを放つ松館しぼり大根、収穫までに足掛け2年もの歳月を要する横沢曲がりねぎ。どれも市場規格の「育てやすく、扱いやすく、形が揃う」という基準からは著しく外れている。
それにもかかわらず、秋田県内には現在、行政が正式に指定するだけでも39品目の伝統野菜が存在する。不揃いで、栽培に膨大な手間がかかり、生食にも不向きな場合が多いこれらの在来種は、なぜ現代まで淘汰されることなく生き残ってきたのだろうか。
城下町と鉱山、そして山守が繋いだ種
秋田の伝統野菜の歩みを紐解くと、そこには単なる農家の自家消費を超えた、複雑な歴史の交差点が見えてくる。権力者の持ち込んだ文化、過酷な労働現場の需要、そして昭和の篤農家による執念とも言える選抜作業が重なり合って、現在の39品目が形作られてきた。
起源の大きな柱の一つは、藩政時代の領主や城下町に由来するものだ。江戸時代の享保年間(1716〜1736年)、秋田藩主の佐竹義峰が江戸城へ登城した際、他大名へ誇らしげに紹介したと伝えられるのが秋田ふきである。葉の直径が1メートルから1.5メートル、草丈が2メートル近くに達するこの日本最大のフキは、秋田藩の威信を示す象徴でもあった。また、久保田城主の佐竹氏から栽培法が伝授されたと言い伝えられる大仙市太田の横沢曲がりねぎは、わざわざ途中で苗を倒して寝かせて植え直すことで曲がりを作り、甘みと香りを引き出す手間のかかる栽培法が今も守られている。
一方で、より生々しい歴史の要請から生まれた野菜もある。北秋田市阿仁の小様地区に伝わる小様きゅうりは、かつて日本有数の銅山として栄えた阿仁鉱山と深く結びついていた。断面が珍しい三角形になるこの地うりは、瑞々しく適度な苦みを持ち、薄暗く過酷な坑内で働く鉱夫たちの貴重な水分補給源として重宝されていた。市日などを通じて鉱山集落へ供給されていた歴史を持つ。同様に、仙北市の田沢地区に伝わる田沢地うりは、秋田杉の鬱蒼とした山林に入る元山守たちが、山仕事の携行食として腰に下げ、沢水で冷やして味噌をつけてかじっていたものだ。厳しい自然環境下での労働を支える道具として、種が守られてきたのである。
昭和に入ると、地域の篤農家(とくのうか)たちの手によって新たな名品が誕生する。昭和初期、大仙市の石橋氏が砂村系のネギから選抜育種した亀の助ねぎは、極めて強い耐寒性を持ち、雪深い秋田の春先(4〜5月)に貴重な緑を提供する春ネギとして定着した。石橋氏は昭和30年にも早生品種の石橋ごぼうを作り出している。また、昭和20年代には横手市山内地区で「札幌一本太にんじん」からの選抜淘汰によって山内にんじんが確立され、湯沢市では在来菊の中から食味の良い個体を選び抜いて湯沢ぎくが選抜された。
これらの在来種は、1960年代以降の高度経済成長期において、F1種(一代雑種)と呼ばれる均一で高収量な近代品種の波に呑まれ、一時は絶滅の危機に瀕した。栽培の手間がかかり、形が不揃いな在来種は市場から追いやられていったのだ。
転機となったのは2000年代に入ってからの行政の動向である。秋田県は2005(平成17)年度に「秋田の伝統野菜プロジェクト」を立ち上げ、明確な定義のもとで在来種の収集と保全に着手した。秋田県が設定した認定基準は次の3つの条件を満たすことである。
- 昭和30年代以前から県内で栽培されていたもの
- 地名や人名がついているなど、秋田県に由来しているもの
- 現在でも種子や苗があり、生産物が手に入るもの
この「現在でも手に入る」という条件は重要だ。単なる歴史的標本として過去の記録を掘り起こすのではなく、今も栽培され食されている「生きたリスト」として運用された。発足当初に21品目だった選定リストは、平成26(2014)年度に9品目、令和元(2019)年度にさらに9品目が追加され、計39品目へと拡大した。
