2026年5月13日
なぜ枕崎の町は、燻香と活気に満ちているのか
鹿児島県薩摩半島の南端に位置する枕崎市は、全国の鰹節生産量の約半分を占める一大産地である。この町に点在する鰹節製造所から漂う独特の燻香と、予想外の活気の背景には、地理的条件、歴史的な変遷、そして熟練の職人たちの存在が深く関わっている。本稿では、その理由を探る。
燻された港の空気から
枕崎の港に立つと、空気そのものが燻されているように感じる。鰹節を作る町、と知識として知っているのと、路地を曲がるたびに薪の匂いがふわりと届くのとでは、やはり違うものだ。市街地には大小さまざまな鰹節製造所が軒を連ね、早朝には漁港に活気ある声が響く。地方都市としては珍しいほどの賑わいは、鰹節産業がこの土地に深く根ざしていることを物語る。なぜこの町に鰹節文化が根付いたのか。その答えは黒潮と山、そして幾つかの偶然にあった。
黒潮と薩摩の道が交わるまで
鰹節の起源は古く、日本最古の歴史書『古事記』には「堅魚(かたうお)」として登場する。奈良時代の『大宝律令』や平安時代の『延喜式』にも「堅魚」や「煮堅魚」の記述があり、素干しや煮熟加工された保存食として利用されていたことがうかがえる。しかし、現在のような燻製乾燥(焙乾法)を用いた製法が確立されたのは江戸時代に入ってからとされている。
枕崎における本格的な鰹節製造の始まりは、宝永年間(1704〜1710年)に紀州(現在の和歌山県)の森弥兵衛がその製法を伝えたことに端を発すると言われている。 当時、枕崎はすでにカツオ漁が盛んな地域であり、領主であった喜入久亮の連歌にもカツオに関連する歌が詠まれていたという記録もある。 200年前の明和4年(1767年)の「鹿籠名数記」には、枕崎浦の漁業者たちが盛んにカツオを釣り、節を調えていたことが記されている。
明治時代に入ると、カツオ漁場の拡大と漁獲量の増加に伴い、船上でカツオを処理する「沖イデ」や、漁場近くの島で加工する「島イデ」といった処理法が導入された。 大正14年(1925年)には漁業と鰹節製造が専業化され、品質は飛躍的に向上した。 加えて、坊津出身の医師であり実業家であった原耕が、私財を投じて造船所を建設し発動機付き大型漁船を建造したことにより、昭和初期には遠洋漁業が可能となり、枕崎のカツオ漁業の発展の礎が築かれた。 こうした歴史的経緯を経て、枕崎は全国的に「枕崎節」の名声を確立し、現在の隆盛へと繋がっているのである。
三つの偶然が重なった
枕崎が鰹節の一大産地となった背景には、複数の要因が絡み合っている。一つは、カツオの回遊ルートに位置するという地理的条件だ。カツオは春から秋にかけて黒潮に乗って日本近海を北上する回遊魚であり、薩摩半島の南端に位置する枕崎は、この黒潮の恩恵を直接受けることができる。良質なカツオが安定して水揚げされる港として、古くから恵まれた漁場であった。
二つ目は、鰹節の製造に適した気候と環境である。鰹節は煮熟、焙乾(燻製乾燥)、そしてカビ付けと天日干しを繰り返すことで完成する。特に本枯節においては、カビ付けと熟成の工程が重要となる。枕崎は年間平均気温が18度と温暖であり、東シナ海に面しているため、鰹節の乾燥やカビの培養に適した湿潤な気候条件を持つ。 また、焙乾に用いる薪となる豊富な木材も周辺地域で産出されたことも有利に働いた。 これらの自然条件が、手間暇をかけて良質な鰹節を生み出す土壌となった。
