日本一のじゅんさい産地である秋田県三種町で、機械化を拒む手摘みの文化がどのようにして守られてきたのか

白神山地の麓に広がる水面
初夏の秋田県三種町を訪れると、平野部に奇妙な光景が広がる。一面に水が張られた平坦な沼がいくつも点在し、その水面は楕円形の小さな浮葉によって緑色に覆われている。よく見ると、その浅瀬には小さな箱舟を浮かべた人たちがうつぶせに近い姿勢で陣取っており、水中にそっと手を差し入れては、手探りで何かを摘み取る作業を黙々と続けている。その穏やかでありながら独特なリズムを持った光景が、シーズン中を通じて延々と繰り返される。これが、日本料理の高級なお椀物などに添えられる珍味、じゅんさいの収穫風景である。じゅんさいは、かつては日本全国の至る所にある池や沼にごく自然に自生していた水草であり、遠く『万葉集』の時代から「ぬなわ」という古称で詩歌に詠まれてきた歴史を持っている。日本人の食文化の歴史のなかで、水辺の自然な恵みとして親しまれてきた植物だった。しかし、その後の急速な全国的な環境悪化や、農業・生活排水による水質汚濁の波に飲まれ、現在では多くの都道府県で完全に姿を消してしまっている。かつての自生地の多くでは絶滅危惧種に指定されるほど、その生存基盤はもろい。そんな中で、なぜ秋田県、とりわけ旧山本町の森岳地区を中心とする三種町だけで、国内生産量の約9割を占めるまでの巨大な大産地が形成され、そして今なお維持されているのだろうか。水草の一種である以上、生育のために清らかな水が不可欠であることは言うまでもないが、水が美しく澄んだ地域ならば、日本海側や北国の山間部にこそいくらでもあるはずだ。だとすれば、この土地の自然環境や歴史のなかに、何がじゅんさいの生存を特別に許し、他の地域では失われてしまった広範な集積を生み出したのだろうか。その疑問を解くためには、単なる「きれいな水」という一言では片付けられない、この土地特有の緻密な条件の重なりを見ていく必要がある。
沼縄と呼ばれた歴史と消えた環境
じゅんさいはスイレン科の多年生の水生植物であり、その生態は水底深くにある根茎から細く長い茎を水面に向けて伸ばし、水面の要所に小さな葉を浮かべるという構造をしている。私たちが食用として口にするのは、完全に成長しきった葉や茎ではなく、水中で寒天状の透明でぶるぶるとした粘質物に包まれた、成長途中の若い芽の部分である。古来、この植物は水中で茎が縄のように複雑に絡み合いながら生い茂る様子から「沼縄」を意味する「ぬなわ」と呼ばれ、数々の古い和歌や古文書のなかにその名前が記されてきた。例えば江戸時代初期に著された『農業全書』といった古典的な文献のなかにも、山菜や水辺の作物としての記述がしっかりと見出すことができ、かつては人々の生活圏のすぐそばにある身近な水辺の恵みであったことがうかがえる。しかし、日本が経験した高度経済成長期以降、私たちの生活様式や産業構造が大きく変わるにつれて、全国の沼や池を取り巻く環境は激変した。宅地化の波が押し寄せ、農業の効率化を目的とした大規模な農地改良が進み、さらには農業用水を通じて農薬や除草剤といった化学物質が水辺へと流入するようになった。じゅんさいという植物は、水質のわずかな変化や化学物質の存在、さらには夏の極端な水温上昇といった環境ストレスに対して極めて敏感であり、ほんの少しでも生育環境が損なわれると、容易に全滅してしまうほどデリケートな性質を隠し持っている。全国各地にかつて存在した生育地が次々と失われていくなかで、秋田の北部では奇跡的にその繊細な生態系が破壊されずに残された。だが、「水がきれいだったから残りました」という消極的な理由だけで、日本国内の生産量の圧倒的なシェアをこの土地が占め続ける現実を説明するには、いささか不十分と言わざるを得ない。そこには、この地域が持つ独特の地形的な条件と、人間によるたゆまぬ水管理の歴史的な噛み合わせが確実に存在していたのである。
二つの山系がもたらす水と温熱のバランス
秋田県三種町森岳地区が日本を代表するじゅんさいの一大産地へと成長し、その地位を守り続けてきた背景には、北方にそびえ立つ世界自然遺産・白神山地と、東側に連なるなだらかな出羽丘陵という、性格の異なる二つの山系から絶えず供給される水の存在が深く関わっている。白神山地といえば、広大で手つかずに近いブナの原生林がどこまでも広がり、雨や雪をたっぷりと蓄えた土壌が天然の巨大な貯水池として機能していることで知られる。その広大な森林が長い時間をかけてろ過し、磨き上げた清冽な伏流水や湧き水は、豊かな栄養素をしっかりとたたえたまま、麓の平野部にある沼へと絶え間なく流れ込んでいく。じゅんさいの最大の特徴である、あの独特で厚みのある豊かなヌメリは、植物体が光合成を活発に行うことによって分泌される酸性多糖類の一種であり、外部の敵や病原菌からデリケートな若芽の本体を防御するという重要な役割を担っている。白神山地から注ぎ込まれる冷たくて澄み切った水は、じゅんさいがこのヌメリの質と量を極限まで高めるための生育条件を完璧なまでに整えていた。さらに、じゅんさいの栽培において決して見逃すことができないのが、周囲の地形が自然と生み出す絶妙な水温の安定という要素である。じゅんさいは、ただ冷たければいいというわけではなく、冷たすぎる水の中では成長そのものがピタリと止まってしまい、かといって夏場に日差しを受けて水温が上がりすぎてしまうと、今度は致命的な高温障害を引き起こして枯れてしまう。出羽丘陵のなだらかな山並みに囲まれた森岳の沼群は、水深が適度に保たれていることに加え、山間から吹き抜ける風の通り道があり、さらには地下からコンスタントに湧き出る地下水の温度が、じゅんさいにとって理想的なバランスで奇跡的に合致していた。自然がもたらす水の清らかさと、栽培の継続に耐えうる水温という二つの厳しい条件が、森岳の沼において完全に重なり合っていたのである。
