2026/6/4
小田原かまぼこ、なぜ「足」が違う?鈴廣の秘密

小田原の鈴廣かまぼこについて詳しく教えて欲しい。
キュリオす
小田原かまぼこ、特に鈴廣の製品が持つ独特の弾力「足」は、相模湾の魚、箱根の清らかな水、そして職人の技によって生まれる。東海道の宿場町として発展した歴史的背景と、素材本来の味を追求する姿勢が、その独自性を支えている。
小田原の駅を降り、少し歩けば、土産物店が立ち並ぶ一角にたどり着く。そこに並ぶのは、白くつややかな表面を持つ、山高なかまぼこである。他の地域の練り製品とは異なる、その堂々とした姿は、単なる食品の枠を超えた存在感を放っている。なぜこの地で、これほどまでに「かまぼこ」が特別な地位を築いたのか。それは、相模湾の豊かな恵みと、箱根山系が育んだ清らかな水、そして東海道の宿場町としての歴史が複雑に絡み合った結果に他ならない。
小田原におけるかまぼこの歴史は、江戸時代後期にその起源を持つとされる。この地域は相模湾に面し、古くから豊富な魚介類が水揚げされる漁場であった。特に、かまぼこの主原料となるグチ(イシモチ)やスケトウダラなどの白身魚がよく獲れたことが、練り製品作りの発展を促した要因の一つである。 室町時代にはすでに小田原でかまぼこが作られていたという記録もあるが、盛んに生産されるようになったのは江戸時代後期からだ。当時の小田原は東海道五十三次の中でも有数の宿場町であり、箱根越えを控えた旅人や大名行列が行き交う場所であった。交通が不便な時代にあって、日持ちのする加工食品は重宝され、小田原のかまぼこは、旅の土産として、また江戸への献上品としてもその名を知られるようになる。 当初、かまぼこは魚肉のすり身を竹や木に塗りつけて焼く「焼きちくわ」のような形であったが、室町時代には板に盛りつける「板付けかまぼこ」が登場する。そして江戸時代末期になると、蒸して作る「蒸しかまぼこ」が主流となり、特に小田原式の白かまぼこは江戸好みの代表として発展していった。慶応元年(1865年)、鈴廣かまぼこは村田屋鈴木権右衛門が網元漁商の副業としてかまぼこ製造を始めたのがその創業とされている。明治中期には六代目廣吉が蒲鉾製造を本業とし、「鈴廣」の屋号を定めたという。
小田原かまぼこ、特に鈴廣の製品が持つ独特の「足」、すなわち弾力と歯ごたえは、いくつかの要因が複合的に作用して生まれる。まず、原料となる魚の選定が重要である。相模湾は日本三大深湾の一つに数えられ、栄養豊富な深層水と黒潮の影響を受ける好漁場である。ここで獲れるグチ、ムツ、オキギスといった白身魚は、かまぼこに最適なプリプリとした肉質を持つ。鈴廣では一本のかまぼこに約7匹のグチを使用することもあるという。 次に、水の存在が欠かせない。箱根丹沢連山に降った雨が、100年以上の歳月をかけて自然に濾過された「箱根百年水」と呼ばれる伏流水が、かまぼこ作りに用いられる。この水は、カルシウムやマグネシウムなどのミネラルを適度に含みながら、魚の血や脂と結合して臭みの原因となる鉄分をほとんど含まないため、魚肉の持ち味を最大限に引き出すことができる。魚のすり身を水にさらす「水晒し」の工程では、この清冽な水が魚肉の弾力を阻害する酵素や血、臭みのもとを取り除く役割を果たす。この水晒しの質が、かまぼこの弾力や白さを左右する重要な工程なのだ。 さらに、職人の技と経験が製品の品質を決定づける。魚肉を石臼で丁寧にすり潰す「擂潰(らいかい)」の工程では、魚の細胞を壊さずに旨みを引き出し、しなやかな食感を生み出す。塩を加えるタイミングや量、練り具合は、魚の鮮度や気温によって日々調整される。板にすり身を盛り付ける「板付け」は、扇の地紙型と呼ばれる優美な形に整える熟練の技術が求められ、一人前になるには10年を要するとも言われる。蒸し上げる温度や時間も、職人の長年の経験と勘が重要であり、これらすべての工程が小田原かまぼこの独特の「足」と風味を創り出している。
