2026/6/5
高崎はなぜパスタの街になった?シャンゴと粉もん文化の系譜

高崎はなぜパスタの街として有名なのか?どんなパスタ?
キュリオす
群馬県産の小麦と根付いた粉もん文化を背景に、洋食店「シャンゴ」の創業が転換点となり「高崎パスタ」が誕生。ボリュームと独自性を追求した進化と、「キングオブパスタ」イベントによる街のブランド化の経緯を辿る。
高崎の街を歩くと、様々な飲食店が目につく。特に多いのはパスタを提供する店だ。かつては「音楽の街」とも呼ばれたこの地が、今や「パスタの街」として広く知られるようになったのは、一体なぜだろうか。単にイタリア料理店が多いというだけでなく、独自の進化を遂げた「高崎パスタ」というジャンルまで確立されている。その背景には、この土地が持つ歴史や風土、そして人々の気質が複雑に絡み合っているのだ。
高崎がパスタの街として花開いた背景には、まず群馬県が全国有数の小麦の産地であるという事実がある。群馬県は古くから稲作と並行して冬に麦を栽培する二毛作が盛んであり、水はけの良い土地と冬に吹き荒れる「上州空っ風」と呼ばれる乾いた風が、質の高い小麦の生育を助けてきた。 このため、地域には「おっきりこみ」や「うどん」、「焼きまんじゅう」といった小麦粉を使った「粉もの」文化が深く根付いていたのである。
日本におけるイタリア料理の歴史は、明治時代に遡る。1881年(明治14年)には新潟に日本初のイタリアンレストラン「イタリア軒」が誕生しているが、本格的に全国へと普及し始めるのは1970年代以降のことだった。 高崎でパスタ文化が本格的に芽吹き始めるのは、昭和40年代、具体的には1968年(昭和43年)に洋食店「シャンゴ」が創業したことが大きな転換点とされている。 「シャンゴ」は、日本初とされるスープスパゲッティや、とんかつをミートソースで覆った「シャンゴ風スパゲッティ」といった、当時としては革新的なメニューを生み出した。 この店で腕を磨いた料理人たちが独立し、次々と高崎市内にイタリアンレストランを開業していったことが、パスタ店の増加に拍車をかけたと言われている。 高崎はまた、古くから中山道と三国街道の分岐点であり、鉄道開通後は上越新幹線が通るなど、交通の要衝として栄えてきた歴史がある。 人や物の交流が活発な土地柄が、新しい食文化を受け入れ、広める土壌となった可能性も指摘できる。
高崎のパスタが持つ最大の特徴は、その「ボリューム」にある。一般的なパスタの一人前が100g程度であるのに対し、高崎パスタでは150gから200gを超える店も珍しくない。 この大盛り文化の背景には、「シャンゴ」の創業者である関崎省一郎の「おいしいものをたくさん食べてほしい」という思いがあったとされている。 戦中・戦後の食糧難を経験した世代の、食に対するおおらかで実直な価値観が反映されているのかもしれない。
そして、もう一つの特徴は、地元食材の積極的な活用と、それに裏打ちされた「独自性」だ。群馬県産の新鮮な野菜、上州豚、さらには地元の魚介類などがふんだんに使われる。 定番のトマトソースやクリームソースだけでなく、地域ならではの食材を活かした創作パスタが豊富に存在するのだ。例えば、「シャンゴ風スパゲッティ」のような、洋食の要素を取り入れたメニューは、高崎パスタの象徴とも言えるだろう。 また、近年では地元の小麦「きぬの波」を使ったブランドパスタも開発され、市内の製麺所で生パスタとして提供されるなど、地産地消の動きも活発化している。 このような地域固有の進化は、単にイタリア料理を模倣するのではなく、この土地の食文化としてパスタを再解釈し、昇華させてきた結果と言える。
高崎がパスタの街として発展してきた経緯は、他の地方都市が独自の食文化を形成してきた事例と比較することで、その特異性と普遍性がより明確になる。例えば、北海道札幌市はラーメン、福岡県福岡市は豚骨ラーメン、大阪府大阪市はお好み焼きやたこ焼きなど、特定の「粉もの」や手軽な外食が地域ブランドとして定着している都市は多い。これらの多くは、戦後の復興期における食糧事情や、経済成長に伴う外食産業の発展が背景にある点で共通している。
