2026/6/27
近江八幡の草屋根に立つ菓子店「クラブハリエ」の成り立ちと哲学

近江のクラブハリエについて詳しく教えて欲しい。
キュリオす
滋賀県近江八幡市の「ラ コリーナ近江八幡」に拠点を置くクラブハリエ。材木商から和菓子舗を経て、洋菓子へ転換し、独自の「ふわふわ、しっとり」なバームクーヘンで人気を博すまでの経緯と、自然と共生する経営哲学を辿る。
近江の丘に立つ、菓子づくりの風景
滋賀県近江八幡市を訪れると、田園風景の中に突如として現れる草屋根の建物群に目を奪われる。それは、和菓子舗「たねや」と洋菓子ブランド「クラブハリエ」の旗艦店「ラ コリーナ近江八幡」だ。なぜこの地で、これほどまでに多くの人々を惹きつける菓子づくりが営まれているのか。単なる観光施設として片付けられない、その背景には、近江の風土と、老舗が培ってきた菓子職人の矜持、そしてある種の挑戦が横たわっている。近江八幡は、かつて近江商人の本拠地として栄えた町であり、商いの精神が深く根付く土地である。この場所で、伝統的な和菓子と革新的な洋菓子が共存し、独自の文化を形成しているのはなぜだろうか。それは、単に菓子を製造販売するだけでなく、自然との共生や職人の技術継承といった多層的な価値を追求してきた結果なのだ。この地でしか生まれ得なかった菓子文化の成り立ちを紐解くことは、現代におけるものづくりの本質を問い直すことにも繋がるだろう。
材木商から菓子舗へ、そして洋菓子への転換
クラブハリエの歴史は、その母体である和菓子舗「たねや」の創業に遡る。たねやは、1872年(明治5年)に山本久吉が滋賀県近江八幡市で菓子舗「種家末廣」として創業したのが始まりである。もともとは江戸時代に材木商を営んでいた家系であったが、その後、穀物や根菜の種子を扱う「種屋」へと業態を変え、地元の人々からは「たねや」の愛称で親しまれていたという。明治維新後、七代目山本久吉が京都の和菓子店で修行を積み、栗饅頭や最中を製造販売する菓子屋へと転身したことで、菓子舗としての歴史が本格的に始まったのだ。
洋菓子づくりへの転機が訪れたのは、創業から約80年後の1951年である。当時、滋賀県近江八幡市に住んでいた著名な建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズ氏との交流がそのきっかけとなった。たねやの店舗の向かいに住んでいたヴォーリズ氏からはパンやケーキの注文を受けることもあり、ホームパーティーに招かれる中で、当時の日本では珍しかったアメリカの文化や洋菓子づくりに触れる機会を得たという。この出会いが、たねやに洋菓子部門を設立するきっかけとなったのだ。
当初の洋菓子部門は「BON HARIE(ボンハリエ)」という名称で、リーフパイやバームクーヘンを中心に菓子づくりを進めていた。しかし、その経営は必ずしも順風満帆ではなかった。洋菓子部門が独立し、株式会社「BON HARIE」を設立したのは1979年のことである。その後、人々が集い語らう「倶楽部(クラブ)」のように温かく、キラキラと輝くガラス絵「玻璃絵(ハリエ)」に夢を見る、という意味を込めて、1995年に商号を「株式会社CLUB HARIE(クラブハリエ)」へと変更した。
クラブハリエのバームクーヘンが全国的にその名を知られるようになる決定的な転換点は、1999年に大阪の阪神百貨店梅田本店にオープンしたバームクーヘン専門店「B-studio(ビースタジオ)」である。当時、バームクーヘンは「パサパサしたお菓子」という固定観念が強かったが、クラブハリエは「やわらかな食感を多くの人に届けたい」という強い思いを抱いていた。この「B-studio」では、丸太状のバームクーヘンを店頭で焼き上げる「ショップ・イン・ファクトリー」というスタイルを採用し、焼きたてのバームクーヘンをその場でカットして試食に提供したことで、その「ふんわりしっとり」とした食感が大好評を博した。この革新的な試みは大きな話題を呼び、連日行列ができるほどの人気となり、クラブハリエのバームクーヘンは全国へとその名を広げていくことになったのだ。この成功が、現在のクラブハリエの基盤を築き、その後の全国展開へと繋がっていく。
ふわふわ、しっとりを生む職人技と独自の経営哲学
クラブハリエのバームクーヘンが「ふわふわ、しっとり」と評される独特の食感を持つ背景には、徹底した素材へのこだわりと、職人の熟練した技術、そして独自の経営哲学が存在する。一般的なバームクーヘンのイメージを覆したその食感は、単なる偶然の産物ではない。
まず、素材へのこだわりは極めて高い。クラブハリエのバームクーヘン作りは、新鮮な卵の吟味から始まるという。日に約3万から5万個もの卵が職人の目で一つひとつ入念にチェックされ、新鮮さと黄身の色が生地の味と色に直結するため、不純物の有無まで厳しく確認されるのだ。バターや小麦粉といった主要な材料も厳選され、最高の風味を引き出すための配合が追求されている。
