2026/6/5
鴻巣の名物いがまんじゅう、赤飯と饅頭の意外な組み合わせ

鴻巣の名物のいがまんじゅうについて詳しく知りたい。
キュリオす
埼玉県の鴻巣市などで親しまれる「いがまんじゅう」。赤飯で包まれた饅頭という独特の形状は、農村の祝い事や食文化と深く結びついている。甘みと塩気の調和が魅力の郷土菓子について、その由来と歴史を辿る。
埼玉県の北東部、とりわけ鴻巣市や加須市、羽生市、行田市といった穀倉地帯を歩くと、和菓子店の軒先や祭りの露店で、一際目を引く菓子に出会うことがある。それが「いがまんじゅう」だ。一見すると、おにぎりのように赤飯がぎっしりと握られているが、よく見ればその赤飯の下には、あんこを包んだ饅頭が隠れている。甘い饅頭と塩気のある赤飯という、和菓子としては異色の組み合わせは、初めて見る者に奇妙な印象を与えるかもしれない。
この地のいがまんじゅうは、なぜこのような独特の姿をしているのか。そして、なぜこの地域で、これほどまでに親しまれてきたのだろうか。その疑問は、単なる菓子の形状を超えて、この土地の歴史や人々の暮らし、食文化の背景へと繋がっているように思える。
いがまんじゅうの歴史は、埼玉県北東部の豊かな穀倉地帯における農村文化と深く結びついている。この地域は古くから小麦の栽培が盛んで、「朝まんじゅうに昼うどん」という言葉が生まれるほど、小麦粉を使った料理が日常的に食されてきた土地だという。
いがまんじゅうがいつ頃から作られるようになったかについては諸説あるが、鴻巣市(旧川里町)が発祥の地として有力視されている。 もともとは商業的な菓子ではなく、田植え後の農作業の慰労、夏祭り、稲刈りの時期、あるいは結婚などの祝い事の際に、各家庭で手作りされ、親戚や知人に振る舞われる贈答用の菓子であった。
その名の由来は、赤飯で包まれた饅頭の見た目が、栗のイガに似ていることからきているとされる。 赤飯の粒が饅頭の表面にまぶされ、その粒感や色合いが、栗の殻を連想させたのだろう。 この命名は、行事食としての視覚的な楽しさも意識されていたのかもしれない。
家庭で手作りされてきたいがまんじゅうが、和菓子店で販売されるようになったのは、比較的後のことだ。 終戦後まもなく創業した鴻巣市の田嶋製菓のように、地元の和菓子店がその製法を改良し、地域の「持産品」として定着させていった経緯がある。 こうして、ハレの日のごちそうとしてだけでなく、日常的に親しまれる郷土の味として、その存在感を強めていったと考えられる。
いがまんじゅうが饅頭と赤飯という組み合わせになった背景には、いくつかの要因が指摘されている。まず一つは、もち米が貴重であった時代の工夫だ。昔はもち米が高価であったため、そのまま赤飯として大量に供するよりも、あんこ入りの饅頭にまぶすことで、見た目のボリューム感を出し、より豪華な印象を与えようとしたという説がある。 貴重な食材を最大限に生かすための知恵が、この独特な形を生んだという見方だ。
もう一つは、農家の女性たちの合理的な発想から生まれたという説も存在する。 祝い事などで赤飯と饅頭の両方を用意する際、手間を省くために一緒にせいろで蒸したところ、偶然にも赤飯が饅頭にくっついてしまったのが始まりだという。 この偶発的な出来事が、いがまんじゅうの原型となった可能性も指摘されている。実際に、現代でもいがまんじゅうの製法には、蒸し上がった饅頭に温かい赤飯をまぶしつけるという工程が見られる。
