国の天然記念物でありながら食卓に上る、比内地鶏はどのようにして作り出されたのか?

北秋田の鍋に浮かぶ油の澄みかた
秋田の冬、鍋の中で煮立つ出汁をすくうと、表面に浮く脂肪の粒が驚くほど透き通っていることに気づく。一般的なブロイラーから出る白く濁った重たい脂とは、あきらかに質が異なる。地元の食卓では「きりたんぽ鍋には、どうしてもこの出汁でなければならない」と口を揃えて語られてきた。全国的に名前の知られた地鶏といえば、その土地に古くから存在する固有のニワトリが、昔ながらの姿のまま育ち、市場に出回っていると思われがちだ。しかし、秋田の農場を訪ねても、比内地鶏という名の純血種が群れをなして走っているわけではない。私たちが店で買い、口にしている肉の背後には、ひとつの種をそのまま増やすのとはまったく異なる、複雑な血統の組み合わせが存在している。そこには、国の天然記念物に指定されたことで「食べることを禁じられた鳥」と、食卓で「美味を味わうために作られた鳥」という、二つの存在のねじれが横たわっている。守られるべき伝統の鳥が、いかにして現代のブランド肉として食卓に載るようになったのだろうか。
殿様への年貢から天然記念物指定まで
比内地鶏のルーツをたどると、江戸時代の秋田県北部に行き着く。かつて「比内」と呼ばれていた大館市や比内町を中心とする地域では、古くから日本固有の地鶏が飼育されていた。これが「比内鶏(ひないどり)」である。その肉はキジやヤマドリに似た独特の香気と濃厚な旨味を備えており、たいへん美味であったとされる。江戸時代には、そのあまりの旨さゆえに、久保田藩主(佐竹氏)への年貢として納められていたという記録が古文書に残されている。肉や卵が食されただけでなく、その美しい毛羽は兵具や獅子頭の装飾用としても珍重され、地域社会に深く根付いていた。
しかし、明治時代に入ると日本の養鶏を取り巻く環境は一変する。海外から成長が早く卵を多く産む外国産の鶏種が次々と輸入されるようになり、効率性に劣る比内鶏の飼育数は激減していった。大正から昭和初期にかけて絶滅の危機に直面した比内鶏だったが、地元の大館市において山田定治氏をはじめとする有志が保存に尽力した。その熱心な維持活動が実を結び、昭和17年(1942年)、比内鶏は学術的価値が高い純粋な日本地鶏として、国の天然記念物に指定されることとなった。
文化財としての指定は、比内鶏の種を絶滅から救った。しかし、この指定によって「比内鶏を潰して食べる」ことは法律上、自由にできなくなった。それ以上に実用上の問題が存在していた。比内鶏は身体が小ぶりで肉量が少なく、産卵数も控えめで、病気やストレスに弱かったのである。愛玩や観賞用としては優れていても、近代的な食肉産業のベースとしては極めて扱いづらい性質を持っていたのだ。
戦後の食肉需要が高まるなかで、かつての比内地方の味覚を復活させたいという機運が地元で高まった。昭和48年(1973年)前後から、秋田県畜産試験場(現在の秋田県畜産試験場)を中心として食用化に向けた研究開発が開始された。天然記念物である比内鶏の優れた肉質と風味を維持しながら、産業として成り立つ生産性と体格を持たせるにはどうすべきか。様々な品種との交配実験が繰り返された結果、最終的にひとつの組み合わせが導き出された。それが、父系に純粋な「秋田比内鶏(雄)」を配し、母系にアメリカ原産の大型種「ロードアイランドレッド(雌)」を掛け合わせる手法である。昭和53年(1978年)頃から市場へと出荷され始めたこの一代雑種こそが、今日私たちが口にしている「比内地鶏(ひないじどり)」なのだ。
一代雑種という選択と百五十日の時間
比内地鶏が「比内鶏」ではなく「比内地鶏」と呼ばれる背景には、一代雑種(F1)という育種システムがある。交配によって生まれた一代目は、両親の優れた形質を強く引き継ぎ、体格が大きく丈夫に育つという雑種強勢の特性を示す。しかし、この比内地鶏どうしを掛け合わせても、二代目には形質がばらついてしまい、均一な肉質を保つことができない。そのため、生産現場では常に、県が血統を厳重に管理している純血の比内地鶏(原種)の雄と、ロード種の雌を人工授粉などで交配させ、新しい一代雑種の雛を作り続けなければならない仕組みになっている。
さらに、流通している比内地鶏の製品を見ると、そのほぼ100%が「雌(メス)」であるという特徴がある。鶏は雄の方が体格が大きくなりやすいが、性成熟が進むと肉質が硬くなり、旨味の質が変化しやすい。これに対し、雌は長期間にわたって肉質が安定し、脂の乗りや旨味成分の保持に優れている。そのため、孵化直後に雛の鑑別を行い、雌だけを選別して専門の育成農場へと導入する徹底した管理が行われている。
