2026/6/27
近江の漬物屋「山上」は、なぜ伝統野菜にこだわるのか

近江の漬物屋さんの山上について詳しく教えて欲しい。
キュリオす
滋賀県湖南市に本社を置く「近江つけもの 山上」は、日野菜や下田なすといった伝統野菜にこだわり、「地漬」の理念を掲げている。500年前から続く日野菜の歴史と、持ち味を活かす漬け込みの工夫に迫る。
近江の風土が育む漬物の気配
滋賀、かつて近江と呼ばれたこの地を訪れると、その豊かな食文化の多様性に気づかされる。琵琶湖がもたらす水の恵みと、鈴鹿山脈から流れ込む伏流水が育む肥沃な土壌は、古くから多様な農作物を育んできた。そうした土地で生まれた食の知恵の一つが「漬物」である。特に、湖南市に本社を置く「近江つけもの 山上」は、この地の伝統野菜にこだわり、「地漬」という理念を掲げている。彼らの漬物は単なる保存食の域を超え、近江の風土と歴史、そして職人の手間を凝縮した味として、多くの食卓に届けられてきた。なぜこの地で、これほどまでに漬物文化が深く根付き、そして山上はその中でどのような役割を担ってきたのか。その問いの答えは、土と水、そして人々の営みの奥深さに見出すことができるだろう。
湖国の歴史と日野菜の物語
近江の地で漬物づくりが盛んになった背景には、この地が古くから米どころであり、主食である米に合う副食として多様な漬物が工夫されてきた歴史がある。また、滋賀県が野菜の多様な品種に恵まれていたことも大きな要因だ。特に「近江つけもの 山上」の製品を語る上で欠かせないのが、滋賀県が発祥とされる伝統野菜「日野菜」である。この細長いカブの一種は、根元が紫色、先端が白色という特徴を持ち、約500年前の室町時代にその物語が始まる。日野町鎌掛の観音堂に参詣した当時の領主、蒲生貞秀が自生していたこの野菜を発見し、栽培を命じたことが起源とされているのだ。
貞秀は、この日野菜を漬物にしたところ、その美しい色合いが桜の花に似ており、風味も優れていたことから、京都の公家である飛鳥井雅親に献上したという。雅親はさらにこれを後柏原天皇に奉り、天皇はその美味しさを称え、「近江なる檜物の里の桜漬け これや小春のしるしなるらむ」という和歌を贈ったと伝わる。 これ以来、日野菜の漬物は「桜漬け」の名で広く親しまれるようになった。その後、明治から大正時代にかけて、日野町の吉村源衛が三代にわたり品種改良を重ね、現在のような細長い日野菜の姿になったと言われている。 この日野菜漬けは、平成10年(1998年)には滋賀県選択無形民俗文化財「滋賀の食文化財」として選択され、その文化的価値も公的に認められている。
株式会社やまじょう(山上)のルーツは、さらに古く、初代が1910年(明治43年)に糀と味噌の加工業を始めたことに遡る。 その後、1936年(昭和11年)に漬物加工業を開始し、現在に至るまで80年以上にわたり漬物づくりに専念してきた。 漬物専門店としての直営店「山上本店」が湖南市下田にオープンしたのは2008年(平成20年)のことだ。 このように、山上は日野菜に代表される近江の伝統野菜と、その漬物文化が育んできた歴史の流れの中に位置づけられる。
地漬が守る、野菜の持ち味
「近江つけもの 山上」が掲げる「地漬(じづけ)」という理念は、単に地元で漬けるという行為以上の意味を持つ。それは、近江の伝統野菜を中心に据え、湖南市の本社工場で丁寧に漬け込むという、素材への徹底したこだわりを表現している。 彼らが扱う主な伝統野菜には、日野菜の他に、夏の「下田なす」や「白菜大葉の重ね漬」に使われる厳選された白菜などがある。
この素材へのこだわりは、単に仕入れるだけに留まらない。特に夏の主力商品である「下田なす」に関しては、生産者の高齢化や栽培の難しさから収穫量が減少傾向にあったため、山上は自ら約20年前から自社農園での栽培に乗り出した。 現在では約8反の農地で3000本もの下田なすを栽培し、安定した品質と供給を確保している。 自社で栽培することで、野菜の生育過程を深く理解し、その「持ち味を活かす」という彼らの哲学をより深く実践できるのだ。