日本全国には多様なかまぼこが存在し、その製法や地域性は多岐にわたる。例えば、関西地方では蒸した後に表面を焼いて仕上げる「焼き板かまぼこ」が主流であり、味に重点を置かれる傾向がある。山口県には「ちりめんじわ」と呼ばれる表面のしわが特徴の白板かまぼこがあり、仙台の「笹かまぼこ」はヒラメのすり身を笹の葉の形にして焼いたものである。富山県では、昆布を巻いた「巻きかまぼこ」がよく見られる。 これらに対し、小田原かまぼこは「板付き蒸しかまぼこ」の代表格とされる。その特徴は、つややかな肌、きめ細かな舌触り、そして何よりも「しなやかな弾力」にある。他の地域のかまぼこが味付けや香ばしさに重きを置くのに対し、小田原かまぼこは魚本来の旨みと、その弾力、つまり「足」の強さを追求してきた。魚肉を何度も水にさらし、不純物や油分を徹底的に取り除くことで、きめ細かく弾力のある食感が生まれる。これは、魚の身質が一年を通して変化するため、練る時間や蒸す温度などの製造過程での微調整を怠らない職人技によって支えられている。 また、小田原かまぼこは保存料や化学調味料を極力使用せず、天然素材と自然発酵の調味料にこだわる傾向が強い。これは、素材そのものの風味と「足」を活かすための選択であり、他地域のかまぼこが多様な調味や加工で個性を出すのと対照的である。小田原の立地が良質な魚と水に恵まれ、さらに江戸という一大消費地へのアクセスが良かったことが、魚本来の味を追求する「蒸しかまぼこ」を発展させる土壌となったと言えるだろう。
鈴廣かまぼこは、単なる製造・販売に留まらず、その伝統と文化を現代に伝えるための様々な取り組みを行っている。小田原市風祭に広がる「かまぼこの里」は、工場や本店、レストラン、カフェだけでなく、「かまぼこ博物館」を併設し、観光客が実際に手作りかまぼこ体験を通して、その製法や歴史に触れることができる場所となっている。 近年では、観光客のニーズの変化に対応し、「立ち寄り型」の観光施設から「目的地型」へとシフトする動きを見せている。地域の自然や食の循環を学ぶ教育旅行プログラムを強化し、田植えや味噌作り、地引き網体験など、地元の生産者と連携した多様なプログラムを展開しているという。 また、鈴廣は持続可能性への取り組みも積極的に進めている。「うみからだいち」プロジェクトでは、かまぼこ製造で出る魚の骨や皮といった副産物を有機肥料として活用し、地元の農家がその肥料で米や野菜を育て、それが再び鈴廣のレストランの食材となる循環型のモデルを構築している。これは魚のアラの廃棄をなくすだけでなく、土壌や海の環境改善にも貢献する取り組みとして、2024年度グッドデザイン賞を受賞している。保存料や化学調味料を使わない天然素材へのこだわりも、創業以来の姿勢として受け継がれている。
小田原の地で育まれた鈴廣かまぼこの歴史と製法をたどると、一つの問いが浮かび上がる。なぜ、これほどまでに「魚肉の弾力」にこだわり続けてきたのか。その答えは、単に「美味しいから」という感覚的なものだけでなく、この土地が持つ地理的・歴史的な条件と、それを最大限に活かそうとした人々の知恵と努力の結晶にある。相模湾の豊富な白身魚と箱根山系の清らかな水という自然の恵みが、魚肉の可能性を追求する土台を提供し、東海道の宿場町という立地が、その品質を保ちながら遠方へ届けるための「保存性」と「独自性」を求めさせた。 他地域の練り製品が、加工や味付けで多様な広がりを見せる中で、小田原のかまぼこは、魚肉本来の風味と、その「足」が持つ独特の食感という、一見するとシンプルな本質を追求し続けてきた。それは、素材の力を信じ、手間を惜しまない職人たちの頑ななまでの姿勢が、現代まで受け継がれていることの証左でもある。鈴廣が「魚肉たんぱく」の科学的な研究を進め、新たな商品開発や食育活動に取り組む姿は、伝統を守りながらも、かまぼこが持つ可能性を未来へと広げようとする、この地の静かな熱意を示している。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。