2026/6/4
相模川の鮎はなぜ厚木で特別なのか?献上から祭りまでの歴史

あつぎの鮎について詳しく知りたい。
キュリオす
平安時代に「鮎河」と呼ばれた相模川。江戸時代には将軍家への献上品となり、明治期には屋形船での鮎料理が流行。現代の「あつぎ鮎まつり」へと続く、厚木の鮎にまつわる歴史と文化を辿ります。
厚木を訪れると、相模川の広々とした流れがまず目に飛び込んでくる。その川面を静かに見つめていると、かつてこの川が「鮎河」と呼ばれた時代があったという話に、どこか納得させられるものがある。鮎、それは単なる魚ではない。この地で古くから人々の暮らしと文化に深く結びついてきた存在だ。なぜ厚木の鮎は、これほどまでに特別な意味を持ってきたのだろうか。その問いの答えは、川の恵みと、それを受け継いできた人々の歴史の層の奥に隠されている。
相模川が「鮎河」と称されたのは、平安時代にまで遡る。春には遡上する鮎で川が黒く見えるほどだった、という伝承が残るほど、古くからこの川は鮎の宝庫であったようだ。その価値は時の権力者にも認められ、江戸時代には相模川で獲れた鮎が、将軍家への「献上鮎」として江戸本丸城に上納されていた記録がある。採れたての鮎は、人夫によって大山街道(現在の国道246号)を通り、その日のうちに江戸へと運ばれたというから、当時の物流と鮮度へのこだわりが窺える。
明治から大正期にかけては、東京からの観光客が相模川に浮かべた屋形船で、芸者を招き宴会を催しながら鮎料理に舌鼓を打つという文化も花開いた。釣りたての鮎をその場で調理して楽しむ趣向は、厚木を代表する名物の一つとして定着していったのである。
現代に続く「あつぎ鮎まつり」の源流も、この時代に遡ることができる。大正初期には、厚木町の旅館や料亭が共催し、7月1日の川開きの日に花火大会が行われていた。関東大震災による中断を経て、昭和に入ると厚木町の青年団が鮎の解禁と盆の納涼を兼ねた「厚木花火大会」を復活させる。しかし、第二次世界大戦の勃発により再び中断を余儀なくされた。戦後、1947年(昭和22年)には愛甲地方事務所が中心となり厚木観光協会が結成され、同年8月に「第一回鮎まつり」が開催されたことで、現在の祭りの骨格が築かれた。先祖の霊を慰めるための花火が、やがて皆が楽しめる「鮎まつり」へと形を変えながら、その伝統は引き継がれていったのである。
厚木の鮎がこれほどまでに愛され、特別な存在であり続ける背景には、相模川が持つ自然環境と、それを守り育てる人々の継続的な努力がある。相模川は山梨県の山中湖を水源とし、富士の白雪が溶け出した湧水が桂川となり、道志川や中津川などの水脈と合流して相模湾へと注ぐ。その水源は火山礫などで構成された透水性の良い地質に恵まれ、加えて豊かな樹林地帯を持つため、川に流れ込む水の量は比較的安定し、水質も良好に保たれてきたのだ。
この良好な水質と安定した水量は、鮎の生育にとって理想的な環境を提供する。相模川は全国有数の鮎の遡上量を誇り、2024年度には約500万尾もの鮎が遡上したと記録されている。これは、元々相模川が持つ豊かな環境に加え、神奈川県内水面漁業協同組合連合会などによる長年の保全活動の成果でもある。毎年、稚鮎の放流が行われ、相模湾で獲れた稚鮎や人工生産された鮎が中津川の井戸水(伏流水)で育てられ、川へと送り出されている。
鮎漁の期間は6月1日から10月中旬までと定められており、この期間中は多くの釣り人でにぎわう。相模川では、友釣りのほか、コロガシ釣りや投網といった伝統的な漁法が用いられる。近年では一部区間でルアー釣りも可能になっているという。これらの漁法は、鮎の習性や川の地形に合わせて発展してきたものであり、それぞれの釣り場によっても使い分けられている。
日本の各地には、それぞれの川の恵みと歴史が育んだ鮎文化が存在する。たとえば、岐阜県の長良川では、千年以上続く伝統漁法である鵜飼が全国的に知られている。これは鵜を巧みに操り鮎を捕獲するもので、漁そのものが観光資源となり、夜の闇に篝火が映える幻想的な情景が多くの人々を惹きつけてきた。長良川の鮎は、その独特な漁法と結びついて語られることが多い。
