二一年に途絶えた酒蔵は、標高九百メートルの山あいでどのようにして復活を果たしたのか?

標高九百メートルの格子戸の奥で
約一キロメートルにわたって江戸時代の面影を残す町家が連なる、長野県塩尻市の奈良井宿。かつて「奈良井千軒」と呼ばれ、中山道を行き交う旅人たちで賑わったこの宿場町は、木曽十一宿の中でも特に標高が高く、約九百四十メートルに位置する。冬になれば凍てつくような寒風が吹き下ろし、軒先には長い氷柱が下がる。この峻厳な山間の地で、かつて宿場を代表する存在でありながら、二〇一二年にその役目を終えて静まり返っていた酒蔵があった。寛政五(一七九三)年創業の「杉の森酒造」である。
主を失った木造の建物は、静かに朽ちていくのを待つばかりのように見えた。ところが、それから約九年の歳月を経て、この古い蔵の格子戸の奥から再び、かつてとは異なる、しかし確かに酒を醸す気配が漂い始めた。二〇二一年に「suginomori brewery」として再生されたこの蔵は、単なる歴史的建造物の保存という枠組みを超えて、現代の日本酒造りにおける極めて先鋭的な試みの場となっている。
だが、大量生産と広域流通が主流となった現代の日本酒市場において、なぜわざわざ輸送に不便で、冬の寒さが極めて厳しいこの山奥の宿場町で、酒造りを再開しなければならなかったのだろうか。単に「古いものを残す」という感傷的な理由だけでは、莫大な設備投資と技術的なハードルを越えることはできない。そこには、この土地が持つ地理的条件と、現代の日本酒が求める洗練された品質設計との間に、必然とも言える合致があったのではないか。
奈良井千軒と「杉の森」の歳月
奈良井宿が栄えた最大の理由は、中山道における最大の難所とされた鳥居峠を控えていたことにある。旅人たちは峠越えを前にしてこの地で旅装を整え、あるいは峠を越えた安堵感とともに宿をとった。過酷な道中を歩き抜いた人々にとって、宿場町で供される温かい食事と一杯の酒は、何よりの慰めであったに違いない。杉の森酒造は、そうした旅人の需要と、木曽の豊かな森林資源を背景にして、江戸中期に産声を上げた。
創業者の家系は、宿場町の名主や問屋を兼ねることもあった旧家であり、地域社会の要としての役割も担っていた。蔵の名は、近くにある荒沢不動尊の杉の社林に由来すると伝わる。木曽五木に囲まれた山深い谷あいで、蔵人たちは冬の厳しい寒さを利用し、寒造りと呼ばれる伝統的な手法で酒を醸し続けてきた。その酒は地元の林業従事者や旅人に愛され、木曽の日常に深く根ざしていた。
しかし、昭和から平成にかけての時代の変化は、この伝統的な蔵にも容赦なく押し寄せた。過疎化による地元消費の減少、嗜好の多様化に伴う日本酒需要の低迷、そして何よりも職人の高齢化と木造の建物の老朽化が、重い課題としてのしかかった。二〇一二年に当時の蔵元が廃業を決断したとき、奈良井宿から唯一の酒蔵の灯が消えることとなった。建物は塩尻市に寄贈されたものの、具体的な活用策が見出せないまま、時が流れていった。
転機が訪れたのは二〇二〇年のことである。歴史的な町家や民家を再生し、宿泊施設や商業施設として活用するプロジェクトが全国で立ち上がる中、奈良井宿でも大規模な開発計画が動き出した。その中心となったのが、複数の古民家を一つの宿に見立てる「分散型ホテル」の構想であった。杉の森酒造の旧社屋と醸造蔵も、その計画の核として位置付けられることとなった。
建物を単なる宿泊部屋やレストランにするだけでなく、かつてこの場所で行われていた「酒造り」という生業そのものを復活させる。その大胆な試みのために、京都の伏見で伝統ある蔵を率いていた杜氏、松本日出彦氏が醸造監修として招聘された。松本氏は、日本各地の風土を活かした酒造りを模索する中で、奈良井の持つ圧倒的な「水の質」と「気候」に着目し、このプロジェクトへの参画を決意したという。こうして、伝統的な意匠を残したまま内部を全面的にリニューアルし、最新の醸造設備を備えた極小規模の酒蔵として、杉の森酒造は再び動き出した。
