2026/7/2
神戸ルミナリエ、震災の記憶を未来へ繋ぐ光の芸術

神戸のルミナリエについて教えてほしい。
キュリオす
1995年の阪神・淡路大震災の鎮魂と復興への希望を込めて始まった神戸ルミナリエ。イタリアの光の芸術を基盤に、震災の記憶を継承し、都市の再生を象徴する行事として、形を変えながらも毎年冬に灯され続けている。
光の回廊が問いかけるもの
冬の神戸の街を歩くと、ひときわ荘厳な光の空間に吸い寄せられることがある。それは単なるイルミネーションとは一線を画し、見る者を静かに、しかし深く包み込む。旧居留地の歴史ある建物群を背景に、イタリアの伝統的な様式を継承した光のアーチ「ガレリア」や、巨大な光の壁「スパッリエーラ」が立ち並ぶ光景は、訪れる人々に圧倒的な美しさと共に、ある種の厳粛さを感じさせるだろう。
なぜ神戸という国際的な港町が、これほどまでに特定の「光の祭典」を、年を重ねるごとにその形を変えながらも継続しているのか。 その光は、単なる装飾を超えて、この街の記憶と、そこに生きる人々の思いを映し出しているように見える。神戸ルミナリエは、一体何を「照らし」続けているのか。この光が持つ意味と、その背景にある物語を紐解くことは、神戸という都市の深層に触れることでもある。
震災の記憶から生まれた光
神戸ルミナリエの起源は、1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災に遡る。マグニチュード7.3、最大震度7という規模の地震は、神戸の街に甚大な被害をもたらし、6,434人もの犠牲者を出した。 ライフラインが寸断され、暗闇に包まれた街で、人々は物理的な光だけでなく、精神的な光をも求めていた。
その年の12月、震災で打ちひしがれた神戸の街と市民に希望を与えるため、そして犠牲者の鎮魂の意を込めて、第1回神戸ルミナリエが開催された。 当初、この祭典は一度限りの鎮魂行事として計画されていたという。 イタリア政府の協力のもと、イタリア人アートディレクターのヴァレリオ・フェスティと、神戸市在住の作品プロデューサー今岡寛和が共同でプロデュースを手がけた。 イタリア語で「電飾」を意味する「ルミナリエ」の名が示す通り、中世イタリアの祝祭装飾に起源を持つ光の芸術が、神戸の地で新たな意味を帯びたのだ。
初開催のルミナリエには、約15万個の電球が使用され、11日間の会期中に予想をはるかに上回る254万人もの来場者が訪れた。 その光は、被災した人々の心に感動と勇気をもたらし、街の復興を象徴する存在となった。この強い反響を受け、市民や各界から継続開催を求める声が多数寄せられ、翌1996年には第2回の開催が決定。 以降、神戸ルミナリエは、震災の記憶を後世に語り継ぎ、神戸の希望を象徴する行事として、毎年冬の風物詩として定着していくことになる。
光が担う複数の役割
神戸ルミナリエが単なる冬のイルミネーションに留まらず、特別な存在として継続されてきた背景には、光が担う複数の役割がある。まず第一に、阪神・淡路大震災の犠牲者への「鎮魂」と「記憶の継承」という、その根源的な目的がある。 震災から時が経ち、経験していない世代が増える中で、ルミナリエの光はあの日の出来事を語り継ぐ象徴としての役割を担っている。会場には、震災の記憶に触れるためのブースが設けられたり、新たに「希望の鐘」が制作されたりするなど、その意義を再認識させる取り組みが続けられている。
次に、「都市の復興・再生への希望」を象徴する役割も大きい。 震災後の暗闇に灯された光は、神戸の街が困難を乗り越え、立ち上がっていく姿を内外に示した。光の芸術がもたらす美しさは、人々の心を癒し、前向きな気持ちを育む力となったのである。 「夢と光」という第1回のテーマに象徴されるように、ルミナリエは神戸の再生への願いを託された行事であった。
さらに、ルミナリエは「地域経済の活性化」にも寄与してきた。 震災で激減した観光客を呼び戻す目的も当初から掲げられており、毎年数百万人が来場する大規模イベントとして、神戸の冬の集客観光促進事業の柱となっている。 会場周辺の店舗への経済波及効果も期待され、近年では有料エリアの導入や、連携ライトアップによる回遊性の向上といった試みも行われている。 しかし、その運営には毎年約5億円もの費用がかかり、資金調達は常に課題である。 企業協賛金や個人からの募金、「一人100円募金」、さらにはクラウドファンディングなど、多様な方法で運営資金が賄われているのが実情だ。
記憶を刻む光の形式
