2026/6/8
丸岡の千古の家、いつ建てられた?豪族の暮らしと建築の謎

丸岡の千古の家について詳しく知りたい。いつ建てられた建物なんだろう。
キュリオす
福井県坂井市丸岡町の坪川家住宅(千古の家)は、室町時代後期から江戸時代初期にかけて建てられたと推測される。豪族の格式を示す間取りや、豪雪地帯の知恵が詰まった建築様式から、当時の地方豪族の暮らしと文化を探る。
福井県坂井市丸岡町の山間、竹田地区の奥深くへ足を踏み入れると、深い緑の中に茅葺きの大きな屋根が見え始める。その姿は、周囲の自然に溶け込みながらも、明らかに時を重ねてきた重厚さを纏っている。まるで、この土地の記憶がそのまま建物として残されたかのようだ。この「千古の家」と呼ばれる坪川家住宅を前にすると、「いつ、誰が、なぜこの地に建てたのか」という問いが自然と湧き上がるだろう。
千古の家の正確な建築年代を示す文献は、今のところ見つかっていない。しかし、その建築様式や構造から、多くは室町時代後期から江戸時代初期にかけて建てられたものと推測されている。特に福井県内では現存する民家として最古級とされ、一部には江戸時代初期の建築とする見方も存在する。『福井県史』では17世紀中頃まで遡ると考えられている。
この家を代々守り続けてきたのは坪川家である。坪川家の祖先は、平安時代後期に院の警護にあたった北面の武士、坪川但馬貞純に遡ると伝えられ、さらに源頼政の後裔とも言われている。越前国長畝郷山竹田村(現在の坂井市丸岡町竹田地区)に根を下ろした坪川家は、この地域の地方豪族として、その地位を築いていったようだ。山深いこの地で、彼らはどのようにしてその格式を保ち、今日まで家屋を伝え続けることができたのか。その問いは、建物の細部に宿る。
千古の家の建築には、当時の技術と豪雪地帯での生活の知恵が凝縮されている。まず目を引くのは、その茅葺きの屋根だ。正面は入母屋造り、背面は寄棟造りという複雑な構成を持ち、特に正面の破風や角屋の破風は、その大きさや曲線が独特の優美さと迫力を生み出している。外壁は杉皮張りで、障子の白が清楚な印象を与える。
内部に入ると、その古さがより鮮明になる。主要な柱には栗材が用いられ、ちょうなややりがんなで仕上げられた荒々しい削り跡が今も残されている。これは、当時の木材加工技術を直接的に示す証拠である。さらに、この家の大きな特徴として「股柱(またばしら)」の存在が挙げられる。これは一本の柱の先端が二股に分かれ、それぞれが母屋と下屋の桁を支える構造で、上屋柱二本分の役割を一本で担うという、効率的かつ堅牢な造りだ。このような股柱が三本も使われていることは、全国的に見ても珍しいという。
間取りを見ると、正面入口を入ると「にわ」と呼ばれる広い土間があり、ここには笏谷石をくり抜いて作られた水槽が壁を貫いて設置されている。裏山から谷水を引くことで、常に清らかな水が使えるように工夫されたもので、豪雪地帯の生活における実用性がうかがえる。その奥には約三十畳もの広さを持つ板の間「おえ」があり、さらに畳敷きの「なんど」「なかのま」「ぶつま(奥の間)」が続く。江戸時代初期の一般民家が土間と二間の板間程度であったことを考えると、畳敷きの部屋が複数ある千古の家の間取りは、坪川家の格式の高さを示すものだと言えるだろう。
千古の家が「福井県内最古の民家」として特筆されるのは、単に建築年代が古いという事実だけではない。その建築様式には、中世末期から近世初期という時代の移行期における地方豪族の暮らしと、豪雪地帯という厳しい自然環境への適応が見て取れる。
例えば、同時期の民家として知られる茅葺きの家屋は全国に点在するが、千古の家に見られるような独特の破風の形状や、股柱を多用する構造は稀有な例とされる。これは、この地の気候風土と、坪川家が代々培ってきた建築技術や生活様式が独自に結合した結果だろう。また、一般の農家では土間が中心であった時代に、畳敷きの部屋が格式を伴って設けられていた点も、坪川家が単なる農民ではなく、地域を束ねる豪族であったことを示唆している。
さらに、家屋に隣接する「坪川氏庭園」は国登録記念物(名勝)に指定されており、池泉鑑賞式庭園として江戸時代中期に茶人山田宗偏によって作庭されたと伝わる。この庭園には、三尊石や蓬莱、須弥山の石組みなど、宗教的・思想的な意味合いが込められており、「心の庭」「祈りの庭」とも呼ばれている。建物と庭園が一体となって、単なる住居を超えた、精神的な空間を形成している点は、他の多くの古民家には見られない特徴である。
現在、千古の家は国の重要文化財に指定され、その保存と公開が続けられている。土日祝日を中心に一般公開され、平日は予約制で訪れることができる。厳しい豪雪地帯に建つため、茅葺き屋根の補修や葺き替え、柱の修復といった維持管理は欠かせず、地域や坪川家の子孫、行政が協力してその保護にあたっている。
敷地内には、坪川家の子孫が管理する「千古カフェ」が併設されており、地元の丸岡在来種蕎麦を使った十割蕎麦を味わうことができる。冬季には囲炉裏に火が入れられ、古民家ならではの香りと温かさの中で食事をする体験は、訪れる人々にとって特別なものとなるだろう。また、6月中旬頃には隣接する花菖蒲園が見頃を迎え、秋には庭園の紅葉が家屋の古色に彩りを添える。古民家体験として、囲炉裏でご飯を炊いたり、五平餅を作ったりする催しも行われている。
丸岡の千古の家は、単に古いという言葉では片付けられない。それは、明確な建築記録を持たないからこそ、その構造や様式、そして坪川家の口伝によって、時代を読み解く手がかりを与えてくれる。中世末期から江戸時代初期という、日本の社会が大きく変貌を遂げた時期に、一地方の豪族がどのようにその生活と文化を築き、守り抜いてきたのか。
股柱や手斧の跡、豪壮な茅葺きの屋根、そして畳敷きの居室といった細部が、当時の人々の暮らしぶりや、その家が持つ格式を静かに物語っている。それは、歴史の大きな流れの中にあって、個々の土地に根ざした人々の営みが、いかに固有の文化を生み出し、長い時間を超えて現代にまで伝えられてきたのかを問いかける。千古の家は、その茅葺きの屋根の下で、変わることなくその問いを投げかけ続けているのだ。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。