2026/6/8
南越前町今庄宿、雪囲いや鉄道の町としての歴史を辿る

南越前町の今庄宿について詳しく教えて欲しい。伝統的建造物群保存地区になっている。
キュリオす
福井県南越前町の今庄宿は、北陸道最大の難所である山々に挟まれた宿場町として栄え、豪雪地帯特有の建築様式を残す。鉄道の開通後も「峠越えの拠点」として役割を変え、現在は重要伝統的建造物群保存地区として住民と行政が協力し、その歴史と景観を伝えている。
福井県南越前町の山間部、今庄宿を訪れると、その静けさの中に、かつて多くの旅人が行き交った往時の賑わいが確かに息づいているのを感じる。特に冬期に備えて設置される「雪囲い」は、この地の厳しさと人々の知恵を物語る。なぜこの山深い宿場町が、国の重要伝統的建造物群保存地区として、その姿を今に伝えることができたのか。その背景には、交通の要衝としての地理的条件と、鉄道の時代を経てなお失われなかった人々の営みがある。
今庄は古くから「京の都から北陸地方への玄関口」として、交通の要衝に位置してきた。幾重にも山が連なる南条山地は北陸道最大の難所とされ、山中峠、木ノ芽峠、栃ノ木峠、湯尾峠と、いずれの山越えの道を選んでも今庄宿は避けられない場所であったという。
宿場町としての今庄の整備は、慶長7年(1602年)に初代福井藩主の結城秀康によって行われた。 それ以前、戦国時代末期の天正6年(1578年)には、柴田勝家が安土城への最短路として北国街道を改修し、その重要性が高まっていたとされる。 江戸時代を通じて今庄宿は越前で最も繁栄した宿場町となり、文化年間(1804~1818年)には街道沿いに上町、観音町、仲町、古町、新町の五町が形成されていた。天保年間(1830~1844年)には約290軒の家屋に1,300人以上が暮らし、旅籠55軒、茶屋15軒、酒屋15軒、問屋3軒などが軒を連ねていたという記録も残る。 宿場の中心部には本陣や脇本陣、問屋場といった重要な施設が集まり、大名や幕府の役人、公家、そして一般の旅人たちが利用した。
宿場の町割りは、外部からの侵入を防ぐ「矩折(かねおり)」と呼ばれるクランク状の道が設けられるなど、城塞としての防御機能も兼ね備えていた。 街道沿いには間口より奥行きが長い短冊型の屋敷割が今も良好に残されており、江戸時代からの地割りを伝えている。
今庄宿の建造物が持つ特徴は、この地が豪雪地帯であるという条件と密接に結びついている。街道沿いの町家は、江戸後期から昭和30年代にかけて建てられたものが多く、重厚感のある造りを見せる。 特に、一階の軒が深く、大きくせり出した庇は、冬の間に雪囲いを設けるための工夫である。 この雪囲いは、柱の溝に板を落とし込んで積み上げる今庄独特の形式で、越前地方の豪雪地における宿場町の姿を色濃く伝えている。
また、豪雪への備えだけでなく、火災への対策も町の建築に影響を与えている。例えば、今庄宿を代表する旧家である京藤甚五郎家は、寛政11年(1799年)の大火後に再建されたもので、瓦葺きの切妻屋根に両側の「卯建(うだつ)」が特徴的だ。 卯建は火事の延焼を防ぐ役割も持ち、外壁を塗り込めた「塗籠(ぬりごめ)」の構造も同様に防火性を高めるための工夫である。 これらの建築的特徴は、厳しい自然環境と隣り合わせの生活の中で、人々が培ってきた知恵と技術の結晶と言えるだろう。
交通の要衝であった今庄宿は、明治時代に入り宿駅制度が廃止され、陸運の主役が人力車や荷車に変わると、一時的にその活気を失った。しかし、明治29年(1896年)に北陸線(現在のハピラインふくい線)の敦賀-福井間が開通すると、今庄は再び「鉄道の町」として新たな役割を担うことになる。 特に敦賀-今庄間は、当時の鉄道技術では困難とされるほどの急勾配が続く日本有数の難所であり、列車は後押し機関車(補機)を必要とした。 その連結や切り離し、燃料補給のために全ての列車が今庄駅に停車したことで、駅弁や飲み物、新聞などを販売する立ち売りが盛んになり、「今庄そば」は全国に知られる憩いの味となった。 このように、陸上交通の形態が変化しても、今庄は常に「峠越えの拠点」という地理的条件を活かし、その役割を変化させてきたのである。
