2026/7/2
「メリケン」の由来は?神戸メリケンパークができた経緯と震災の記憶

神戸のメリケンパークについて詳しく知りたい。どういう経緯でできたのか?
キュリオす
神戸のメリケンパークは、開港当初の「アメリカン」訛りに由来する地名を持つ。港湾機能の再編を経て公園化されたが、阪神・淡路大震災の遺構も保存され、都市の歴史と記憶を伝える場となっている。
港に吹き抜ける風と「メリケン」の音
神戸のメリケンパークに立つと、開けた空の下、海風が心地よく頬を撫でる。そこに林立する神戸ポートタワーや神戸海洋博物館のモダンな建築群は、港町の顔として多くの写真に収められてきた。しかし、この「メリケン」という独特な響きの地名が、一体どこから来たのか、その由来を深く考える機会は少ないかもしれない。この場所が、単なる観光地としてではなく、いかにして神戸という都市の歴史と深く結びついてきたのか。その経緯を辿ることは、港が持つ多層的な物語を紐解くことに繋がる。
開港の喧騒と「アメリカン」の訛り
メリケンパークの歴史は、明治維新直後の神戸港開港に遡る。1868年1月1日(慶応3年12月7日)、日本が諸外国との修好通商条約に基づき開国した際、神戸港はその玄関口として指定された。当時の神戸港は、現在の兵庫区にあった「兵庫津」が古くからの港として栄えていたが、外国人との交流による紛争を避けるため、幕府は兵庫津から東に約3.5km離れた神戸村を外国人居留地の造成地として選定したのである。この神戸村の海岸線に、外国貿易のための波止場が次々と築かれていった。
この開港当初に整備された波止場の一つ、特に外国貨物の荷揚げ港として機能した「第三波止場」が、後に「メリケン波止場」と呼ばれるようになる。その名の由来は、波止場の近くにアメリカ領事館が置かれていたことにあった。当時の人々が「アメリカン」という言葉を「メリケン」と聞き取ったことから、この通称が定着したと言われている。小麦粉の「メリケン粉」も同じ語源を持つとされるように、外来語が日本に根付く過程で生じた、ある種の音韻的変容がこの地名にも見られるのだ。
神戸の外国人居留地は、東は旧生田川(現在のフラワーロード)、西は鯉川(現在の鯉川筋)、南は海、北は西国街道に囲まれた約7万8,000坪の土地に、イギリス人技師J.W.ハートによって計画的に造成された。道路は歩道と車道に分けられ、街路灯や下水道も整備されたその街並みは、「東洋における居留地としてもっともよく設計されている」とまで評されたという。 メリケン波止場は、この理想的な居留地を支える物流の要衝であり、人やモノ、そして文化が行き交う賑わいの場として、近代神戸の発展を牽引していったのである。
港湾機能の再編と都市の顔づくり
メリケンパークが現在の姿へと変貌を遂げたのは、1980年代に入ってからのことだ。神戸港は開港以来、日本の近代化を支える重要な国際貿易港として発展を続けてきたが、時代の変化とともに港湾機能も高度化し、より大規模なコンテナターミナルや人工島の整備が進められていった。ポートアイランド(1981年竣工)や六甲アイランド(1992年竣工)といった新たな港湾施設の誕生は、既存の波止場の役割を相対化させることにも繋がった。
このような背景の中、1980年、神戸港開港120周年記念事業の一環として、港町に「にぎわい」を創出する目的でメリケンパークの建設が企画された。 具体的には、かつてのメリケン波止場と、大正時代に建設された中突堤との間の海面を埋め立て、総面積約15.6ヘクタール(東京ドーム3個分以上)の広大な公園を造成する計画が立てられたのである。
埋め立て工事は1983年に着手され、1984年には完了。そして準備期間を経て、1987年4月29日にメリケンパークは正式にオープンした。 この新しい公園には、1963年に完成し、すでに神戸港のシンボルとなっていた神戸ポートタワーを中心に、神戸海洋博物館(1987年開館)、ホテルオークラ神戸などの施設が配置された。 さらに、開港120周年を記念して、著名な建築家フランク・ゲーリーによる巨大な魚のオブジェ「フィッシュ・ダンス」(1987年)や、神戸ファッションフェスティバルを記念する「オルタンシアの鐘」(1990年)といった芸術作品も設置され、港の風景に新たな彩りが加えられたのである。 これは、単なる港湾機能の拡張に留まらず、港を市民生活や観光に開かれた「都市の顔」として再定義しようとする、神戸市の都市開発戦略の一端であった。
港湾再開発にみる共通点と神戸の独自性
港湾エリアの再開発は、神戸に限らず世界中の多くの都市で見られる現象である。例えば、国内では横浜のみなとみらい21や北九州の門司港レトロなどが、かつての港湾・工業地帯を観光・商業・文化複合施設へと転換させた代表的な事例として挙げられるだろう。 これらのプロジェクトに共通するのは、歴史的な港湾資産を保存・活用しつつ、新たなランドマークを創出し、市民や観光客に開かれたウォーターフロント空間を生み出すという視点である。古い倉庫群をリノベーションして商業施設にしたり、歴史的建造物を博物館として再利用したりする手法は、各地で成功を収めてきた。