しかし、高崎のパスタ文化には、いくつかの点で異なる側面が見られる。まず、パスタという、うどんやラーメンに比べて比較的新しい西洋の「粉もの」が、伝統的な小麦文化の上に定着した点だ。群馬県は古くから小麦の産地であり、うどんなどの粉食文化があったが、その土壌にパスタが受け入れられたのは、高崎市民の「新しいもの好き」な気質が影響したという指摘もある。 また、特定の店が牽引役となり、その店で修行した料理人が独立して多数の店を築き、結果的に街全体でパスタ文化が花開いたという「シャンゴ」を中心とした発展モデルは、他の地域で特定の個人や店が果たした役割を想起させる。例えば、札幌ラーメンの「味の三平」や、博多ラーメンの「長浜屋台」などが、その後の業界に与えた影響と構造的に似た点がある。ただし、高崎の場合は、単一のメニューだけでなく、ボリューム感や多様な創作パスタという「高崎パスタ」という独自のスタイルを確立した点が特徴的である。
さらに、高崎市が「キングオブパスタ」というイベントを立ち上げ、行政や地域住民を巻き込みながら、積極的にパスタを街のブランドとして育ててきた点も注目される。 これは、地域資源を活かした町おこしの成功例として、他の地域が参考にしうる「高崎モデル」と捉えることも可能だろう。単なる自然発生的な食文化の広がりだけでなく、地域が一体となってその価値を再認識し、発信していく能動的な姿勢が、高崎のパスタ文化をより強固なものにしたと言える。
現在の高崎は、まさに「パスタの街」としての地位を確固たるものにしている。市内のパスタ専門店は150軒を超えるとも言われ、人口あたりのイタリア料理店数は全国でもトップクラスを誇る。 市内には「シャンゴ」のような老舗から、新しい感性を取り入れた店舗までが軒を連ね、それぞれの店が工夫を凝らしたパスタを提供している。
その中心にあるのが、2009年(平成21年)から毎年開催されている「キングオブパスタ」というイベントだ。 このイベントは、高崎市内のパスタ店が自慢の創作パスタを競い合い、来場者の投票によって「高崎パスタキング」を決定するというもの。 毎年1万人を超える来場者を集める一大イベントへと成長し、高崎のパスタ文化を全国に発信する重要な役割を担っている。 イベントでは、地元食材をふんだんに使ったユニークなパスタが多数登場し、例えば「上州牛ウシボナーラ」や「味噌ボナーラ」、「ネギシャブパスタ」といった、高崎ならではの創作性が光るメニューが注目を集める。 このイベントは、単にパスタの味を競うだけでなく、高崎を中心とした地域の小麦文化や豊かな農作物を再認識し、食文化の更なる発展を図ることを目的としている。 また、イベントを通じて、高崎産の小麦を使ったブランドパスタ「高崎パスタ」の認知度向上にも貢献している。
高崎のパスタ文化は、単なる一過性のブームではなく、この土地の歴史と深く結びついた、ある種の必然性を持って形成されてきたと言える。小麦の生産が盛んであったという土壌、交通の要衝として人や文化が行き交ったこと、そして新しいものを受け入れる気質が、西洋の「粉もの」であるパスタを、この地で独自の「高崎パスタ」として根付かせた。
特に注目すべきは、大盛りという特徴が、戦後の食糧難を経験した世代の「たくさん食べてほしい」という願いに端を発している点だ。 これは、単なる量的な満足を超え、食に対するある種の敬意や、豊かさへの希求が形になったものと解釈できる。そして、地元の食材を積極的に取り入れ、既成概念にとらわれない創作パスタを生み出す力は、伝統的な粉もの文化が培ってきた柔軟性と探求心の表れではないか。高崎のパスタは、過去の記憶を宿しながらも、常に変化し、進化を続ける街の食の風景そのものなのだ。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。