2026/6/27
亀山茶はなぜ「深蒸し」が主流?赤土と紅茶の記憶が織りなす味の秘密

亀山茶について詳しく知りたい。他とどう違う?特徴はある?
キュリオす
三重県亀山市の茶業の歴史を辿る。平安時代から続く栽培の歴史、赤土と深蒸し製法が育む濃厚な味わいの秘密、そしてかつて栄えた紅茶生産の記憶をひも解く。
鈴鹿山麓に立ち込める、茶の香り
三重県亀山市は、古くからお茶の産地として知られている。鈴鹿山脈の麓に広がる緩やかな丘陵地帯に足を踏み入れると、整然と並ぶ茶畑の緑が目に映る。その風景は、ただ美しいだけでなく、この地でお茶が育まれ、人々の暮らしに深く根差してきた歴史を静かに物語っている。亀山茶は、上品で濃厚な味わいと香り、そしてコクのある旨みが特徴だとされるが、なぜこの地で、そのような品質の茶が育まれてきたのか。その背景には、この地の気候や土質、そして長年にわたる茶農家の技術の蓄積がある。
平安から続く、茶の道の記憶
亀山における茶の栽培の歴史は、今からおよそ1,100年以上前、平安時代にまで遡ると言われている。伝承によれば、現在の四日市市水沢町に、弘法大師空海が唐から持ち帰ったとされる茶樹が植えられたのが始まりだという。そこから茶の栽培が鈴鹿山麓へと広がり、亀山もその恩恵を受けた地域の一つとなったのだ。
江戸時代に入ると、亀山は東海道の宿場町、そして城下町として発展を遂げる。この時代には、「能古茶屋」という茶屋が東海道随一の立場茶屋として賑わいを見せたという記録も残る。藩主石川総禄の時代(1853~1862年)には、藩の殖産興業の一環として茶業が奨励され、茶園はさらに増加した。
明治時代には海外輸出用の茶生産も盛んになり、茶業はさらに活況を呈する。しかし昭和初期には、より収益性の高かった養蚕業の興隆により、一時的に茶業は下火になった時期もあった。転換期は戦後である。昭和12年に津市から亀山市亀田町へ移転していた三重県茶業試験所は、戦後、三重県農業技術センター茶業センターと改称され、最先端技術の導入と普及に努めた。その結果、周辺農家での茶生産も再び増加していったのだ。
特に、昭和58年には、県下最大規模を誇る約88ヘクタールの「中の山パイロット茶園」が完成し、これが現在の亀山茶の主要な生産拠点となっている。
赤土と深蒸しが育む、濃密な味わい
亀山茶の際立った特徴は、その上品な香りと濃厚な味わい、そして深いコクにある。これらの特性は、亀山の地理的条件と、長年にわたる製茶技術の工夫によって生み出されている。
まず、亀山が位置する鈴鹿山麓は、年間平均気温が15度以上、年間降水量が1,500ミリ以上という、茶の栽培に適した温暖な丘陵地帯である。この恵まれた気候条件に加え、亀山の土質が重要な役割を果たす。この地の土壌は赤土に山砂が入り込んだもので、この土壌で育つ茶葉は、他の地域のものと比較して「ちょっと厚い」という特徴を持つ。
この厚みのある茶葉が、亀山茶の製法、特に「深蒸し煎茶」と深く結びついている。通常の煎茶よりも時間をかけて茶葉を蒸す深蒸し製法は、葉の細胞を壊し、茶葉の成分がより抽出しやすくなる。厚みのある茶葉は、この深蒸しに耐え、かつその恩恵を最大限に引き出すことが可能になるのだ。茶葉が厚いことで深く蒸すことができ、その結果、味が濃く、甘みがよく出る茶に仕上がるという。
深蒸し煎茶は、茶葉が細かくなる傾向があるが、その分、深いコクと甘み、香りが調和した風味豊かなお茶となる。亀山市の茶農家は、それぞれ蒸す時間を調整し、独自の風味を追求しているため、一概に「亀山茶」と言っても、その味わいは多様である。また、茶葉に含まれるカテキンやテアニンといった成分も、亀山茶の健康効果やリラックス効果に寄与しているとされる。
伊勢茶の多様な顔と亀山の紅茶
三重県は静岡県、鹿児島県に次いで全国第3位の茶の生産量を誇り、「伊勢茶」として広く知られている。伊勢茶の中には、鈴鹿市、四日市市、亀山市などの北勢地域で主に生産される煎茶やかぶせ茶、松阪市や大台町などの南勢地域で生産される煎茶や深蒸し煎茶など、多様な茶が含まれる。
特に鈴鹿市や四日市市水沢地区では「かぶせ茶」の生産が盛んであり、三重県全体では「かぶせ茶」の生産量が全国の約6割を占め、日本一を誇る。かぶせ茶は、摘み取り前の約2週間、茶園を寒冷紗で覆い日光を遮ることで、渋みが少なく、甘みとまろやかさ、そして「かぶせ香」と呼ばれる独特の香りが特徴となる。