極軟水と四季醸造が導く設計図
新しく生まれ変わった蔵が目指したのは、かつてのような地元向けの普通酒を大量に造るスタイルではない。目指したのは、この土地のテロワールを極限まで引き出した、世界に通用する高品質な日本酒「narai」の製造である。その設計図を支える要因は、大きく分けて三つある。
第一の要因は、何と言っても水質の特異性である。醸造に使用されるのは、信濃川の源流となる山々から湧き出る、奈良井川の最上流部の天然水だ。この水は硬度が約二十前後という、日本国内でも極めて珍しい「極軟水」に分類される。一般に、日本酒造りにおいては適度なミネラル分を含む中硬水が発酵を促しやすいとされるが、極軟水は酵母の活動が極めて穏やかになるため、長期の低温発酵を必要とする。その結果、雑味が徹底的に排除され、絹のように滑らかで、透明感のある美しい口当たりの酒が仕上がる。
第二の要因は、徹底的な小規模化と近代化の融合である。新設された醸造スペースは、かつての広大な木造蔵の一部を区切り、衛生管理が容易なステンレス製の壁と最新の温度管理システムで覆われている。ここで導入されたのは、年間を通して一定の環境を維持できる「四季醸造」の仕組みである。伝統的な寒造りは冬場に一括して仕込むため、出来上がった酒を長期間貯蔵する必要があり、品質の劣化リスクが伴う。しかし、最新の空調設備を備えたマイクロブルワリーであれば、一回あたりの仕込み量を数千リットル規模に抑え、常に新鮮な状態で年間を通じて最適な温度で発酵させることができる。これは、限られたスペースと人員で最高品質を維持するための、極めて合理的な選択であった。
第三の要因は、宿泊施設「BYAKU Narai」との構造的な一体化である。酒蔵の隣には、かつての主屋を改装した客室や、地域の食材を提供するレストランが配されている。訪れた旅人は、自分が泊まる宿のすぐ隣で醸された酒を、その土地の器で、地元の料理とともに味わうことができる。この「消費の現場と生産の現場の極限的な近さ」が、酒蔵単体での採算性を補い、ブランドの価値を強固なものにしている。流通コストを最小限に抑えつつ、顧客に最も完璧な状態で酒を提供する仕組みが、ここでは建築と運営のレベルで精緻に設計されている。
巨大化と都市型ブルワリーの狭間で
日本各地を見渡すと、休眠した酒蔵の再生や、新規のマイクロブルワリーの設立は近年、一つの潮流となっている。しかし、そのアプローチは一様ではない。
例えば、新潟の「今代司酒造」や山口の「旭酒造」のように、近代的な設備投資と徹底したデータ管理によって生産量を拡大し、グローバルブランドへと成長を遂げた事例がある。これらは、安定した品質の酒を世界中に届けるという点で極めて優れたビジネスモデルを構築している。一方で、近年では東京の浅草や兜町など、大消費地の中心に位置する「都市型ワイナリー」の手法を取り入れた日本酒やクラフトサケの醸造所も増えている。これらは、若者や観光客へのアプローチが容易であり、最先端のカルチャーと結びつきやすいという強みを持つ。
これら二つの潮流と比較したとき、奈良井の「suginomori brewery」の立ち位置は、そのどちらとも一線を画している。
巨大化路線とは異なり、ここはこれ以上の増産をあえて望まない、年間数百石程度の極小規模な生産体制を維持している。それは、奈良井という限られた土地の湧水量や、歴史的建造物の空間的制約から導き出された必然的なサイズでもある。一方で、都市型ブルワリーのような「新しさ」や「軽快さ」を売りにするのではなく、二百年以上の歴史が染み込んだ柱や梁、そして中山道の宿場町という重厚な文脈をそのままブランドの骨格としている。