漬け込みの工程においても、そのこだわりは顕著である。山上では、野菜の種類ごとに重石の重さと日数を変え、最小限の重さでじっくりと漬け込む方法を採用している。 重石をかけすぎると野菜のサイズは小さくなるが、その分、旨味が凝縮され、豊かな歯ごたえが生まれるという。 一般的にはコスト増につながるため敬遠されがちな手法だが、山上ではこの重石のかけ方にこそ美味しさを追求する鍵があると考えているのだ。 野菜一つ一つの形や味、性質を見極め、切り方、塩加減、押し加減、そして漬け込む時間に至るまで細心の注意を払う。この「いかにして素材の持ち味を活かすか」という問いが、彼らの漬物づくりの全てであると言えるだろう。 鈴鹿山脈から琵琶湖に注ぐ野洲川の伏流水が育む肥沃な湖東平野の土壌が、近江の野菜を美味しくする根源であり、山上はその恵みを最大限に引き出す技術を磨き続けている。
都の食を支えた地の矜持
日本の漬物文化は、古くは8世紀の奈良時代に「須々保利」「楡木」「糟漬」といった文字が木簡に記されていることからも、その長い歴史を窺い知ることができる。 その中で、近江の漬物文化が持つ特徴は、周辺地域、特に都であった京都の食文化との関係性において見えてくる。
京都の漬物は、しばしば野菜本来の旨味や甘みを最大限に引き出した、繊細で優しい味わいが特徴とされる。 一方、近江は古くから「近畿の米倉」と称され、京や大坂といった都の食を支える一大穀倉地帯として栄えた歴史を持つ。 この「米どころ」という背景は、主食である米を美味しく食べるための副食としての漬物文化を豊かに発達させた。 つまり、近江の漬物は、京都の洗練された宮廷料理や茶懐石に添えられるような繊細さとは異なり、日々の食卓で米飯と共に力強く味わわれる、より実直な性格を帯びていたと推測できる。
また、近江の地には、江戸時代に彦根藩が牛肉の味噌漬け「反本丸(へんぽんがん)」を薬用として考案し、将軍家にも献上していたという特異な歴史がある。 これは、肉食が禁じられていた時代にあっても、滋養強壮という名目で特定の食材を加工し、食する文化が存在したことを示している。この味噌漬けの技術と発想は、現代の山上でも「近江牛の味噌漬け」や「チーズの味噌漬け」といった形で受け継がれ、伝統的な野菜の漬物とは異なる展開を見せている点も興味深い。
滋賀県内においても、地域ごとに多様な漬物が存在する。例えば、湖西の高島郡には在来種の「万木蕪(まんぎかぶ)」があり、安曇川町三尾里ではこれを特産品として漬物にしている。 湖北の姉川周辺部では「高月菜のはぐき漬け」が伝承されてきた。 このように、近江の漬物文化は一様ではなく、それぞれの土地の風土と、そこで育つ在来種との対話の中で多様な形をとってきたのだ。山上は、この多様な近江の伝統野菜の中から、日野菜や下田なすといった特定の素材を選び出し、その「持ち味」を最大限に引き出すことに特化することで、近江全体の漬物文化の奥深さを体現していると言えるだろう。
伝統と革新が交差する畑と店
「近江つけもの 山上」の現代における姿は、伝統的な製法を守りつつも、時代に合わせた革新を取り入れることで成り立っている。彼らは滋賀県内に、本社に併設された「山上本店」のほか、「日牟禮店」(近江八幡市)、「金亀城町店」(彦根市)、「長浜黒壁店」(長浜市)など、5つの直営店を展開している。 これらの店舗では、試食を通じて顧客が多様な漬物を実際に味わい、好みに合う一品を選ぶことができるよう配慮されている。
