2026/6/9
梅ヶ島温泉郷、三つの泉質が織りなす湯の個性とは

静岡の梅ヶ島について詳しく知りたい。温泉がそれぞれ違うのか?
キュリオす
静岡の梅ヶ島温泉郷は、単純硫黄泉、ナトリウム炭酸水素塩泉、アルカリ単純硫黄泉と、近隣に三つの異なる泉質を持つ温泉地です。歴史と共に多様な湯が育まれたこの地で、それぞれの泉質がどのように異なる体験を提供するのかを辿ります。
梅ヶ島温泉の歴史は古く、その発見は遠く約1700年前、応神天皇の御代にまで遡ると伝えられている。木こりによって見出されたという伝説や、仙人が三匹の蛇が遊ぶ泉を発見したという逸話も残る。この湯はかつて「黄金湯」とも呼ばれ、近くの金山で採掘された砂金が朝廷に献上されたことに由来するという説もある。
戦国時代に入ると、梅ヶ島は甲斐の武田氏の領地となり、武田信玄がこの地の温泉を「隠し湯」として利用したという記録がある。合戦で傷ついた兵士たちの療養の場として、その効能が重宝されたのだ。 江戸時代には、駿府を拠点とした徳川家康もこの名湯を重視し、湯治客の記録には家康やその子秀忠の名も見られるという。 このように、梅ヶ島は時代を超えて為政者や負傷者の心身を癒す場として、その価値を認められてきた。
梅ヶ島温泉郷の大きな特徴は、ごく近隣の範囲に複数の源泉が湧き、それぞれ異なる泉質を持つ点にある。主に「梅ヶ島温泉」「新田温泉」「コンヤ温泉」の三つが挙げられるだろう。
中心となる「梅ヶ島温泉」は、単純硫黄泉に分類される。pH9.6のアルカリ性で、ほとんど無色透明ながら、ほのかな硫黄の香りが特徴だ。湯に浸かると肌にぬるっとした感触があり、湯上がりには肌がつるつるすると言われている。 この源泉は「おゆのふるさと公園」内の洞窟から湧き出しており、現在もその湧出を見ることができる。
一方、「新田温泉」はナトリウム炭酸水素塩泉である。こちらもアルカリ性で肌触りがなめらかだが、硫黄の匂いがほとんどしない点が梅ヶ島温泉とは異なる。 日帰り入浴施設「黄金の湯」はこの新田温泉の源泉を利用しており、その名の由来はかつてこの地にあった金山にちなむものだ。
さらに、「コンヤ温泉」はアルカリ単純硫黄泉とされ、pH10.3という高いアルカリ性を持つ。 梅ヶ島温泉と同じく硫黄の香りを持ちながらも、その成分構成には違いがあるのだ。このように、一言で「梅ヶ島温泉」と括られがちなこの地域には、それぞれ個性を持つ湯が点在し、入浴客はそれぞれの泉質を比較しながら楽しめるのである。
日本各地に温泉地は数多く存在するが、一つの温泉郷内で複数の異なる泉質を楽しめる場所は、実はそう多くはない。例えば、特定の火山活動によって形成された温泉地では、その火山帯特有の単一の泉質が広範囲にわたる傾向がある。しかし梅ヶ島の場合、安倍川の最上流域という地形と、地下の複雑な地質構造が、異なる源泉を近接して生み出したと考えられる。
この多様性は、歴史的な発展にも影響を与えてきただろう。戦国時代に武田信玄が「隠し湯」として利用した梅ヶ島温泉は、傷病兵の療養に適した特定の効能が求められた。皮膚病や創傷に効くとされる硫黄泉の特性が、当時の医療技術では得がたい治癒効果をもたらしたのかもしれない。 その後、時代が下り湯治が広く行われるようになると、異なる泉質はそれぞれの湯治客の症状や好みに応える選択肢を提供したことだろう。現代の観光客が「美肌の湯」を求めるように、かつての湯治客もまた、自身の身体に合う湯を求めていたはずだ。梅ヶ島は、単一の湯の魅力だけでなく、複数の湯から選ぶという選択肢を古くから提供してきた。
現在、梅ヶ島温泉郷は、その豊かな自然環境と多様な泉質が評価され、2017年には環境省によって「国民保養温泉地」に指定されている。 これは温泉の公共的利用増進と、健全な保養地としての活用が期待される地域に与えられる指定である。静岡市中心部から車で約1時間半という距離にありながら、手付かずの自然が残る秘境感は、都市生活に疲れた人々にとって魅力となっている。
温泉郷内には、梅ヶ島温泉、新田温泉、コンヤ温泉それぞれの源泉を持つ旅館や日帰り入浴施設が点在している。 例えば、新田温泉の「黄金の湯」は市営の日帰り温泉として広く利用されており、硫黄臭のない柔らかな湯が人気だ。 一方、梅ヶ島温泉の旅館では、硫黄の香る伝統的な湯を体験できる。宿泊客は宿ごとに異なる泉質を楽しむことができ、日帰り客も複数の施設を巡ることで、それぞれの湯の個性を比較体験することが可能だ。温泉街の規模は大きくないが、豊かな自然と静かな環境の中で、質の高い湯を求める人々が今も訪れる。
梅ヶ島温泉郷を巡ると、温泉の価値に対する一般的な認識が問い直される。多くの温泉地は「〇〇の湯」として単一の泉質を前面に押し出す傾向があるが、梅ヶ島では複数の異なる泉質が共存している。これは、温泉を単なる観光資源として捉えるのではなく、それぞれの湯が持つ具体的な効能や体感の違いを、訪れる人々が自ら見出し、選択する余地があることを示唆している。
「美肌の湯」という共通の謳い文句の裏には、硫黄の有無、pHのわずかな違い、肌触りの変化といった具体的な差異が横たわっている。これらの違いは、入浴する個人の体質やその日の体調によって、感じ方や効果が異なるだろう。梅ヶ島は、単一の「正解」ではなく、多様な「選択肢」を提供することで、湯の体験をより個人的で探求的なものにしている。それぞれの源泉が持つ歴史や地理的背景に思いを馳せながら、異なる湯に浸かることは、温泉という存在の多面性を静かに教えてくれるのだ。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。