2026年5月16日
平松守彦元知事の「一村一品運動」:カボスや椎茸が全国へ羽ばたいた理由
大分県で平松守彦元知事が提唱した「一村一品運動」は、地域資源を活かした特産品開発により地域経済の活性化を目指した。カボス、どんこ椎茸、ゆず胡椒などの成功例を生み出し、自主自立と人づくりを原則としたこの運動は、国内外に影響を与えた。
地方に宿る、一つの答え
大分県を訪れると、豊かな自然の中に、それぞれの地域が持つ「顔」がはっきりと浮かび上がることに気づかされる。たとえば、みずみずしいカボスの香りが漂う町、豊かな森から生まれる乾椎茸の滋味、あるいは麦焼酎の芳醇な香りが漂う蔵元。これらは単なる特産品というよりも、その土地の歴史と人々の営みが凝縮された存在として、静かにそこに息づいている。なぜ、これほどまでに多様で個性的な産品が、この小さな県土に根付き、全国、そして世界へと羽ばたいていったのか。その問いの先に、平松守彦元大分県知事が提唱した「一村一品運動」という、一つの答えが見えてくるだろう。
大山町の先駆けから県全域へ
一村一品運動の萌芽は、平松守彦氏が大分県知事に就任する以前、1961年に日田郡大山町(現・日田市)で始まった「NPC運動(New Plum and Chestnut運動)」に遡る。この地域は稲作に適さない山間部であったため、当時の農業協同組合長であった矢幡治美氏が、「梅栗植えてハワイへ行こう」というキャッチフレーズを掲げた。これは、収益性の低い米作から転換し、山間部でも栽培可能な梅や栗などの果樹を植え、さらにそれらを梅干しなどの付加価値の高い加工品にすることで農家の収益向上を目指すという、先進的な取り組みだった。
この大山町の成功事例に着目したのが、1979年に大分県知事に就任した平松守彦氏である。平松知事は、都市への人口集中による過疎化と地域活力の低下という当時の社会状況に対し、行政への過度な依存を排し、地域住民の自主自立の精神を促す必要性を感じていた。そこで、大山町のNPC運動から着想を得て、県内全市町村がそれぞれ「世界に通じる特産品」を一つずつ生み出すことで地域経済を活性化させる「一村一品運動」を提唱したのだ。平松知事は、就任直後の1979年11月26日に市町村長との懇談会でこの運動を提案し、自ら県内各地を回って住民にその理念を説明するなど、運動の気運を高めることに尽力した。単に特産品を作るだけでなく、その裏にある「人づくり」を究極の目標に掲げたことが、この運動の重要な特徴であった。
三つの原則と地域を動かす力
一村一品運動は、「ローカルにしてグローバル」「自主自立・創意工夫」「人づくり」という三つの原則を柱としていた。第一の「ローカルにしてグローバル」とは、地域の文化や特色を活かしつつ、全国や世界市場で通用する高品質な商品を生み出すことを指す。これは、単なる地域限定の産品に留まらず、広範な市場での競争力を意識したものだった。第二の「自主自立・創意工夫」は、何を作るか、どう育てるかを地域住民自身が決め、創意工夫を重ねて品質を高めていくことを重視した原則である。行政は、技術支援やマーケティング調査、人材育成など、あくまで側面からの支援に徹し、住民の自主性を損なわないよう配慮された。補助金で釣るようなことはせず、「やる気のある運動には行政が支援を惜しまない」という姿勢が貫かれたという。第三の「人づくり」は、この運動の究極の目標であり、先見性のある地域リーダーを育成し、何事にも挑戦する創造力に富んだ人材を育てることに重きが置かれた。
大分県では、この運動を通じて300を超える特産品が生み出され、その総生産額は1400億円に達している。具体的な成功例としては、まず「カボス」が挙げられる。大分県はカボスの全国生産量の大部分を占め、その爽やかな香りと酸味は、料理の風味付けから飲料まで幅広く利用されている。一村一品運動によってその品質とブランドが確立され、全国に流通するようになった。また、「どんこ椎茸」も代表的な成功例の一つである。大分県は乾椎茸の全国生産量の約40%を占める日本一の産地であり、特に国東半島宇佐地域で世界農業遺産に認定された原木椎茸生産システムで育まれた「冬菇(どんこ)」は、その肉厚な食感と豊かな香りで高い評価を得ている。さらに、「ゆず胡椒」も大分を代表する調味料として全国的に知られるようになった。青ゆずの皮と青とうがらしを塩で熟成させたもので、熱を加えない石臼で仕上げることで、ゆずの香りを最大限に引き出している。鍋物だけでなく、肉料理などにも合う万能調味料として、その需要を広げた。
他にも、高級ブランド魚として知られる「関あじ・関さば」や、全国的な人気を誇る「大分麦焼酎」なども、この運動の成果として挙げられる。麦焼酎の「いいちこ」が「下町のナポレオン」というネーミングで料亭に紹介され、全国的にヒットした実例もある。これらの産品は、単に地域で生産されるだけでなく、品質改良、ブランディング、流通経路の開拓といった多角的な努力によって、市場価値を高めていったのである。女性を中心とした生産グループが、手作りの加工品を道の駅などで販売し、生産者の顔が見える商品として評価されることで、新たな雇用機会も創出された。
他の地域振興策との対比
一村一品運動が提唱された1980年代初頭は、日本各地で地域振興策が模索されていた時代である。国の主導による大規模な工場誘致や公共事業といったトップダウン型の開発が主流であった中で、一村一品運動は住民の主体性と地域の内発的発展を重視する点で一線を画していた。
例えば、高度経済成長期に多く見られた工場誘致は、一時的に雇用を生み出し、地域経済を潤す効果はあったものの、景気変動の影響を受けやすく、誘致企業が撤退すれば地域に大きな打撃を与えるリスクを抱えていた。また、補助金に依存する傾向が強まり、地域住民の自立性を損なう側面もあったとされる。これに対し、一村一品運動は、地域の資源を掘り起こし、それを加工・販売することで付加価値を高める「地場加工」に特徴があった。農産物に限らず、文化活動なども特産品として捉えられた。これにより、地域固有の強みを活かし、外部環境の変化に左右されにくい、持続的な経済基盤の構築を目指したのである。
また、一村一品運動は、単に「もの」を作るだけでなく、「人づくり」を重視した点も特徴的である。地域のリーダーを育成し、住民自らが考え、行動する力を養うことに力を入れた。これは、後継者不足や高齢化といった現代の地域課題にも通じる、長期的な視点に立ったアプローチだったと言える。行政はあくまで支援役に徹し、技術指導やマーケティング調査など、住民の自主性を引き出すための「触媒」としての役割を担った。
一村一品運動は、その後、日本国内の他の地域にも影響を与え、北海道などでも同様の取り組みが行われた。さらに、国際協力機構(JICA)などを通じて、中国、タイ、ベトナム、カンボジア、マレーシア、フィリピン、インドネシア、マラウイ、キルギスなど、世界各地の発展途上国にも広がりを見せている。タイでは「一村一製品運動(OTOP)」、ベトナムでは「One Commune One Product(OCOP)」として政策化されるなど、それぞれの国の実情に合わせて形を変えながら導入されている。ただし、途上国での展開においては、日本のような住民主体のボトムアップ型ではなく、中央政府主導のトップダウン型が主流となるケースが多く、持続性の確保が課題となることもある。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。