2026/6/8
能登牛はなぜ美味しい?但馬・鳥取の血統とオレイン酸の秘密

石川の銘牛・ブランド牛について教えてほしい。
キュリオす
石川県が誇るブランド牛「能登牛」の歴史と特徴を辿る。明治期に但馬・鳥取から導入された牛が、能登の風土と改良により「脂肪の質」を重視する独自のブランドへと成長。オレイン酸含有率の高さが評価され、希少な存在として注目されている。
能登半島を旅すると、日本海から吹きつける風には、どこか磯の香りが混じる。しかし、その風が山間部に分け入る頃、もう一つの「香り」が静かに立ち現れることがある。それは、牧草と牛舎が織りなす、生命の気配だ。石川県が誇るブランド牛「能登牛」は、この地の豊かな自然と、人々の地道な営みの中で育まれてきた。なぜ能登の地で、これほどまでに評価される和牛が生まれたのか。その背景には、長い歴史と、幾重にも重なる偶然があった。
能登の地における役牛の歴史は古く、寛永3年(1627年)には加賀藩三代藩主の前田利常が製塩業を奨励し、薪炭の運搬に役牛を増殖させた記録も残る。しかし、現在の能登牛のルーツは、明治時代に遡る。明治25年(1892年)、兵庫県の但馬地方から3頭の種雄牛が導入されたのが始まりとされる。さらに大正13年(1924年)には鳥取県から8頭の牛が加わり、その後も計画的に少数の牛が導入され続けたという。この頃導入された牛は主に農耕用であり、屈強な四肢を持つ役牛としての性質が重視されていたのだ。
昭和に入ると、肉用牛としての改良が本格化する。兵庫系の「資質型」と鳥取系の「体積型」を交配した「和牛一代雑種」が奨励され、発育良好で体積に富み、資質も良い牛として高く評価された。さらに交雑を進めるうち、体積は小さくなったものの、肉質の良さは維持され、他の有名ブランド牛と比較して「サシが少ない赤身」が能登牛の持ち味として支持を集めるようになる。
「能登牛」という名称が正式に認定されたのは、平成7年(1995年)に「能登牛銘柄推進協議会」が発足し、認定基準を定めてからである。これは全国のブランド牛の中では比較的新しい銘柄と言えるだろう。平成19年(2007年)10月には地域団体商標として登録され、その独自性が認められるに至った。
能登牛の最も特徴的な点は、きめ細やかな肉質と上質な脂、そしてその脂に含まれる「オレイン酸」の含有率の高さにある。牛肉の柔らかさや舌触りは、脂肪中のオレイン酸含有率に左右されるとされ、この数値が高いほど「とろけるような食感」が生まれるのだ。
能登牛が全国的な注目を集めたのは、平成19年(2007年)に開催された「第9回全国和牛能力共進会」、通称「和牛のオリンピック」でのことだ。この大会で能登牛は、オレイン酸含有率が最も高いと評価され、初めて設定された特別賞「脂肪の質賞」を受賞した。これは、単に霜降りの量だけでなく、脂の「質」が評価される時代の到来を象徴する出来事であった。
能登牛として認定されるには、いくつかの厳格な基準がある。まず「黒毛和種」であること。そして「石川県内が最終飼養地であり、かつ飼養期間が最長」であること。さらに「肉質等級がA3以上またはB3以上」であることが求められる。これらの基準を満たした牛には「能登牛証明書」が発行され、店頭では「能登牛シール」が貼付されることもある。
さらに、能登牛の中でも特に品質が高いものは「能登牛プレミアム」として認定される。これは格付けA5のうちBMS(霜降りの度合いを示す基準)10以上、またはBMS8か9の場合にはオレイン酸含有率が55%以上という、より厳しい条件をクリアした牛に与えられる称号だ。これらの基準は、能登の豊かな自然環境と、生産者の丹精込めた飼育技術が結びついて初めて達成されるものと言える。