煙と麹と豪雪に耐える頑固な肉質
なぜ秋田の伝統野菜は、近代化の波の中で息絶えなかったのか。その答えを探ると、秋田という土地が抱える気候条件と、そこから生まれた加工・保存の文化に突き当たる。秋田の在来種は、新鮮なまま生で食べるための野菜ではなく、長期保存と加熱調理という極限状態に耐え抜くための「機能性野菜」として淘汰を免れてきたのだ。
最たる例が、秋田を代表する郷土食「いぶりがっこ」に代表される漬物文化との結びつきである。秋田県南部は冬季の日照時間が極めて短く、雪が多いため、秋に収穫した大根を天日で干すことができない。そのため、農家の囲炉裏の天井に大根を吊るし、楢や桜の薪の煙で燻してから米糠と塩で漬け込む燻煙乾留法が発達した。
この製法に耐えられるのは、現代のスーパーに並ぶ水分が多くて柔らかい青首大根ではない。水分の多い大根を燻すと、果肉がフニャフニャになり腐敗の原因となる。そこで真価を発揮したのが、秋田市仁井田地区の仁井田大根や、横手市沼山集落の沼山だいこん、そして大館地大根であった。
沼山だいこんは、一般的な大根に比べて細胞密度が約2倍近く高く、水分が少ない。首元が鮮やかな深い緑色をしており、包丁を入れると硬質な手応えがある。この緻密で頑固な肉質だからこそ、数日間にわたる燻煙と数ヶ月の塩蔵に耐え、あの歯切れの良い食感を残すことができる。同様に、大仙市の仙北丸なすや横手市の新処なす、富沢なすといった丸ナス類も、皮が硬く果肉が詰まっているため、玄米と麹で漬ける「ふかし漬け」や「なすの花すし」に加工しても果肉が水分を含みすぎず、長期保存が可能となる。市場流通では「硬すぎる」「皮が残る」と嫌われる欠点こそが、保存食づくりの絶対条件だったのである。
第二の理由は、豪雪地帯特有の越冬メカニズムである。秋田の冬は半年近くに及ぶ。この閉ざされた季節に貴重な栄養源となったのが、雪の下で養分を蓄える根菜や青菜だ。湯沢市相川地区のひろっこだけでなく、秋田市の仁井田菜や羽後町の貝沢ふくだち菜といった漬け菜類は、秋に蒔かれた種が雪の下で極寒に耐え、雪解けと同時に一気に芽吹く。植物は凍結を防ぐために細胞内に糖を蓄積する凍結回避反応を起こすため、これらの冬野菜は独特の濃厚な甘みとコクを宿す。
第三に、独特な環境条件や独自の加工技術と組み合わさることで、代えのきかない価値を獲得した品目の存在がある。湯沢市三関地区の三関せりは、奥羽山脈のなだらかな傾斜地から湧き出る豊富な清流水で育つ。在来種から選抜された「改良三関」は、葉茎が太いだけでなく、雪の中で白く長く伸びる「根」が最大の特徴だ。秋田の鍋文化、とりわけきりたんぽ鍋やセリ焼きにおいて、この長い根のシャキシャキとした食感と爽やかな香りは主役に位置づけられている。
大館市比内地区で生産されるとんぶりも極めて特異だ。アカザ科のホウキグサの実を収穫し、加熱、乾燥、浸水、脱穀という地域固有の複雑な加工工程を経て、初めてあの「畑のキャビア」と呼ばれる緑色の粒状食感が生まれる。単に栽培するだけでなく、加工技術とセットで継承されてきたからこそ、2017(平成29)年には農林水産省の地理的表示保護制度(GI)に登録されるほどの強い産地基盤を確立した。
公家や江戸の市場とは対極の選択
日本の伝統野菜の全体像の中で、秋田の39品目がどのような立ち位置にあるのかを理解するには、他地域の伝統野菜の成り立ちと比較するのがわかりやすい。
代表例として京野菜を並べてみる。京都の伝統野菜(聖護院かぶ、九条ねぎ、賀茂なすなど)は、長らく日本の政治・文化の中心地であった御所や大寺院、そして料亭の存在によって磨かれてきた。京野菜に求められたのは、洗練された出汁の味を邪魔しない繊細な食味であり、細工調理に適した美しい形状である。職人の包丁さばきを引き立て、見た目の目利きが価値を生む文化圏の産物と言える。