これに対し、亀山茶は「煎茶」を主な生産品目とし、特に「深蒸し煎茶」が主流である。これは、先に述べたように亀山の赤土に由来する厚い茶葉が深蒸しに適しているため、他の伊勢茶産地とは異なる方向性で品質を追求してきた結果と言えるだろう。
また、亀山茶の歴史において注目すべきは、かつて日本紅茶のトップブランドとして名を馳せた「亀山紅茶」の存在である。昭和初期から戦後にかけて、亀山では日本初の紅茶専用品種「べにほまれ」(茶農林1号)の栽培が盛んに行われた。亀山産のべにほまれ紅茶は、「日本産紅茶としてはじめて海外の紅茶に追いついた」と評され、昭和30年代には世界レベルの品質を武器に海外へも輸出されていたという。国内の茶品評会では、亀山市の川戸勉氏が全23回中11回で最高位(農林水産大臣賞)を受賞するなど、その品質は高く評価されていた。しかし、海外産地との競争激化や紅茶の輸入自由化など、時代の流れの中で亀山での紅茶生産は衰退し、多くの紅茶茶園が緑茶へと改植されていった。
このように、伊勢茶全体が多様な茶種を生産する中で、亀山は煎茶、特に深蒸し煎茶を主軸としつつ、過去には紅茶生産でも独自の地位を築いていたという点で、他の産地とは異なる歴史的経緯を持つ。
中の山パイロットとF4の現在地
現在、亀山市には約130ヘクタールの茶園が広がり、約20軒の製茶工場が稼働している。その中心にあるのが、約88ヘクタールにも及ぶ広大な「中の山パイロット茶園」だ。この集団茶園では、緩やかな丘陵地の特性を活かし、機械化や維持管理を一本化することで、効率的かつ省力的な生産体制が確立されている。
しかし、亀山茶の生産現場もまた、全国的な農業が抱える課題と無縁ではない。ここ10年ほどで、亀山市茶業組合に加入する茶農家は減少傾向にあるという。問屋の買取単価の下落、原材料費や機械メンテナンス費の高騰に加え、担い手や後継者不足がその主な理由として挙げられている。一方で、近年は抹茶ブームなどの影響もあり、取引価格が安定しつつあるという兆しも見られる。
こうした状況に対し、亀山市や関係団体は、亀山茶のブランド化に向けた様々な取り組みを進めている。例えば、亀山茶のペットボトル飲料化の研究やテスト販売、亀山茶を使用した加工品の開発などが挙げられる。また、亀山駅前には「三重茶農協直売所 茶気茶気」があり、市内で生産されたお茶のほか、茶器や茶の加工品なども販売されている。
そして、かつて衰退した「亀山紅茶」の復活プロジェクトも進行中である。平成23年度からは、奇跡的に残されていた「べにほまれ」の茶園を再生させ、高い紅茶製造技術を再現することで、再び世界に誇る亀山紅茶の復活を目指す取り組みが、市内の茶業関係者によって進められている。さらに、近年では「F4」と呼ばれる台湾原産の幻の茶樹を用いた紅茶づくりも注目を集めている。これは、かつて耕作放棄地となっていた茶畑で偶然見つかった茶樹を、地元のギャラリーが管理・育成し、新たなブランドとして育てようとする試みである。
地域に刻まれた、茶の多様な記憶
亀山茶を巡る歴史と現在を辿ると、単一の「特徴」だけでは語り尽くせない、この地域の茶業の多層性が浮かび上がる。平安時代からの長きにわたる茶栽培の歴史は、この地が茶にとって恵まれた環境であったことを示し、江戸時代の宿場町としての賑わいは、茶が単なる嗜好品に留まらず、旅人をもてなす文化の一部であったことを伝える。
そして、現在の深蒸し煎茶を主軸とする生産体制は、亀山の赤土が育む厚い茶葉という、この地固有の条件がもたらした必然的な選択であった。他の伊勢茶産地がかぶせ茶で全国的な評価を得る中で、亀山が深蒸し煎茶に特化してきた背景には、それぞれの土地が持つ自然条件と、それに向き合ってきた生産者の知恵がある。
さらに、一時は衰退した「べにほまれ」紅茶の記憶や、「F4」といった台湾由来の茶樹の存在は、亀山がかつて国際的な茶の流通の中にあり、多様な品種や製法を受け入れる土壌があったことを示唆する。それは、日本の茶業史における一地方の物語でありながら、世界の茶の歴史とも繋がる、見過ごされがちな接点である。亀山茶は、単に「上品で濃厚な味わい」という味覚的な特徴だけでなく、その土地の歴史、土壌、そして人々の選択の多様性を静かに映し出す存在だと言えるだろう。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。