神戸ルミナリエが持つ鎮魂と復興へのメッセージは、他の大規模な光の祭典や震災メモリアルとは異なる独自の形式によって伝えられている。例えば、札幌雪まつりのように冬の観光資源として定着したイルミネーションは、その多くが華やかさや集客を主眼に置く。東京の商業施設が手がける冬のライトアップも、季節の風物詩としての娯楽性が強調されることが多いだろう。これに対し、神戸ルミナリエは、イタリアの伝統的な「ルミナリエ」という光の建築物を基盤としながらも、その光が阪神・淡路大震災の犠牲者への「鎮魂」という明確な目的を持つ点で、単なる装飾とは一線を画している。
また、広島平和記念公園の原爆ドームや、東日本大震災の慰霊碑のように、恒久的な建造物として記憶を留めるものと比較すると、ルミナリエの光は「期間限定の、儚い美しさ」である点が特徴的だ。 光の作品は毎年異なり、会期が終われば解体される。 この一時的な性質が、失われた命や街の風景の儚さ、そして復興への道のりの継続性を象徴しているとも解釈できる。2014年までは白熱電球が主流で温かみのある光を表現していたが、2015年以降は全ての電球がLEDに切り替わり、色彩の表現も変化した。 これは、技術の進化と共に表現の幅を広げつつも、根底にあるメッセージを時代に合わせて伝えようとする試みだろう。
さらに、震災の記憶を後世に語り継ぐという点では、東日本大震災の被災地で展開されるメモリアルイベントや、各地の慰霊祭にも共通する構造が見られる。しかし、ルミナリエは「光の芸術」という形式をとり、特定のデザイナーによる創作性を前面に出すことで、単なる追悼行事を超えた文化的な価値を創出している点が異なっている。 光の回廊を歩くという身体的な体験を通じて、来場者に記憶を呼び起こさせ、希望を感じさせるという、五感に訴えかける手法は、他の追悼の形とは異なるアプローチだ。
移り変わる街と光の現在地
2020年から2022年度までは、新型コロナウイルス感染症の影響により、神戸ルミナリエは開催を休止せざるを得なかった。 その間も、東遊園地でのイルミネーション作品の展示や、「ロソーネ まちなかミュージアム」といった代替行事が実施され、光を灯し続ける試みは途絶えなかった。 そして2023年度(2024年)からは、開催時期を1月下旬に、会場もメリケンパーク、東遊園地、旧外国人居留地を中心とした分散型へと変更し、再開を果たした。
この再開は、震災から30年という節目を目前に控えた「実験的な取り組み」と位置づけられている。 従来の旧居留地中心の一方通行ではなく、複数の会場を自由に巡ることで、来場者が神戸の街全体を回遊し、地域経済への貢献も促す狙いがあるという。 また、メリケンパーク会場の一部には有料エリアが設けられ、前売券や当日券の販売を通じて、運営費確保の一助としている。 震災を経験していない世代が増える中で、記憶の継承という課題はより切実なものとなっているが、ルミナリエは「希望の鐘」の制作や、デジタルスタンプラリー、クーポンキャンペーンなど、多様な企画を通じて、その意義を伝え続けている。
2026年には第31回、2027年には第32回の開催が決定しており、それぞれ「神戸の鼓動、光の物語」や「30年の光、永遠に輝く希望」といったテーマが掲げられている。 メリケンパークの「海を望む宮殿」や、東遊園地の「聖なるアプシス」など、各会場にはイタリア人デザイナーのダニエル・モンテベルデが手がける光の彫刻が設置され、その芸術性は今も健在だ。 震災の記憶を未来へと繋ぐための光は、形を変えながらも、神戸の街に灯り続けている。
光が映し出す都市の記憶
神戸ルミナリエは、単なる光の祭典ではない。それは、1995年の阪神・淡路大震災という圧倒的な喪失から立ち上がった都市の、記憶と希望が形を変えたものだ。イタリアの伝統的な電飾芸術という外来の形式が、神戸という異文化受容の歴史を持つ港町に迎え入れられ、震災という固有の経験と結びつくことで、他に類を見ない意味を持つに至った。
光が持つ「闇を照らし、希望を与える」という普遍的な象徴性は、震災後の神戸において、具体的かつ切実な意味を持った。 そして、その光を毎年灯し続けるという行為自体が、震災の記憶を風化させないための市民的、行政的な「営み」となっている。会期ごとに異なるデザイン、開催場所や期間の変更、そして運営資金確保のための継続的な努力は、この光が単なるイベントではなく、都市の記憶を継承し、未来を築くための不断の意思表示であることを示している。
ルミナリエの光は、過ぎ去った悲劇を悼むだけでなく、そこから得られた教訓を次世代に伝え、都市の再生を祝う多層的な意味を帯びている。その光は、神戸の街が、過去の経験を内包しながらも、常に新しい姿へと変わり続けていることを静かに物語る。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。