一方、厚木の相模川の鮎は、その歴史において「献上鮎」という形で、時の権力者への特別な贈答品としての価値を確立してきた点が特徴的だ。これは鮎が持つ味覚や香りの良さが、単なる食料を超えた地位を与えられていたことを示唆する。また、明治期に屋形船での鮎料理が東京からの観光客に人気を博したように、相模川の鮎は「川辺での贅沢な体験」という側面を早くから持ち合わせていた。他の地域にも鮎漁や鮎料理は存在するが、相模川の鮎は自然の恵みと、それを取り巻く歴史的な格式、そして都市近郊という立地が融合することで、独自の文化圏を形成してきたと言えるだろう。
長良川の鵜飼が「見せる漁」として発展したのに対し、相模川の鮎漁は「食する文化」を軸に、釣り人による遊漁や料亭での提供、さらには地元の祭りへと展開していった。両者ともに鮎を地域の象徴としているが、その表現の仕方は対照的である。相模川では、大規模な遡上量と良好な水質が、鮎そのものの質を高め、それが食文化の発展を促した。伝統的な漁法に加え、友釣りやコロガシ釣りといった竿釣りが主流である点も、鮎と個々の釣り人との関係性を重視する文化の現れではないか。
現在、厚木市内を流れる相模川では、毎年6月1日に鮎釣りが解禁され、10月中旬まで多くの釣り人で賑わう風景が夏の風物詩となっている。市内の旅館や飲食店では、初夏から初秋にかけて、塩焼きや天ぷら、甘露煮といった様々な鮎料理が提供され、地元の味覚として親しまれている。特に塩焼きは、鮎本来の香りと味を楽しむには一番とされ、多くの店で提供されている。
厚木市北部の三田には、神奈川県内水面漁業協同組合連合会が運営する「厚木あゆ種苗センター」がある。ここでは相模湾で獲れた稚鮎や、これを親として人工生産した鮎を、中津川の井戸水で育てているのだ。センターの直売所では、活魚の鮎(6月から10月頃)のほか、冷凍鮎や鮎の開き、甘露煮なども販売されており、家庭でも厚木の鮎を味わうことができる。
また、厚木市の一大イベントである「あつぎ鮎まつり」は、毎年8月の第一土曜日を中心に2日間にわたって開催される。メインイベントの花火大会では、相模川・中津川・小鮎川の三川合流点付近で約1万発もの花火が打ち上げられ、県内でも最大級の規模を誇る。祭り期間中は、厚木中央公園や中心市街地で様々なイベントが開催され、多くの来場者で賑わう。2024年の開催では、約29万人が訪れ、その経済効果は8億円規模に上ると試算されている。
相模川の清流を守るための活動も活発だ。「県央相模川サミット」を構成する厚木市をはじめとする周辺自治体は、河川の保全や水害対策に向けた連携を強化し、合同クリーンキャンペーンを実施している。ごみ拾いや鮎の稚魚放流なども行われ、美しい自然環境を次世代へ引き継ぐための努力が続けられているのだ。
厚木の鮎を巡る旅は、単に美味しい魚を味わうことに留まらない。そこには、古くから自然の恵みを受け、それを守り、育ててきた人々の営みが重層的に息づいている。かつて将軍家へ献上された歴史的価値、明治期に花開いた川辺の料亭文化、そして現代へと続く大規模な祭りや稚魚放流といった保全活動。これらすべてが、相模川の鮎という存在を形作ってきた。
他の地域の鮎文化と比較すると、厚木の鮎は、その品質の高さと、それを支える川の豊かな環境、そして何よりも「人」が積極的に関与し、その価値を維持・向上させてきた歴史が際立つ。自然の恩恵を享受するだけでなく、それを守り育てるという、ある種の「共生」の姿勢が、厚木の鮎を特別なものにしている。この地を訪れ、川の流れを眺め、鮎料理に舌鼓を打つとき、私たちは単なる味覚を超えて、その背後にある長い歴史と、未来へ向けた静かな決意を感じ取ることができるのではないか。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。