次に、その日の気温や湿度に合わせて生地の状態を調整する職人の技が不可欠である。バームクーヘンは生地を回転する棒に一層ずつかけ、焼き重ねていく菓子であり、その日の天候によって生地の水分量や膨らみ方が微妙に変化する。クラブハリエでは、既成のオーブンではなく、職人が火加減を細かく調整できるカスタムメイドのオーブンを使用している。職人は指先の感覚を研ぎ澄ませ、炎の強さや焼き色、香りといったわずかな変化も見逃さず、焼きすぎずに水分を適切に残すことで、あの「ゆらゆらと揺れるほどの柔らかさ」を実現しているのだ。この技術を習得するには、職人として3年から5年の修練が必要とされるという。大量生産の時代にあっても、この手仕事と経験に裏打ちされた職人技こそが、クラブハリエのバームクーヘンの品質を支える根幹にある。
さらに、クラブハリエを擁するたねやグループの経営哲学も、その成功を語る上で欠かせない要素である。たねやグループは、近江商人の精神である「三方よし」(売り手よし、買い手よし、世間よし)を経営の根幹に据えている。この精神は、単に利益を追求するだけでなく、顧客、従業員、そして地域社会のすべてが幸福になることを目指すものであり、現代のSDGs(持続可能な開発目標)にも通じる考え方だと言える。
「自然に学ぶ」というコンセプトもまた、たねやグループの重要な柱である。その象徴が「ラ コリーナ近江八幡」に広がる田んぼであり、従業員が米を育て、自然の循環を肌で感じることで、菓子づくりへの感性を磨いている。このような哲学が、単なる菓子製造に留まらない、地域に根ざした持続可能なブランドとしてのクラブハリエを形成しているのだ。洋菓子部門の代表取締役社長兼グランシェフである山本隆夫氏自身も、若かりし頃のコンテストでの挫折を乗り越え、国際的な洋菓子コンクールで優勝や準優勝を果たすなど、職人としての技術向上と経営を両立させてきた。彼の「一点突破の戦略」と「お菓子づくりは一生をかけた仕事」という情熱が、クラブハリエの品質とブランド力を高めてきたのである。
バームクーヘンを巡る多角的な比較
クラブハリエのバームクーヘンの特異性を理解するには、他のバームクーヘンブランドや、菓子業界における類似の現象との比較が有効である。日本にはクラブハリエ以外にも、数多くの著名なバームクーヘンブランドが存在し、それぞれ異なるアプローチで市場を開拓してきた。
例えば、「ユーハイム」は、バームクーヘンを日本に紹介したドイツ人菓子職人カール・ユーハイムが創業した、いわば「本家」とも言える存在である。ユーハイムのバームクーヘンは、ドイツの伝統的な製法と厳格な品質基準を守り、添加物を極力使わないシンプルながらも重厚な味わいが特徴だ。これに対し、クラブハリエは、伝統的な製法を守りつつも、日本人の好みに合わせた「ふんわり、しっとり」とした食感を追求し、独自の進化を遂げたと言える。ユーハイムが「本場の味の継承」を軸とするならば、クラブハリエは「新たな食感の創造」に焦点を当てたのだ。
また、「治一郎」のバームクーヘンも、その「しっとり感」で知られるブランドである。治一郎は「極限のしっとり」を追求し、卵黄を多く使うことで濃厚な風味と口溶けの良さを実現している。一方、「ねんりん家」は、異なる食感のバームクーヘンを複数展開することで知られる。「マウントバーム しっかり芽」は外側がカリッとして中はしっとり、一方で「ストレートバーム やわらか芽」はふんわりとした食感を持つ。ねんりん家が多様な食感を提供することで幅広い顧客層を獲得しているのに対し、クラブハリエは「ふんわり、しっとり」という一つの食感を極めることで、そのブランドイメージを確立した。
これらの比較から見えてくるのは、クラブハリエの戦略が「特定の食感と体験の深化」にあったという点である。ユーハイムが伝統と普遍性を、治一郎がしっとり感を、ねんりん家が多様性を追求する中で、クラブハリエは「焼きたての、ふわふわしっとりとしたバームクーヘン」という、かつては珍しかった体験を百貨店の店頭で提供したことが大きな成功要因となった。これは、単に菓子そのものの品質だけでなく、購入体験全体をデザインするという点で、他のブランドとは一線を画していたと言える。
さらに、和菓子店を母体とするという点も、クラブハリエの洋菓子づくりに独自の影響を与えている可能性がある。和菓子には、季節の移ろいや自然の美しさを表現する繊細な感性が求められる。たねやグループが掲げる「自然に学ぶ」という哲学は、和菓子づくりで培われた感性が洋菓子にも応用されている証左だろう。これは、単に洋菓子の技術を導入するだけでなく、日本の風土や文化に根ざした菓子づくりの精神を洋菓子にも持ち込んだ結果だと言える。
自然と共生する「ラ コリーナ近江八幡」の現在
クラブハリエは現在、滋賀県近江八幡市にある「ラ コリーナ近江八幡」を旗艦店として、その世界観を広く発信している。2015年にオープンしたこの施設は、単なる菓子販売店に留まらず、自然と共生する「お菓子のテーマパーク」とも評される場所である。年間300万人以上が訪れる滋賀県随一の観光スポットとなっており、その広大な敷地には、メインショップの草屋根の建物や、田畑、カフェ、フードコートなどが配置されている。