特に彦根市の「山上金亀城町店」の2階には「山上茶寮」というバイキング形式の食事処が併設されており、ここでは近江の伝統野菜を中心とした20種類以上の漬物を、炊き立ての近江米と共に楽しめる。 これは、漬物を単体の商品として提供するだけでなく、近江の食文化全体を体験できる場を提供しようとする試みと言えるだろう。
しかし、伝統野菜の栽培には課題も多い。前述の通り、主力の一つである「下田なす」は、生産者の高齢化や栽培の難しさから収穫量が減少している。こうした状況に対し、山上は自社農園での栽培を始めることで、伝統野菜の安定供給と、その継承に貢献している。 また、地元の小学生を対象とした下田なすの収穫体験を実施するなど、次世代への食育にも力を入れている点も特筆される。
製品開発においても、山上は伝統の枠にとらわれない柔軟な姿勢を見せている。伝統的な日野菜漬けや下田なす漬けに加え、「味噌漬チーズ」のような新たな商品も生み出してきた。 この味噌漬チーズは「ベストお取り寄せ大賞2020」で銅賞を受賞するなど、その品質と独自性が評価されている。 これは、古くから伝わる味噌漬けの技術を現代の食生活に合う形で応用した事例であり、「守り続ける伝統製法と進化し続ける最新の技術の融合」という彼らの企業姿勢を象徴している。 品質管理においてもISO9001やS-HACCP認証を取得し、衛生管理と品質維持に努めている点も、現代の食品製造業としての責任を果たそうとする姿勢の表れである。
漬物が語る、土と人の対話
「近江つけもの 山上」の漬物を巡る旅は、単に一企業の製品を追うだけに留まらない。それは、近江という土地が持つ食文化の深層、そしてその中で人々がどのように自然と向き合い、恵みを引き出してきたかの物語に触れることでもある。
日野菜が500年以上にわたり、天皇に献上されるほどの価値を持ち続けてきた背景には、その独特の風味と、それを美味しく漬け込む技術の継承があった。山上は、この歴史ある日野菜をはじめとする近江の伝統野菜を「地漬」という形で現代に繋いでいる。それは、単に古い製法をなぞるのではなく、自社農園での栽培や、野菜ごとの重石の調整といった、手間と経験に裏打ちされた「持ち味を活かす」という哲学を日々の漬物づくりの中で実践し続けることだ。
彼らの漬物は、近江の肥沃な土壌と清らかな水が育んだ素材の力を、職人の手仕事と観察力によって最大限に引き出す、「土と人の対話」の結晶と言えるだろう。現代社会において、効率化や大量生産が優先される傾向がある中で、山上はあえて手間を惜しまず、野菜の声に耳を傾けるかのような姿勢を貫いている。それは、一見すると非効率に見えるかもしれないが、結果として、その土地でしか生まれ得ない、深く豊かな味わいを生み出している。漬物が食卓に並ぶ時、その背後には、近江の歴史と風土、そして未来へと受け継がれるべき食の知恵が息づいているのだ。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。
参考
- 日野菜漬け(ひのなづけ)|にっぽん伝統食図鑑:農林水産省maff.go.jp
- 日野菜漬け 滋賀県 | うちの郷土料理:農林水産省maff.go.jp
- 2月の特集 お漬物 産地レポート|産地レポートshigaquo.jp
- 2月の特集 お漬物 きほんのき|産地レポートshigaquo.jp
- 旬の野菜を、自然の恵みそのままに、丹念に漬け込んだ、風味豊な近江の漬物。- 滋賀県漬物協同組合 -tsukemono-japan.org
- (近畿地方編) ご当地漬物のご紹介 | シンビーオsymbiio.co.jp
- 滋賀県の伝統野菜「日野菜」ってどんな野菜?栽培方法や、旬の時期など解説 | 滋賀県の魅力を特集記事でご紹介 | 滋賀県観光情報[公式観光サイト]滋賀・びわ湖のすべてがわかる!biwako-visitors.jp
- otoriyosetecho.jp