2026/6/8
能美の舞茸はなぜモーツァルトを聴くのか?佐の川園の音響栽培

能美にモーツアルトを聞かせて育てる舞茸があるという。なんだそれ。詳しく知りたい。
キュリオす
石川県能美市の佐の川園では、舞茸栽培にモーツァルトの音楽を取り入れている。自然界の音に近い「1/fゆらぎ」が菌床の成長に良い影響を与えるという考えに基づき、音響栽培を実践。その結果、軸が太くコリコリとした食感の舞茸が生まれている。
能美の地を訪れると、目に映るのは手取川が育む豊かな水田や、白山から流れ出る清流に恵まれた風景だ。しかし、その豊かな自然の中で、「モーツァルトを聴かせて育てる舞茸がある」と聞けば、多くの人が立ち止まり、その言葉の意味を問い直すだろう。一体、なぜキノコに音楽を聴かせるのか。そして、それが舞茸の成長にどのような影響を与えるというのだろうか。その奇妙な響きは、単なる好奇心を刺激するだけでなく、農業における「常識」の境界線を揺るがせる問いを投げかける。
石川県能美市に拠点を置く「有限会社佐の川園」は、昭和60年(1985年)に山岸正賢氏が創業した。当初は原木栽培のしいたけを手掛けていたという。しかし、ある時食べた舞茸の美味しさに感銘を受け、「自分でもこの舞茸を作りたい」という思いから、舞茸栽培への挑戦が始まったのだ。平成7年(1995年)頃には、試行錯誤の末に舞茸の栽培に成功し、地域の生協でも取り扱われるようになったという。
舞茸栽培は、特に菌床栽培においては温度や湿度の厳密な管理が求められる。佐の川園も、創業当初は雑菌の混入などで失敗を重ねたという。 その中で、彼らが独自の栽培方法として取り入れたのが、栽培施設内でモーツァルトの音楽を流し続けるという手法であった。この発想は、単にキノコを育てるという行為に、新たな視点と手間を加えることになった。彼らの舞茸は「モーツァルトを聴いて育ったまいたけ」として、徐々にその名を知られるようになる。
佐の川園が舞茸にモーツァルトの音楽を聴かせる理由として挙げているのは、その音の「ゆらぎ」である。専務の山岸正三氏によると、自然界の音には「1/f(エフぶんのいち)ゆらぎ」という波長があり、モーツァルトの曲はその波長に近い音を出しているという研究結果があるためだという。 この「1/fゆらぎ」は、小川のせせらぎや風の音など、人間が心地よいと感じる自然現象の中に多く見られるとされる。彼らは、この音楽を聴かせることで、きのこ類をなるべく自然界に近い環境で育てたいと考えているのだ。
実際の栽培プロセスは、まずおが粉や乾燥おから、栄養素などを混ぜ合わせた培地(菌床)をポリ袋に詰め、102度で5時間かけて殺菌することから始まる。 殺菌後、菌床を一晩かけて冷まし、舞茸の菌を植え付ける。その後、温度17〜18度、湿度85%以上の管理された室内で、常時光を当てながら培養が進められる。 この培養から収穫までの工程で、モーツァルトの音楽が常に流されているのだ。 芽が出てから収穫までは約1週間を要し、1個の菌床から500〜600グラムの舞茸が収穫されるという。 佐の川園の舞茸は、この独特の栽培方法によって「軸が太く、コリコリとした食感が際立つ」と評されている。
植物や微生物に音楽を聴かせるという試みは、能美市の舞茸に限った話ではない。音響栽培、あるいは音楽栽培と呼ばれるこの手法は、世界各地で様々な形で試されてきた。例えば、ラットにモーツァルトの音楽を聴かせると迷路実験で早く出口を見つけられるようになったという動物学的な報告や、牛舎で音楽を流すと乳牛の乳量が増えるといった事例がある。 植物においては、プチトマトの温室で音楽を流すと甘みが増したり、カイワレダイコンの収穫量が増加したりするとの報告も存在する。 また、酒蔵でモーツァルトの音楽を流すことで日本酒の熟成が早まり、醸造期間が短縮されたという事例も確認されているのだ。
静岡県藤枝市には、モーツァルトの曲を流してしいたけを栽培する農園もある。 これらの事例に共通するのは、特定の音楽、特にモーツァルトの音楽が持つ高周波音や「1/fゆらぎ」が、植物や微生物の細胞レベルにまで影響を与え、成長や品質に好影響をもたらすという仮説である。 奈良女子大学附属中等教育学校の実験では、モーツァルトなどの500Hz〜7000Hzの音が植物の成長に良い影響を与えることが示されており、音刺激によって植物の表面電位に変化が現れることも報告されている。 こうした研究は、植物に耳がなくても、音が持つ振動が細胞内の水環境に直接作用し、何らかのプラスの効果をもたらす可能性を示唆しているのだ。
現在の佐の川園では、能美の恵まれた自然環境、特に白山を源とする清らかな水を利用しながら、舞茸やしいたけの栽培を続けている。 培地の仕込みから植菌、培養、収穫、そしてパック詰めまで、すべての工程を一元管理し、徹底した温度・湿度管理のもと、農薬や化学肥料を一切使用せずにきのこを生産しているのが彼らのこだわりだ。
収穫された舞茸やしいたけは、その日のうちに新鮮な状態でパック詰めされ、地域のJAやAコープ、道の駅などの産直店舗に出荷される。 また、蕎麦屋や居酒屋といった飲食店、さらには個人消費者からも直接注文が入るなど、その品質は高く評価されている。 「肉厚で食感が良く、香り高い」という消費者の声は、モーツァルトの音楽と、長年の経験に裏打ちされた栽培技術の結晶と言えるだろう。 2024年には菌床まいたけの価格改定のお知らせも出されており、市場の変動に対応しながらも、品質を維持し続けている様子がうかがえる。
能美の地でモーツァルトの音楽を聴かせながら育つ舞茸は、単なる珍しい農産物という枠に収まらない。それは、科学的な根拠がまだ完全に解明されていない領域に、あえて踏み込む農業者の姿勢を示している。音楽が植物の成長に与える影響については、様々な研究や仮説が存在するものの、そのメカニズムは未だ多くの「余白」を残していると言えるだろう。
しかし、この「モーツァルト舞茸」の存在は、我々が農業や食に対して抱く固定観念を揺さぶる。栽培環境の最適化を追求する過程で、目に見えない、あるいは数値化しにくい要素に価値を見出す視点。それは、単に効率や収量を追い求めるだけではない、生産者の「信じる力」や「探求心」が形になったものだ。そして、その信じる心が、結果として「軸が太く、コリコリとした食感」という具体的な品質に結びついている。この能美の舞茸は、現代の農業において、科学と直感、そして地域に根ざした独自の工夫がどのように融合し、新たな価値を生み出しうるのかを、静かに問いかけている。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。