2026/6/7
滑川のホタルイカ、肥料から観光へ、その歴史と漁法

滑川のホタルイカ漁の歴史について詳しく知りたい。
キュリオす
富山湾の滑川で古くから行われてきたホタルイカ漁の歴史を辿る。肥料から学術的な注目を経て観光資源へ転換した経緯や、富山湾特有の地形と定置網漁、海洋深層水による鮮度保持など、質と持続可能性を重視する漁業文化に迫る。
富山湾、特に滑川の海岸に立つ春の夜は、どこか神秘的な気配を帯びる。夜闇の海面に、時折、青白い光が瞬くさまは、まるで深海の星々が浮上してきたかのようだ。この幻想的な光の正体は、体長わずか数センチのホタルイカである。なぜ、この富山湾の奥まった一角で、これほどまでに大量のホタルイカが海岸近くに押し寄せ、そしてそれが古くから漁業の対象となり、さらには観光資源として確立されてきたのか。その背景には、単なる自然の恵みだけではない、この土地固有の歴史と人々の営みが深く関わっている。
滑川とホタルイカとの関わりは、古くから記録されている。天正13年(1585年)頃にはすでにホタルイカが漁獲されていたという記録が残るほどだ。しかし、当時のホタルイカは「マツイカ」や「コイカ」と呼ばれ、主に肥料として利用されることが多かったと言われている。その価値が大きく見直される転機が訪れるのは、明治時代に入ってからである。
明治38年(1905年)、東京帝国大学の渡瀬庄三郎博士が、この発光する小さなイカに「ホタルイカ」の名を与えた。ホタルの生態を研究していた博士が、その光の神秘性に着目した命名であった。この学術的な注目が、地元の人々にとって身近な存在であったイカに新たな価値を見出すきっかけとなる。
その後、明治45年(1912年)には、富山県知事の浜田恒之助が滑川を訪れ、ホタルイカを観光資源として活用することを提案した。これを契機に、滑川におけるホタルイカ観光事業が始まったとされる。当時の滑川町の助役であった城戸與吉郎は、ホタルイカのPRに尽力し、昭和9年(1934年)には高月海岸での地引網漁の様子がラジオで実況放送されるなど、滑川のホタルイカは全国的な知名度を獲得していった。観光の形態も時代とともに変化し、昭和36年(1961年)頃には夜の海に出てホタルイカを鑑賞する観光遊覧船が3隻運航され、その後、昭和62年(1987年)には現在の早朝海上遊覧方式に移行している。
さらに、ホタルイカが生息する富山湾の海面は、その特異な自然現象が評価され、大正11年(1922年)に国の天然記念物に、そして昭和27年(1952年)には「ホタルイカ群遊海面」として国の特別天然記念物に指定された。この指定は、滑川のホタルイカが単なる漁獲物ではなく、世界的にも稀有な自然遺産として認識されたことを意味する。漁業の歴史は古く、それに続く観光への転換、そして国の天然記念物としての認定という流れが、滑川のホタルイカ文化を今日の形へと導いたのである。
ホタルイカが富山湾、特に滑川沖に大群で押し寄せる現象は、世界的に見ても珍しいものだ。その背景には、富山湾特有の地理的・海洋学的条件が深く関わっている。富山湾は「天然のいけす」とも称されるほど豊かな漁場であるが、その理由は海岸から急激に深くなる「すり鉢状」の海底地形にある。ホタルイカは普段、水深200メートルから600メートルの深海に生息しているが、春になると産卵のため、夜間に海面近くまで浮上し、そのまま湾岸近くまで押し寄せると考えられている。この深海からの浮上と接岸は、富山湾の海底から上に向かって流れる湧昇流によって促されるとも言われている。
そして、このホタルイカを漁獲する上で、富山湾、特に滑川で特徴的なのが「定置網漁」である。全国的に見ると、ホタルイカ漁には底引き網が用いられる地域も多いが、富山湾では定置網が主流だ。定置網は、魚群の通り道に網を仕掛け、自然に魚が入るのを待つ漁法であり、ホタルイカを傷つけにくいという利点がある。
滑川の漁港から約3キロメートルまでの沿岸に、全11カ統の定置網が設置されており、その網には「わら網」と呼ばれる伝統的な網も用いられている。このわら網は編み目が大きいにもかかわらず、ホタルイカにはわらが光って壁のように見えるため、奥の捕獲網へと誘導されると考えられている。この漁法は、産卵のために接岸したメスを主に漁獲し、一度産卵を終えたホタルイカが網をすり抜けて深海に戻ることもあるため、資源に優しい持続可能な漁業として評価されている。
さらに、滑川では漁港付近に海洋深層水を汲み上げる施設があり、ホタルイカが生息する深海と同じ冷たい水を漁獲したホタルイカにかけることで、高い鮮度を保ったまま港に持ち帰ることができる。ホタルイカは鮮度が落ちやすい食材であるため、漁場から港までの距離が近いことや、深層水による鮮度保持は、滑川産ホタルイカの品質を支える重要な要素となっている。富山湾の独特な地形、ホタルイカの生態、そしてそれに対応した定置網漁法と鮮度保持の工夫。これらが複合的に作用し、滑川のホタルイカ漁を特別なものにしていると言えるだろう。