日本の宿場町は、明治以降の鉄道網や道路網の整備に伴い、多くがその役割を終え、変貌を遂げてきた。例えば、中山道や東海道沿いの宿場町でも、幹線道路のバイパス化や新幹線の開通によって、かつての賑わいが失われた地域は少なくない。しかし、今庄宿が特異なのは、宿場町としての役割が薄れた後も、「峠越えの拠点」という地理的条件を別の形で活かし続けた点にある。
一般的な宿場町が、新しい交通網から取り残される形で静かな集落へと変化していったのに対し、今庄は明治期の鉄道開通を新たな繁栄の機会とした。 鉄道における「難所」としての特性が、今庄駅を重要な停車駅へと押し上げ、駅を中心とした商業活動を再び活発化させたのである。これは、単に古い町並みが偶然残ったというよりも、土地の持つ本質的な機能が、時代に合わせて形を変えて継承された事例と言える。
また、同じく北陸道沿いに位置する熊川宿(福井県若狭町)や小浜西組(福井県小浜市)も国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されているが、これらの地域が主に街道沿いの町並みや港町の風情を保存しているのに対し、今庄宿は宿場町としての歴史に加え、「鉄道の町」としての近代の記憶も包含している点で、その歴史的層の厚さに違いが見られる。 鉄道遺産と宿場町の景観が共存する今庄宿の姿は、交通史の変遷を多角的に示す貴重な例と言えるだろう。
2021年8月、今庄宿は国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。 これは、旧北国街道約1.2km区間に面する江戸後期から昭和30年代にかけて建てられた建造物、特に豪雪地帯特有の建築様式が評価された結果である。 保存地区内には、江戸時代に建設された8棟の建物が残り、昭和30年代以前に建てられた「伝統的建造物」は約118棟にも及ぶ。
この保存地区選定の背景には、長年にわたる地域住民と行政の協働がある。平成21年(2009年)には、旧旅籠若狭屋の解体危機をきっかけに、NPO法人今庄旅籠塾が結成された。 この団体は、建築を学ぶ学生たちと共に町家の改修ワークショップを実施するなど、歴史的町並みの保存・保全・継承に努めてきた。 また、空き家をカフェやそば店、資料館として活用し、地域住民の生活支援にも繋げている。
南越前町も「今庄宿プロジェクト」(都市再生整備計画事業)を通じて、道路の高品質化や今庄駅舎への「今庄まちなみ情報館」の整備などを実施し、地域活性化を推進している。 これらの取り組みにより、今庄宿は単に過去の遺産を保存するだけでなく、地域固有の歴史・文化資源を活かし、訪れる人々との交流を通じて賑わいを創出する場となっている。 現在も、旧旅籠を改装した宿泊施設「地域まるっと体感宿 玉村屋」のような取り組みも行われており、地域を体感できる旅の拠点としても機能している。
今庄宿の歴史を辿ると、その特異な立地が、常にこの地の姿を規定してきたことがわかる。京と北陸を結ぶ主要な街道の「難所」に挟まれた宿場として栄え、鉄道時代には「急勾配の拠点」として機能した。交通の形態が変わっても、その本質的な役割は失われず、むしろ形を変えて継承されてきたのである。
重伝建地区に選定された今、今庄宿の町並みは、単なる過去の遺構ではない。それは、厳しい自然環境と、それに適応しようとする人々の営みが積み重ねられた結果であり、交通の歴史の変遷を静かに語りかけてくる。雪囲いをはじめとする豪雪地帯特有の建築様式や、矩折の道が示す防御思想は、その土地固有の知恵の形だ。そして、宿場から鉄道の町へと変化し、さらに現代において住民と行政が協働して保存と活用を進める姿は、変化を乗り越え、持続してきた地域の強靭さを示している。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。