しかし、メリケンパークの形成過程には、神戸ならではの独自性が深く刻まれている。特に重要なのが、1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災の存在である。この震災で神戸港は甚大な被害を受け、メリケン波止場も大きく損壊した。 神戸市は、この被災したメリケン波止場の一部(約60m)をあえて復旧せず、震災当時のままの姿で保存し、「神戸港震災メモリアルパーク」として整備した。 これは、単なる美化された都市空間の創出に留まらず、都市が経験した悲劇とそこからの復興の歩みを、未来へと語り継ぐための具体的な装置として、公園の一部に組み込んだ点において特異である。他の港湾再開発が「未来志向」を強く打ち出す一方で、メリケンパークは「過去の記憶の継承」という重層的な意味を内包しているのだ。
また、神戸の外国人居留地が、開港当初から極めて計画的に設計され、「東洋一」と評されるほどの完成度を持っていた点も、メリケンパークが立つ土壌の独自性と言える。 横浜や長崎など他の開港場が、より有機的に発展していったのに対し、神戸は最初から国際都市としての「型」が用意されていた。この計画性が、後の港湾再編や都市公園の整備においても、秩序だった開発を可能にした一因ではないか。
震災の記憶を抱く港の現在地
現在のメリケンパークは、神戸を代表する観光地として年間を通じて多くの人々で賑わっている。シンボルである神戸ポートタワーは、2024年4月にリニューアルオープンし、屋上デッキから360度の眺望が楽しめるようになった。 白い帆船を模した神戸海洋博物館は、神戸の海運や港湾の歴史を紹介し、カワサキワールドを併設して川崎重工業の製品群を展示するなど、港町ならではの文化とものづくりの魅力を伝えている。
公園の中央芝生広場に設置された「BE KOBE」の巨大モニュメントは、2015年に阪神・淡路大震災から20年を迎えるにあたり、「神戸の魅力は人である」というメッセージを込めて作られたもので、今や記念撮影の定番スポットとなっている。 海を背景に、真っ白な文字が並ぶその姿は、昼間の青空の下でも、夕焼けに染まる時間帯でも、夜のライトアップ時でも、それぞれ異なる表情を見せる。 西日本最大級のスターバックスコーヒーが設けられるなど、現代的な憩いの場としても機能しており、広々とした空間はピクニックや散歩を楽しむ人々の憩いの場だ。
そして、公園の東側の一画に静かに佇むのが、神戸港震災メモリアルパークである。 傾いたままの岸壁や折れ曲がった街灯は、1995年1月17日の震災の凄まじさを今に伝える貴重な遺構だ。このメモリアルパークは、震災の教訓と復興の歩みを後世に伝えることを目的とし、2025年1月には震災30年を前に展示内容が全面的にリニューアルされた。 模型や映像、写真パネルを通じて当時の状況や復興の力強さを体感でき、AR(拡張現実)を使ったコンテンツで震災前後の様子を比較するなど、新しい技術で震災を学ぶ場を提供している。 メリケンパークは、賑やかな観光地の顔を持つ一方で、神戸が経験した大きな試練の記憶を、その風景の中に確かに抱き続けているのである。
港が語る都市の記憶と未来への問い
メリケンパークの成り立ちを辿ると、それは単に埋め立てられた公園という以上の意味を持つことが見えてくる。この場所は、1868年の開港から始まる神戸の国際貿易港としての歴史、そしてその後の都市開発の変遷、さらには阪神・淡路大震災という未曾有の災害からの復興という、神戸という都市が歩んできた道のりを凝縮して示す場所である。
「メリケン」という言葉が、遠い異国の地名が日本語の音韻と出会って生まれたように、メリケンパーク自体もまた、港という機能的な空間が、市民の憩いの場、観光の拠点、そして震災の記憶を伝える場へと、多角的に意味を重ねてきた。それは、都市がその歴史や課題をいかに風景の中に編み込み、未来へと繋いでいくかという問いに対する、神戸なりのひとつの回答を示しているようにも見える。メリケンパークは、過去の事実を静かに提示しながら、訪れる人々に、港町神戸の持つ複雑な層と、その先に続く都市のあり方を問い続けているのだ。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。
参考
- 神戸港の歴史について - OCEAN PLACE|オーシャンビューの眺めを愉しむ神戸のイタリアンレストラン・ウエディングoceanplace-kobe.com
- “神戸らしさ”がここにある 港町の象徴・メリケンパーク 名前の由来&未来へ向けた挑戦とは | ラジトピ ラジオ関西トピックスjocr.jp
- 神戸市:神戸港の歴史city.kobe.lg.jp
- phaj.or.jp
- 一般財団法人大阪湾ベイエリア開発推進機構o-bay.or.jp
- 博物館で神戸開港の歴史を学んでみる | Feel KOBE 神戸公式観光サイトfeel-kobe.jp
- 旧居留地の歴史 | 神戸旧居留地オフィシャルサイトkobe-kyoryuchi.com
- 神戸外国人居留地 - Wikipediaja.wikipedia.org