全国の水草生産地がたどった異なる結末
水生植物の栽培という側面から日本国内を見渡してみると、特定の水環境を必要とする作物は他にも数多く存在する。例えば、茨城県の土浦周辺に広がる広大なレンコン産地や、清らかな水流を利用して栽培されるクレソン、あるいは同じく冷たい清流を好むワサビを作る地域などがその代表例である。これらはいずれも、生育のために特定の水環境が不可欠であるという点においてじゅんさいと共通項を持っている。しかし、レンコンの栽培方法に目を向けると、泥深い大規模な水田を舞台にして、大型の農機具などを導入した効率的で大規模な農業として発展を遂げてきた歴史がある。これに対して、じゅんさいの収穫作業は、機械による一括刈り取りや効率的な自動化が一切不可能という、極めて特殊な制約を抱えている。水面に浮かべた小さな小舟に一人で乗り込み、水中に沈む新芽の状態を手先の感覚だけで確かめながら、親指の爪と人差し指の関節を使って一つずつ優しく、そして正確に摘み取る作業は、人間の手作業に全面的に依存せざるを得ない。全国各地の多くの湿地やため池においても、かつては地域の人々が自家用として、あるいは小規模な副業として採取を行っていた時代があった。しかし、収穫にかかる圧倒的な手間と時間の負担、そして水質悪化という環境変化に対するあまりの脆弱さの前に、多くの地域が産業としての継続を次々と断念していった。他の地域が機械化による効率化や、あるいは他の作りやすい農作物への転換を進めていく中で、秋田の生産農家たちは自らの手で沼の周辺環境を守り抜き、湧水が通る水路の泥をさらい、環境を整備し続けたのである。他の水産地がたどった結末と比較するならば、今日までじゅんさいという文化が生き残ったのは、単に気候や水質の偶然のめぐり合わせだけではなく、この極端に手のかかる手摘みの労働体系を、一族や地域社会のなかで途絶えさせずに受け継いできた農家組織と、その収穫物を丁寧に扱う加工の仕組みがしっかりと根付いていたからにほかならない。
縮小する生産量と、今も水面に浮かぶ小舟
現在、三種町のじゅんさい栽培は、まぎれもなく大きな転換期を迎えている。かつて町全体の生産量が1,000トンを大きく超えていた最盛期に比べると、現在の生産量は栽培に携わる人々の高齢化や、深刻な後継者不足、そして日々の作業が身体にかける労働負荷の高さなどが重なり、数百トン規模へと大きく減少してきている。それでもなお、国内の生産量の約9割という圧倒的なシェアが現在に至るまで揺らいでいないのは、新規に参入する人や若い世代の生産者たちが、先人たちが築き上げてきた伝統的な栽培技術や厳格な品質管理のあり方をしっかりと引き継ぎ、サイズ別の丁寧な選別や加工の精度をさらに高め続けているからにほかならない。初夏から盛夏にかけてのじゅんさいのシーズンが到来すると、早朝のまだ涼しい時間帯から夕方の日の傾くまで、沼のあちこちに小さな小舟が浮かび、人が乗って作業をする光景が変わらずに見られる。観光客向けに、採れたての新鮮さを体験してもらうための「流しじゅんさい」といったイベントなども行われており、一見するとのどかで風流な地域おこしのようにも映る。しかし、その華やかなイベントの裏側にあるのは、白神山地の貴重な伏流水を一滴たりとも濁らせないための妥協のない厳格な水管理の日常であり、一粒一粒を自分の手で摘み取り、大きさごとに仕分けていくという途方もない手作業の果てしない積み重ねである。観光のパンフレットなどに描かれるような、涼しげで情緒的なイメージとは裏腹に、そこにあるのは冷たい水と泥のなかに毎日向き合い続ける、極めて泥臭く、そして忍耐力を求められる農業のリアルな現実そのものである。
水の純度と人の手が生んだ偏在
じゅんさいという水草がなぜ秋田という特定の地域でこれほどまでによく獲れるのかという現象は、単に「北国の豊かな自然が開発の手から逃れて手つかずのまま残っていたから」という単純な話ではない。世界自然遺産である白神山地がもたらす類まれな水の純度と、その冷たさを絶妙なバランスで保ち続ける特異な地形という、自然環境が用意した条件。そして、機械化を完全に拒むような繊細で気難しい作物を、一族や地域の共同体のなかで途方もない手作業を通じて守り抜いてきた歴史的な労力。その自然の条件と人間の営みの双方が、同じ一点でしっかりと噛み合った結果として、現在の生産地図を作り上げているのである。全国各地の数多くの水辺から、この歴史ある植物が静かに姿を消していった中で、秋田の沼だけが特異な集積地として残り続けたのは、その環境を維持するために払われてきた膨大な手間の歴史そのものを無言のうちに物語っている。水面のすぐ下でひっそりと、しかし力強く広がる緑の葉と、それを根底から支え続ける冷たい地下水脈は、自然の恩恵と人間の規律正しい営みが奇跡的に一致した地点でのみ成立する、極めて限定された現実の形なのだ。
旅と食が好き。どこにでもいます。