ラ コリーナのコンセプトは「自然を愛し、自然に学び、人々が集う繋がりの場」である。建築家・藤森照信氏が手がけたメインショップの建物は、屋根が植物に覆われた独特の景観を持ち、周囲の八幡山と一体となる里山をイメージしてつくられたという。敷地内には、かつて厚生年金施設があった場所のコンクリートを剥がし、地域の植物や生物が育成する環境を再現したという経緯がある。従業員が田植えをして米を育てる田んぼは、菓子づくりが自然と共に営まれる商いであるという哲学を象徴しているのだ。
ラ コリーナは、クラブハリエのバームクーヘン製造の現場を見学できる「バームファクトリー」を擁し、焼きたてのバームクーヘンを提供するカフェも併設している。ここでは、職人が一層一層バームクーヘンを焼き上げる様子や、カット、箱詰めといった工程をガラス越しに見ることができる。これは、1999年の「B-studio」での成功体験を大規模に展開したものであり、菓子づくりのプロセスそのものも「体験価値」として提供しているのだ。
現代において、多くの企業が後継者問題や観光客誘致に課題を抱える中で、クラブハリエは「ラ コリーナ」という形で、地域に深く根ざしながらも、新しい顧客体験を創造することに成功している。オンラインショップの拡充や、全国の百貨店への出店も継続しており、2024年7月にはラ コリーナ近江八幡のフードコートエリアがリニューアルオープンするなど、常に進化を続けている。また、たねやグループ全体で2030年までの電力カーボンニュートラル実現を目指すなど、環境保全活動にも積極的に取り組んでいる。菓子づくりを通じて、地域に貢献し、持続可能な事業モデルを構築しようとする姿勢が、現在のクラブハリエの姿を形作っていると言えるだろう。
菓子づくりが問い直す「見えない価値」
近江の地で育まれたクラブハリエの物語は、単なる菓子の成功事例に留まらない。そこには、現代社会において見過ごされがちな「見えない価値」を問い直す視点が含まれている。
一つは、効率化が優先される時代における「手仕事」の価値である。クラブハリエのバームクーヘンは、その日の気候に合わせて職人が火加減を調整し、一つひとつ丁寧に焼き上げる。これは、均一な品質を大量生産する現代の製造プロセスとは対極にある。しかし、この手間暇をかけることで生まれる「ふんわりしっとり」とした食感や、菓子に込められた職人の技術と情熱は、機械では代替できない固有の価値を持つ。消費者は、単に菓子を消費するだけでなく、その背景にある職人の技や物語に共感し、対価を支払っていると言えるだろう。
もう一つは、「地域性」と「普遍性」の交差点である。クラブハリエは滋賀県近江八幡という特定の地域に深く根ざしながらも、その製品は全国、さらには世界へと発信されている。ラ コリーナ近江八幡の成功は、その土地の風土や歴史、そして「自然に学ぶ」という哲学を最大限に活かした結果である。これは、特定の地域固有の価値を深く掘り下げることが、普遍的な魅力を生み出す可能性を示唆している。安易なグローバル化や画一化ではなく、足元を見つめ、その土地ならではの個性を磨き上げることが、結果として多くの人を惹きつける力となるのだ。
クラブハリエのバームクーヘンを巡る一連の出来事は、菓子づくりという営みを通じて、効率や規模だけでは測れない「時間」「手間」「土地との対話」が持つ、静かなる力を示している。それは、消費者が求めるものが、単なる製品の機能や味覚だけでなく、その裏にある物語や哲学、そして作り手の真摯な姿勢へと変化している現代の傾向を映し出しているのかもしれない。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。
参考
- たねやの近江商人哲学 バカボンと呼ばれた4代目の事業承継と成功への道 | Forbes JAPAN 公式サイト(フォーブス ジャパン)forbesjapan.com
- たねやとクラブハリエは、滋賀の至宝であり王道 / 滋賀 近江八幡市 1872年創業 (明治5年) – 老舗食堂 ~100年以上の歴史を持つ店舗を巡る旅~shinise.tv
- たねや|「とらや」との差別化を意識することで独自スタイルに!洋菓子店「クラブハリエ」も展開する老舗和菓子店が滋賀にこだわる理由 | Precious.jp(プレシャス)precious.jp
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- 滋賀県近江八幡市発の洋菓子店「クラブハリエ」の魅力とは - KURAFT [クラフト]kuraft.jp
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