また、多くの地方の酒蔵が「地元産の酒米」のみを使うことを強調するのに対し、杉の森酒造は、長野県安曇野産の美山錦などの優れた酒米を採用しつつも、過度に「米のテロワール」だけに固執しない。むしろ、標高九百四十メートルの冷涼な空気、極軟水の湧き水、そして宿場町という「空間のテロワール」を重視している。この姿勢は、米の品種や精米歩合によるスペック競争から脱却し、土地の微気候(マイクロクライメイト)そのものをボトルに閉じ込めようとする、ワインの造り手にも通じる思想である。
漆器の街に響くステンレスの鼓動
現在の奈良井宿を歩くと、伝統的な千本格子が美しい街並みの中に、ひっそりと佇む杉の森酒造の看板が目に留まる。一見すると昔ながらの町家だが、一歩足を踏み入れ、ガラス越しに醸造エリアを覗き込むと、そこには鈍い光を放つ最新鋭のステンレス製タンクが整然と並んでいる。木造の梁から下がる古い梁と、精密機械のようなバルブや配管のコントラストは、この場所が単なる過去の再現ではなく、現在進行形の生産現場であることを強く主張している。
ここで醸される「narai」は、その味わいも極めて現代的である。極軟水由来のきめ細やかな質感の中に、爽やかな酸味と、米の柔らかな旨味が立体的に広がる。アルコール度数は一般的な日本酒よりもやや低めに設計されており、食中酒としての軽やかさを備えている。この酒が注がれるのは、木曽平沢の職人たちが手がけた漆器のグラスである。漆のしっとりとした肌触りと、クリアな酒の味わいが重なるとき、旅人はこの土地の工芸と自然が地続きであることを身体感覚として理解する。
しかし、こうした華やかな復活の裏には、持続可能性という現実的な課題も横たわる。歴史的景観の維持には莫大な維持費がかかり、過疎化が進む地域において、限られた観光客に依存するビジネスモデルは常にリスクを伴う。また、小規模醸造ゆえに一本あたりの単価は決して安くはない。
それでも、この蔵が稼働し続けることは、奈良井宿というコミュニティにとって大きな意味を持つ。かつてのように、ただ通り過ぎるだけの観光地から、滞在し、土地の生業に触れ、深い関係性を結ぶ場所へと、宿場町の機能そのものをアップデートする触媒となっているからだ。
動態保存としての生業
歴史的な町並みや文化財を守る手法として、建物をそのまま博物館のように静止した状態で残す「静態保存」がある。しかし、生活の匂いが消え、観光用の張りぼてとなった空間は、いずれ人々の関心を失っていく。杉の森酒造の再生が提示しているのは、生業という動的なプロセスを現代のシステムに適合させてインストールし直す、「動態保存」の極めて幸福な実例ではないか。
かつて江戸時代の旅人が、鳥居峠を越えるために喉を潤した水と、その水から造られた酒。それは形を変え、最先端の技術とデザインを纏って、再び現代の旅人をこの地に引き寄せる源泉となった。
歴史を単に消費するのではなく、その土地が持つ地理的な優位性(標高、水質、気候)を科学的に再評価し、現代の市場が求める価値へと翻訳する。そのプロセスを経て初めて、伝統は「守るべき重荷」から「未来を切り拓く資源」へと変貌する。
夕暮れ時、奈良井宿の家々に灯りがともり、山からの冷たい風が通りを吹き抜けていく。かつて蔵人が見上げたであろう杉の森の木々は、今も変わらず静かに町を見下ろしている。その麓で、最新のタンクの中で静かに発酵を続ける酵母のささやきは、この宿場町が今も確かに生きていることを、何よりも雄弁に物語っている。
旅と食が好き。どこにでもいます。