一方、江戸・東京の伝統野菜(練馬大根、亀戸大根、千住ねぎなど)は、急激に膨れ上がる大都市江戸の消費胃袋を満たすために発達した。武家屋敷や町人がひしめく巨大市場に向け、いかに早く収穫できるか(早生)、いかに初物として高値で出荷できるかという、都市近郊農業の合理性が色濃く反映されている。
また、同じ東北や北陸の城下町である金沢の加賀野菜(加賀れんこん、源助だいこんなど)は、加賀藩の豊富な財力を背景にした料亭文化や、見た目の美しさを重んずる献上料理の枠組みの中で選抜されてきた経緯を持つ。
これらと比較したとき、秋田の伝統野菜の特徴が浮き彫りになる。秋田の在来種には、京都のような洗練された美観も、江戸のような初物狙いの早生性も、あまり見当たらない。
| 地域 | 主な背景文化 | 野菜に求められた選抜基準 | 代表的な品目 |
|---|---|---|---|
| 京都 | 公家・寺社・料亭文化 | 繊細な味覚、細工しやすい形状、美観 | 聖護院かぶ、賀茂なす |
| 江戸 | 大都市の巨大消費市場 | 早生性、市場への高頻度大量供給 | 練馬大根、亀戸大根 |
| 加賀 | 城下町・加賀藩の献上文化 | 料理映え、モチモチとした独特の食感 | 加賀れんこん、源助だいこん |
| 秋田 | 豪雪・保存食・労働現場 | 燻煙・塩蔵に耐える低水分と硬度、雪下越冬性 | 沼山だいこん、ひろっこ、三関せり |
秋田の野菜たちは、生で食べて柔らかく甘いことよりも、「塩に負けないこと」「煙で燻しても身が崩れないこと」「1メートルの雪に押し潰されても腐らないこと」を最優先に選別されてきた。つまり、都市の消費者の好みに合わせた変化ではなく、秋田という土地の過酷な風土と、生き延びるための生活技法に特化した結果として残った形なのである。
だからこそ、秋田の伝統野菜は一般的な青果市場の競りには乗りにくい。しかしその反面、いぶりがっこ、きりたんぽ鍋、だまこ餅、寒天漬けといった秋田固有の食のシステムと固く結びついているため、他地域の野菜で代替することが極めて難しい。市場流通に乗らないという弱みこそが、地域内での絶対的な必要性へと裏返り、今日まで種が絶えなかった大きな理由となっている。
途絶えかけた種を継ぐ現場の手
現在の秋田の伝統野菜は、すべてが順風満帆なわけではない。むしろ、その足元は揺らぎ続けている。秋田県が策定した「あきた伝統野菜振興指針」の資料を読み解くと、39品目が置かれた現実の厳しさが浮かび上がる。
県は39品目を、その流通量や生産体制によって3つのグループに分類している。
- Aグループ(全国に流通拡大する品目): じゅんさい、とんぶり、三関せりの3品目。
- Bグループ(県内需要に対応する品目): 松館しぼり大根、山内にんじん、ひろっこ、阿仁ふきなど21品目。
- Cグループ(保存・継承を図る品目): 横沢曲がりねぎ、貝沢ふくだち菜、小様きゅうり、田沢地うり、亀の助ねぎなど15品目。
全国規模の知名度を持ち、経済基盤が確立しているのはわずか3品目のAグループに過ぎない。大半の品目は県内流通にとどまるか、あるいは農家個人やわずか数名の高齢生産者が自給的に種を守っているCグループに属している。生産者の高齢化や後継者不足により、1人の生産者が病に倒れれば、そのまま数百年続いた品種が消滅しかねない危うさを常に孕んでいる。