三つ目は、薩摩藩による産業保護と流通経路の確立である。江戸時代には、鰹節は薩摩藩の重要な収入源として保護され、その品質向上が奨励された。 『諸国鰹節番附表』(1822年)には、枕崎(鹿籠)節が大関や前頭に名を連ねるなど、江戸後期にはすでに質の高い鰹節を生産していたことがうかがえる。 加えて、遠洋漁業への転換を可能にした原耕の功績 や、漁業と製造の専業化 が、大量かつ高品質な鰹節生産を可能にし、全国的な流通を支えた。これらの地理的、気候的、そして歴史的・人的な要因が複合的に作用し、枕崎を日本一の鰹節産地へと押し上げたのである。
削り節ではなく本枯節として
日本における鰹節の三大産地としては、鹿児島県の枕崎市と指宿市(山川)、そして静岡県の焼津市が挙げられる。これら三地域で日本の鰹節生産量の約98%を占めるという。 しかし、その中でも枕崎は特異な位置を占めている。令和5年(2023年)の統計によれば、枕崎市は約1.4万トンもの鰹節を生産し、全国の約5割を占める日本最大の産地である。
他の産地との比較において、枕崎の特徴は「本枯節(ほんかれぶし)」の生産に強く見られる。カツオを煮熟、焙乾した「荒節」に対し、本枯節はさらにカビ付けと天日干しを数ヶ月間、時には1年かけて繰り返すことで、独特の芳香と深い旨味を引き出す最高級品である。 荒節は削り節として広く流通するが、本枯節は料亭などで使われるほか、贈答品としても重宝される。 枕崎で生産される鰹節のうち、本枯節はわずか3%程度と希少価値が高い。 この限られた生産量にもかかわらず、枕崎の本枯節は「本場の本物」として認定され、その品質と製法へのこだわりが証明されている。
他産地では、手火山(てびやま)式と呼ばれる伝統的な燻製工程を取り入れる工場もある指宿市山川 や、さば節も含めた多様な節類を生産する焼津市 など、それぞれに特徴がある。しかし、枕崎が「本枯節」という、時間と手間を惜しまない伝統的製法を堅持し、その品質を極めようとする姿勢は、単なる生産量の多寡を超えた、この土地ならではの産業文化を形成していると言える。漁獲されたカツオの質や製法が産地によって大きく異なるわけではないという見方もある中で、 枕崎が本枯節に注ぐ労力と熟練の職人技は、そのブランドを確固たるものにしている。
いま、40軒以上の製造所が並ぶ町で
現在の枕崎市には、令和7年2月28日現在で43の節類製造工場が稼働している。 規模は家内工場的なものから大手企業まで多様だが、全体として年間約16,500トンの節類を生産し、全国の鰹節生産量の約5割を占める。 市内を歩けば、鰹節を燻す煙が立ち上り、その香りが漂う風景は、まさに「鰹の町」としての日常である。
しかし、この伝統産業も現代的な課題に直面している。高齢化や後継者不足は多くの地方産業に共通する問題であり、熟練の職人技を次世代へどう継承していくかは重要な論点である。 一方で、和食のユネスコ無形文化遺産登録などを背景に、鰹節、特に「だし」文化への注目は国内外で高まっている。 枕崎の企業や組合は、この機を捉え、積極的な取り組みを進めている。例えば、2016年には枕崎の鰹節メーカーや水産加工組合が出資し、フランスのブルターニュ地方に工場を建設した。 これは、EUの衛生基準やベンゾピレン含有量規制により日本からの輸出が困難であった「本物の鰹節」を、現地生産によって世界に広める試みである。
また、地域活性化のため、鰹節製造業と遠洋カツオ漁業、農業、焼酎製造業、観光業といった「食」を共通項とする産業間の連携、いわゆる「6次産業化」も進められている。 観光客向けのだし教室や、ご当地グルメ「枕崎鰹船人めし」の開発 など、鰹節を核とした多様な取り組みが、町の活気を生み出している。鰹節は単なる食材ではなく、地域の文化、歴史、そして未来を繋ぐ存在として、その姿を変えつつあるのだ。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。