ホタルイカの漁獲は富山県に限られたものではない。日本海全域に生息しており、例えば兵庫県の浜坂漁港は、漁獲量において日本一を誇る。2017年のデータでは、兵庫県全体の漁獲量が2,734トンであったのに対し、富山県全体では1,299トンと、その差は大きい。しかし、ホタルイカといえば富山湾、という認識が広く定着しているのはなぜだろうか。
この問いの答えは、漁獲方法とそれに伴う品質の違いにある。兵庫県などで主流となるのは底引き網漁だ。この漁法は一度に大量のホタルイカを捕獲できるが、網で魚体が傷つきやすく、鮮度保持も難しいという側面を持つ。これに対し、富山湾で用いられる定置網漁は、ホタルイカを傷つけずに捕獲できるため、身が大きくふっくらとした、鮮度の高い状態で水揚げされるのが特徴である。
定置網漁は、乱獲を防ぎ、資源に配慮した持続可能な漁業としても評価されている。産卵のために接岸したメスを主に捕獲し、その網の構造上、一部のホタルイカは深海に戻ることができるため、種族を絶やすことがない。漁場が港から近いことも、富山湾のホタルイカの鮮度を際立たせる要因だ。
また、富山湾では春の特定の時期にホタルイカが海岸に大量に打ち上げられる「ホタルイカの身投げ」と呼ばれる現象が見られる。これは、月の光を目印にしているホタルイカが、新月の夜などに方向を見失い、深海に戻れなくなることが一因と考えられている。この自然現象は、漁業とは直接関係しないが、富山湾が持つホタルイカにとっての特殊な環境条件を象徴する出来事であり、その神秘性が観光客を惹きつける一因ともなっている。他地域の大規模な漁獲量と対比することで、富山湾、そして滑川のホタルイカ漁が、量よりも質、そして自然との共生に重きを置いていることが明確になるだろう。
現代において、滑川のホタルイカは漁業資源であると同時に、地域を代表する観光資源としての役割も担っている。その中心となるのが、平成10年(1998年)に開館した「ほたるいかミュージアム」だ。このミュージアムでは、ホタルイカの生態や富山湾の環境について学べるだけでなく、シーズン中(3月下旬から5月末)には生きたホタルイカの発光ショーを間近で体験できる。水深333メートルから取水される海洋深層水を用いたタッチプールでは、深海生物に直接触れることも可能だ。
また、明治時代から続く「ほたるいか海上観光」は、現在も春の風物詩として多くの観光客を惹きつけている。夜明け前の滑川漁港を出港し、沖合の定置網によるホタルイカ漁の様子を観光船から見学するこのツアーは、漁師たちの作業とともに、網にかかったホタルイカが一斉に放つ青白い光の幻想的な光景を体験できるものだ。
しかし、漁獲量は年によって変動があり、2026年の初日には過去10年で2番目に少ない約1キログラムの水揚げとなり、キロあたり5万円を超える過去最高値を記録したという報道もあった。このような変動は、自然相手の漁業が常に直面する課題である。若手の漁師たちが伝統的な漁法を受け継ぎながら、持続可能な漁業のあり方を模索している姿も見られる。彼らはホタルイカを「慈しむ」ように扱い、乱獲を防ぎ、品質を保つことに心を砕いている。滑川のホタルイカ漁は、単なる産業としてだけでなく、富山湾の豊かな自然と共生し、その神秘を次世代に伝える文化として、今日も息づいているのである。
滑川のホタルイカ漁の歴史をたどると、そこにはいくつかの要素が複合的に絡み合っていることがわかる。一つは、富山湾の特異な地理的条件とホタルイカの生態が織りなす「自然の奇跡」である。深海から産卵のために接岸するホタルイカの大群は、世界的にも稀有な現象であり、その光は見る者を魅了し続けてきた。この自然の恵みが、まずこの地での漁業を可能にした基盤である。
次に、この自然の奇跡を単なる恵みで終わらせず、産業として、そして文化として発展させてきた「人々の知恵と努力」が挙げられる。古くから行われてきた漁の記録、明治期の学術的発見と命名、そして知事の提言を契機とした観光事業の立ち上げ。これらは、ホタルイカの持つ価値を多角的に捉え、時代に合わせてその形を変えてきたことを示している。特に、定置網漁という資源に優しい方法を選択し、海洋深層水を利用して鮮度を保つ工夫は、漁獲量が多い他地域とは異なる、品質と持続可能性を重視する姿勢の表れと言えるだろう。
滑川のホタルイカは、単に「多く獲れるから有名」なのではなく、「この場所でしか見られない現象」と「この場所で育まれた独自の漁業文化」が深く結びついた結果、その特別な地位を確立したのだ。特別天然記念物として保護される自然現象と、その自然と共生しながら営まれてきた漁業。この二つの側面が交差する点に、滑川のホタルイカ漁が持つ本質的な魅力と、歴史の余白に隠された発見がある。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。