育てる環境と時間にも、一般的な食用鶏とはかけ離れた基準が設定されている。通常のブロイラーが孵化から40日〜50日程度で出荷されるのに対し、比内地鶏の雌は最短でも150日以上、長ければ160日近くの時間をかけてじっくりと育てる。これは日本のブランド地鶏のなかでも際立って長い飼育期間である。
飼育のプロセスも厳格だ。孵化から28日目までは保温設備を備えた育雛鶏舎で大切に保護されるが、28日齢を過ぎるとケージ(籠)飼いは禁止され、平飼いまたは屋外への放し飼いへと切り替えられる。その密度の基準は「1平方メートルあたり5羽以下」というものだ。1000羽の群れに対して1500平方メートル(約450坪)以上の牧草地や運動場が割り当てられ、鶏たちは太陽光を浴びながら自由に走り回り、クローバーなどの草や土の中の虫をついばむ。
この運動量と長い時間が、肉質に科学的な変化をもたらす。筋繊維が細かく引き締まり、赤みが強くなるとともに、旨味成分であるイノシン酸の蓄積量が飛躍的に高まる。さらに、近年の研究では、肉のコクや風味に直接関与するアラキドン酸などの不飽和脂肪酸の割合が増加することが分かっている。広大な草地で150日以上運動させて育てられた肉は、煮込んでも身が固く引き締まったまま崩れず、鍋のスープに上質な脂肪と旨味を溶け出させる。時間をコストとして惜しみなく投じることによって、江戸時代の殿様が口にした山鳥のような風味が現代に再現されているのだ。
日本三大美味鶏の系譜と特定基準の差異
比内地鶏は、愛知県の「名古屋コーチン」、鹿児島県の「薩摩地鶏」と並び、日本三大美味鶏(あるいは日本三大地鶏)のひとつに数えられている。しかし、これらの地鶏と比内地鶏を並べてみると、ブランド形成の戦略や遺伝的な構成において興味深い違いが浮かび上がる。
例えば、明治初期に元尾張藩士の手によって作出された名古屋コーチンは、在来種と外国種を交配させたのち、固定された品種(純血種)として維持されてきた歴史を持つ。そのため、名古屋コーチンは純血種どうしの交配によって食肉用鶏を生産することが可能であり、一代雑種に依存する比内地鶏とは育種の構造が異なる。また、名古屋コーチンの一般的な飼育期間は約120日であり、これも十分に長いものの、比内地鶏の150日以上という基準には及ばない。
一方、国の制度である「特定JAS規格」における地鶏の定義と比較すると、比内地鶏の自家基準の突出ぶりがよくわかる。特定JASにおいて地鶏と表示するための要件は、以下の通りである。
- 在来種由来の血統が50%以上であること
- 孵化日から75日以上飼育していること
- 28日齢以降は1平方メートルあたり10羽以下の環境で平飼いすること
これに対し、秋田県や地元の生産組合が定めている比内地鶏のブランド基準は、特定JASのハードルを遥かに超えている。飼育日数は75日の倍である「150日以上」、飼育密度は1平方メートルあたり10羽以下の倍のゆとりを持つ「5羽以下」である。全国的な地鶏の基準を単にクリアするだけでなく、比内鶏特有の締まった肉質と澄んだ出汁を実現するために、あえて生産効率を圧迫する厳しい数値ルールを課しているのだ。
日本における養鶏の主流は、いかに短期間で安価に大量のタンパク質を得るかという「工業的養鶏」である。ブロイラーはその極致であり、狭い鶏舎で高栄養の飼料を与え、50日弱で体重3キロ近くまで急成長させる。それに対して比内地鶏の生産は、時間と敷地面積という資源を膨大に消費する「低効率の極致」とも言える。他地域の地鶏が生産性と質のバランスを模索するなかで、北秋田の養鶏は、比内鶏本来の食味という絶対的なゴールから逆算して飼育条件を固定する道を選んだ。
認証制度と北秋田の生産農場
こうした厳しい飼育体制は、個々の農家の努力だけで維持されてきたわけではない。昭和62年(1987年)7月、当時の比内町において「比内町比内地鶏生産部会」が結成された。当初は7名の農家、1万2千羽という規模からのスタートだった。翌平成元年には農協によって専用の食鳥処理場が建設され、生産から処理までを一貫して管理する体制が整えられた。