日本の和牛市場には、神戸牛、松阪牛、近江牛など、全国に名だたるブランド牛が数多く存在する。これらのブランド牛は年間数千頭から1万頭以上が出荷されるのが一般的だ。例えば、飛騨牛は年間約1万頭以上、神戸牛や松阪牛は約4,000〜5,000頭が出荷される。
これに対し、能登牛の年間出荷頭数は、近年増加傾向にあるものの、およそ1,000頭前後で推移している。この生産量の少なさゆえに、能登牛は「幻のブランド牛」とも称され、そのほとんどが石川県内で消費されてきた経緯がある。県外の飲食店からの要望に応えきれていないのが現状だという。
この希少性は、能登牛が持つ独自の価値を際立たせている。多くの和牛が霜降りの美しさや量で評価される中、能登牛は「脂肪の質」を重視する方向性で、独自の地位を確立した。オレイン酸の含有量に着目した品評会での受賞は、この方向性が正しかったことを裏付けるものだろう。他のブランド牛が大規模な生産体制を確立しているのに対し、能登牛は地域の小規模な畜産家が中心となって、能登の里山里海の風土の中で一頭一頭丁寧に育てられてきた。この「手塩にかける」育成方法が、能登牛独特の肉質と風味を育む要因となっている。
石川県内の能登牛肥育農家は約60戸ほど存在し、その約8割が能登半島の先端に位置する奥能登地方で生産を行っている。能登の里山に広がる牧場では、牛たちがストレスなく健康に育つための工夫が凝らされている。例えば、北陸最大の和牛生産者である能登牧場では、アニマルウェルフェア(快適性に配慮した家畜の飼養管理)を重視し、静かな環境、清潔な牛舎、適切な給餌や水温管理を徹底しているという。牛にストレスを与えないことで、能登牛の特徴であるオレイン酸が効率よく蓄積されると考えられているのだ。
しかし、能登牛の生産現場もまた、課題に直面している。他の農業分野と同様に、肥育農家の高齢化や後継者不足は深刻な問題であり、飼育頭数の減少傾向が続いていた時期もあった。このため、石川県や関係団体は、年間1,500頭、さらには2032年度までに2,000頭の出荷を目指し、増産に向けた取り組みを進めてきた。新規就農者の確保や企業誘致、県営牧場の再編による生産拠点整備などが図られている。
そして2024年1月、能登半島を襲った大規模な地震は、能登牛の生産にも甚大な被害をもたらした。牛舎の損壊、道路の寸断による飼料や水の供給困難、さらには生産者の廃業といった事態も発生したのだ。しかし、そうした苦境の中でも、生産者たちは復興に向けて前を向いている。損壊した牛舎の建て替えや、新たな牛舎の建設を進め、再び頭数を増やす活動が始まっている。能登の豊かな自然と共生し、地域を支える能登牛の生産は、まさに「創造的復興」の一翼を担っていると言えるだろう。
能登牛の歴史を辿ると、単なる肉用牛の改良史ではないことが見えてくる。それは、能登という土地が持つ風土と、そこに生きる人々の知恵と努力が交錯する物語である。但馬や鳥取から導入された牛が、能登の潮風と里山の恵みを受け、独自の「脂肪の質」という特徴を獲得していった過程は、一見すると偶然の積み重ねに見えるかもしれない。しかし、その偶然を価値として見出し、磨き上げてきたのは、他ならぬ能登の生産者たちの眼差しであった。
全国的に見れば希少な存在である能登牛は、その供給量の少なさゆえに、これまで県外に広く知られる機会が限られていた。しかし、その「幻」ゆえの価値と、オレイン酸に着目した肉質の優位性は、現代の消費者が求める「本物」や「個性」と共鳴する。能登半島地震という未曽有の災害は、能登牛の生産基盤に大きな打撃を与えたが、同時に、この土地で牛を育むことの意義を再認識させる機会ともなった。牛舎の再建、新たな生産体制の構築は、単なる経済活動の再開ではなく、能登の里山里海に根差した営みを未来へ繋ぐ、静かな決意の表れである。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。