2026/6/8
能登國二宮 天日陰比咩神社、石動山との関係と雨乞いの信仰

能登國二宮 天日陰比咩神社について詳しく知りたい。
キュリオす
能登國二宮 天日陰比咩神社は、崇神天皇の御代に創建されたと伝わる古社。石動山との関係や、雨乞い・酒造りの神としての側面、そして一宮・氣多大社との違いを辿る。
天日陰比咩神社の創建は古く、社伝によれば第十代崇神天皇の御代にまで遡るとされる。二千余年の歴史を持つ延喜式内社であり、古くからこの地の信仰の中心であったことが窺えるだろう。 しかし、その始まりは現在の姿とは少し異なっていたようだ。かつてこの神社の境内には、天日陰比咩神社と伊須流岐比古神社という二つの宮が鎮座していた。この二社の存在が、集落名の「二宮」の由来となったと伝えられている。 決定的な転換点の一つは、養老年間(718年~724年)に訪れた。石動山が泰澄大師によって開山されるにあたり、それまで二宮の境内にあった伊須流岐比古神社の御分霊が、現在の石動山山頂へ勧請されたのだ。これにより、本来は石動山山頂の伊須流岐比古神社が能登の二宮であったが、後に天日陰比咩神社がその地位を称するようになったという説もある。 そして鎌倉時代の建長四年(1252年)四月、天日陰比咩神社は能登國一宮である氣多大社に次ぐ名社として、正式に能登國二宮に指定された。文徳天皇から後円融天皇に至るまで、九度にわたって神位を授けられた記録も残されており、その格式の高さがうかがえる。
能登國二宮という社格が天日陰比咩神社にもたらされた背景には、いくつかの要因が絡み合っている。まず、主祭神である天日陰比咩大神の存在が大きい。その名にある「日陰」は、太陽の恵みだけでなく、それを覆い隠す雨とも関連付けられ、神社の後方にそびえる天日加氣山(あめひかげやま)は、羽咋・鹿島両郡市の雨乞いの地として信仰されてきた。この地名にも「あめ」の響きが残ることから、古くから水や雨を司る神としての性格が強かったことが想像できる。 また、相殿には屋船久久能智命(やふねくくのちのみこと)が祀られ、草木や建造物の守護神としての側面も持つ。さらに、酒造りの祖神とされる大三輪神も祀られており、境内にある「みくりや」では古くからどぶろくが醸造されてきた。中能登町が「どぶろく特区」に認定されているのは、この神社の存在と無関係ではないだろう。これらの多様な神格は、能登の農耕や生活に密着した信仰が、この神社に集約されていった過程を示している。 社殿後山の中腹には、第十代崇神天皇の御廟跡、あるいは皇子印色之入日子命(いにしきのいりひこのみこと)の御陵墓跡と伝えられる「中御前社」が存在する。これは、古代大和朝廷と能登の地との深いつながりを示すものであり、皇室との由緒が、神社の権威を高める一因となったことは確かだろう。
能登國二宮である天日陰比咩神社の存在は、能登國一宮である氣多大社と比較することで、その独自性がより鮮明になる。石川県羽咋市に鎮座する氣多大社は、2100年以上の歴史を持つ北陸屈指の古社であり、主祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)である。大己貴命は国土を開き、人々の縁を結ぶ神として知られ、氣多大社は縁結びの神としても全国的に多くの崇敬を集めてきた。その広大な社叢「入らずの森」は国の天然記念物にも指定されている。 一方、天日陰比咩神社は、より地域に密着した農業や水、そして酒造りの信仰を背景に持つ。氣多大社が海に面した能登半島の付け根に位置し、国土開拓や交易といった広範な役割を担ったのに対し、天日陰比咩神社は石動山という霊山を背負い、雨乞いや五穀豊穣、さらには特定の氏族との結びつきを重視してきた。 全国的に見ても、一宮はその国の中心的な役割を担い、広域の信仰を集める傾向があるが、二宮はしばしば、一宮とは異なる、あるいはより古い時代の信仰形態を残している場合がある。能登の場合、氣多大社が「縁結び」や「国家鎮護」といった普遍的なテーマを掲げる一方で、天日陰比咩神社は「雨乞い」「どぶろく」といった、より具体的な生活に根ざした信仰と深く結びついているのだ。この対比は、古代から中世にかけての能登の地に、多様な信仰が並存し、それぞれが異なる形で地域社会を支えてきた実情を示している。
現在の天日陰比咩神社は、能登の豊かな自然の中に静かに佇んでいる。境内には樹齢600年を超える「龍髭楓(りゅうしゅかえで)」と呼ばれるカエデの大木があり、その姿は龍が髭をなびかせているようだと伝えられている。また、阿吽ともに逆立ちした珍しい「逆立ち狛犬」も参拝者の目を引くだろう。 地域の生活に深く根差した伝統は今も受け継がれている。辛酉(かのととり)の年、すなわち61年目ごとに行われる例大祭「羽咋鹿島両郡市諸難退散祈願祭」は、近郷からの山車や獅子舞の奉納で賑わい、老若男女が集まる盛儀である。毎年12月には、境内の「みくりや」で醸造されたどぶろくを神に供え、参拝者に振る舞う「どぶろく祭り」も開催され、地域の活性化にも貢献している。 しかし、2024年1月1日に発生した能登半島地震は、この地にも大きな影響を与えた。初詣に訪れた多くの参拝客が境内にいた最中に激しい揺れが襲い、混乱が生じたという。直接的な被害の詳細は報じられていないが、地域全体が復興へと向かう中で、天日陰比咩神社もまた、その歴史と伝統を守りながら、新たな時代を歩むことになるだろう。地域の中核を担う神社として、その役割は今後も変わらない。
能登國二宮 天日陰比咩神社を巡る旅は、「二宮」という社格が持つ多層的な意味を教えてくれる。単なる序列の二番目ではなく、そこには一宮とは異なる、あるいは一宮に先行する、その土地固有の深い信仰と歴史が刻まれているのだ。崇神天皇の御代に遡る創始の伝承、石動山との関係性の変遷、そして建長四年の正式な指定に至るまでの道のりは、能登という地の精神的な骨格を形成してきた。 雨乞いや酒造りといった生活に根差した信仰、そして皇室との縁。これらの要素が複雑に絡み合い、天日陰比咩神社を能登の地で揺るぎない存在たらしめている。それは、能登の歴史が、中央の権威と地域の土着信仰、そして自然環境との絶え間ない対話の中で紡がれてきたことを示しているだろう。この神社は、ただ古いだけでなく、能登の多様な側面を静かに語り続けている。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。