実際に、一度途絶滅の淵に立った品目もある。横手市沼山集落の沼山だいこんは、栽培に手間がかかることと集落の過疎化により、2004(平成16)年に栽培者がいなくなり、生産が途絶えた。しかし、その貴重な肉質と味を惜しむ声が高まり、2018年に有志の生産者3名が保存されていた種子を蒔き直し、奇跡的に復活を遂げた。阿仁の小様きゅうりも一度途絶えた後、平成23(2011)年に再始動した歴史を持つ。
現在、こうした現場の努力を支えているのが、秋田県農業試験場と民間団体「あきた郷土作物研究会」である。秋田県農業試験場では、県内各地から収集した在来種の種子を低温・低湿の遺伝子保管庫(ジーンバンク)で長期保存するとともに、形質がぶれないよう優良系統の選抜と維持を行っている。また、大学の研究者、農家、料理人らが集まるあきた郷土作物研究会は、現地調査を行って栽培法や食文化を記録し、「食べて守る」ための普及活動を続けている。
秋田県内の道の駅や直売所に足を運ぶと、季節ごとにこれらの野菜が静かに並べられている。にかほ市の直売所には山焼きの畑で育てる白長のカナカブが並び、鹿角市の直売所にはごつごつとした松館しぼり大根が鎮座する。華やかな観光用ポップが添えられているわけではない。しかし、それらは間違いなく、この土地の人間が冬を越し、命を繋ぐために工夫し続けてきた証としてそこにある。
淘汰されるはずだった歪さが残したもの
かつて近代農業の波は、「均一であること」「柔らかいこと」「育てやすいこと」を正義とした。そのものさしから見れば、秋田の伝統野菜たちは不格好で、固く、栽培に手間がかかる「非効率な落第生」に過ぎなかったかもしれない。
しかし、効率の追求によって全国の野菜が均質化していった時代を経た今、私たちは皮肉な事実に気づかされる。極端な環境に合わせて削り出されたそれらの「歪さ」や「頑固さ」こそが、他のいかなる地域にも真似できない独自の食文化を支える土台だったということだ。
仁井田大根の緻密な身がなければいぶりがっこの歯ごたえは生まれない。三関せりの長く白い根がなければ冬の鍋の味わいは完成しない。雪の下で凍えながら耐えるひろっこがなければ、秋田の人々は春の訪れを舌で感じることができなかったはずだ。秋田県が認定する39品目という数字は、単なる名産品のカタログではない。それは、秋田の過酷な風土と、そこで生きてきた人間とが、途方もない時間をかけて交わしてきた契約の目録にほかならない。
秋田県農業試験場の管理室では、今日も数十種類のガラス瓶に入った小さな種子が、一定の温度と湿度に保たれた暗闇の中で静かに眠っている。そして春が訪れ、雪が消えると、農家たちの手によって再び冷たい土へと降ろされる。均一な規格からはみ出しながらも、その土地でしか生きられない理由を固く保持したまま、秋田の伝統野菜は今年も芽を吹き上げている。
旅と食が好き。どこにでもいます。
参考
- あきた伝統野菜について | 美の国あきたネットpref.akita.lg.jp
- jimcontent.comse08e5c73a3744b61.jimcontent.com
- 秋田の伝統野菜(平成17年および平成25年秋田県調査) - あきた郷土作物研究会akikyo.net
- 秋田ふきなど‟秋田の伝統野菜”は30品目! 歴史ある秋田のおいしい特産品【47都道府県の地域食材】|マイナビ農業agri.mynavi.jp
- facebook.com
- 日本の伝統野菜ー05.秋田 – 【日本伝統野菜推進協会】伝統野菜を後世に残すためのPR活動tradveggie.or.jp
- 秋田の伝統野菜とは?県が認定する39品目の特徴と旬・食べ方を解説 | 国産の乾燥野菜専門メーカー|株式会社Agriture|業務用・OEM小ロット対応agriture.jp
- akita.lg.jppref.akita.lg.jp