生産部会では「飼育管理マニュアル」を制定し、飼料の種類、出荷日数の計算、放牧地の環境などを細かく定めた。万が一、このマニュアルや規約に違反した生産者がいた場合には、ペナルティの科与や部会員からの除名処分といった厳しい措置が盛り込まれた。均一で高品質な肉を出荷しなければ、ブランド全体の信頼が揺らぐという危機感が地域全体に共有されていたからだ。これらの取り組みが評価され、平成13年度(2001年)には畜産大賞の地域振興部門最優秀賞を受賞している。
さらに秋田県は、市場における偽装表示を防ぎ、信頼性を担保するために「秋田県比内地鶏ブランド認証制度」を立ち上げた。県内で生産・処理される比内地鶏に対して、素雛の血統、飼育日数、飼育密度、平飼い条件が守られているかを検査し、認証票を発行する仕組みである。平成21年(2009年)からは、出荷される肉に対してDNA識別技術を導入し、原種である秋田比内鶏の遺伝子パターンと照合できる体制まで構築された。
もっとも、現代の比内地鶏生産は平穏な道ばかりではない。近年では高病原性鳥インフルエンザの全国的な流行に伴い、野鳥との接触を防ぐため完全な屋外放し飼いから、防鳥ネットやフェンスを完璧に備えた平飼い鶏舎への転換が余儀なくされている。また、配合飼料の価格高騰や、養鶏農家の高齢化と後継者不足も重い課題だ。
比内地鶏の出荷先は、その多くが首都圏をはじめとする高級飲食店や専門店であったため、感染症の流行や外食需要の動向によって出荷量が大きく左右されるリスクも浮き彫りになった。これに対し、地元JAや秋田県では、食品安全管理の国際的基準であるHACCP(ハサップ)認証を加工施設で取得するとともに、家庭用の精肉パックやきりたんぽ鍋セットの通販、さらには加工食品の開拓を進め、外食依存からの脱却と生産基盤の維持を図っている。大館市や北秋田市の転作田を利用した緑の牧草地に、赤褐色を帯びたしなやかな鶏が遊ぶ風景は、厳格な制度と地域の経済活動が噛み合うことで維持されている。
文化を閉ざさず科学で開いた答え
文化財の保護と、市場における消費。この二つは一見すると相容れない関係に見える。国の天然記念物に指定して保護対象に指定することは、対象を日常の利用から遠ざけ、変化しないように保存することを意味するからだ。もし秋田の人々が、比内鶏を「手塩にかけて愛でる幻の鳥」としてのみ扱っていたならば、その肉の味わいは古文書の記述や地域の言い伝えの中だけに閉じ込められ、やがて人々の記憶から失われていたかもしれない。
しかし、北秋田の人々が取った選択は、保存と利用の安易な折衷ではなかった。天然記念物としての比内鶏の血統は県が厳重に維持・保護しつつ、産業用には一代雑種という遺伝学的な仕組みを用いて「比内地鶏」という新たな生命を毎世代作り出す。原種の持つ圧倒的な味の遺伝子を半分受け継がせ、そこに150日という膨大な飼育時間と、1平方メートルに5羽という過酷なまでの薄飼いルールを掛け合わせることで、かつて藩主が食したであろう旨味の構造を、現代の食卓の上に寸分違わず再現してみせた。
純血のまま守ることだけが文化の継承ではない。科学的なアプローチによって血統を再構成し、厳格な数値管理によって肉質を担保することで、地域の食文化の核である「出汁の味」を守り続けている。秋田のきりたんぽ鍋に浮く澄んだ脂の粒は、ノスタルジーや感傷の結果ではなく、交配の計算、150日間の日数管理、そしてDNA識別検査にいたる具象的なシステムによって支えられている。比内地鶏という存在は、過去の遺産を大切に封印するのではなく、現代の産業構造のなかでいかに機能させるかという問いに対する、極めて強靭な回答なのだ。
旅と食が好き。どこにでもいます。
参考
- 比内地鶏 – 大館神明社例祭余興奉納行事-秋田県大館市の伝統文化odate-shinmei.com
- 銀座 とりや幸toriya-kou-ginza.com
- 比内地鶏について|【公式】秋田比内や株式会社 比内地鶏の販売・通販akitahinaiya.co.jp
- 比内地鶏って? | 比内地鶏のおウチごはん。common3.pref.akita.lg.jp
- 【JA秋田たかのす】 管内の農業 - 比内地鶏ja-takanosu.or.jp
- 日本三大地鶏の一つ。世界に認められた「比内地鶏」秋田比内や/秋田県大館市 - NIHONMONOnihonmono.jp
- ブランドヒストリー(10)|JA全農ウィークリーzennoh-weekly.jp
- 比内地鶏について|秋田|比内地鶏のことなら【株式会社本家比内地鶏】honke-hinaijidori.com