いがまんじゅうの魅力は、この甘じょっぱい味わいと、もちもちとした食感のコントラストにある。 ふっくらとした小麦粉の皮に包まれた甘さ控えめのあんこ、そしてそれを覆う赤飯のほんのりとした塩気と小豆の風味が、口の中で絶妙な調和を生み出すのだ。 この意外な組み合わせが一度食べたらやみつきになる、と評される理由だろう。
製法を見ると、まず小麦粉と砂糖、卵などを混ぜて生地を作り、あんこを包んで饅頭を作る。これを蒸し器で蒸し上げ、温かいうちに、別に炊いた赤飯を丁寧にまぶしつける。 赤飯は、ささげを煮た煮汁でもち米を浸し、蒸し上げるのが一般的だ。 家庭や店によって、赤飯を全体にまぶすもの、饅頭の上にのせるだけのもの、さらにはごまを振りかけるものなど、形には多様性が見られる。
「いがまんじゅう」という名は、埼玉県北東部のそれだけではない。日本各地には、同じ「いがまんじゅう」や「いが餅」と称される菓子が複数存在する。しかし、その見た目や製法は、埼玉のものとは大きく異なる場合が多い。
例えば、愛知県西三河地域にも「いがまんじゅう」がある。 こちらは、米粉を練った皮であんこを包み、表面にピンク、黄色、緑に着色したもち米を数粒つけたもので、華やかな彩りが特徴だ。 桃の節句の行事食として親しまれており、ピンクは桃の花、黄色は菜の花、緑は新芽を意味するとされる。 埼玉のいがまんじゅうが赤飯で全体を覆うのに対し、愛知のものは餅米を飾りのように使う点が対照的である。愛知の「いがまんじゅう」の由来には、栗のイガに似るという説の他に、徳川家康の「伊賀越え」や、蒸す時の「飯の香(いいのか)」から来ているという説も存在する。
また、滋賀県蒲生郡日野町にもカラフルなもち米をまぶした「いがまんじゅう」が伝わっているという。 山形県の蔵王温泉や広島県呉市にも「いがまんじゅう」や「いが餅」と呼ばれる菓子があるが、これらも餡入りの餅に黄色い蒸し米を少量飾ったもので、埼玉の赤飯で覆われた姿とは趣を異にする。
これらの比較から見えてくるのは、「いが」という言葉が「栗のイガ」や「稲の花(稲花)」といった、粒状のものが表面に付着した様子を指す総称として、各地で用いられてきた可能性だ。埼玉のいがまんじゅうが「赤飯」という具体的な穀物で全体を包み込むことで、より実用的な意味合いとボリューム感を追求したのに対し、他の地域のいがまんじゅうは、着色したもち米で彩りを添え、ハレの日の華やかさを演出する傾向が強い。同じ「いがまんじゅう」という名称を持ちながら、その土地の気候、主要作物、行事の性格、そして人々の価値観によって、これほどまでに異なる姿に発展したことは、日本の食文化の多様性を示す一例と言えるだろう。
現代において、埼玉県のいがまんじゅうは、かつての家庭で作られる祝いの菓子という枠を超え、地域の和菓子店やスーパーマーケットで日常的に販売されている。 鴻巣市には明治38年(1905年)創業の「木村屋製菓舗」のような老舗があり、いがまんじゅうを製造・販売している。 また、鴻巣市川里地域に位置する「田嶋製菓」のように、その品質と伝統を守りながら、メディアを通じて全国にその名を知られる店もある。
いがまんじゅうは、今もなお、春、夏、秋の祭りや祝い事の縁起物として、地域の人々に親しまれている。 地元の学校給食のメニューに取り入れられることもあり、子どもたちにとっても身近な郷土の味として根付いているようだ。
一方で、その見た目のユニークさから、地域外の人にとっては「赤飯のおにぎりかと思ったら甘い饅頭だった」という驚きを伴う発見の対象でもある。 こうしたギャップが、いがまんじゅうへの興味を一層引き立てている側面もあるだろう。各店舗や家庭によって、あんこの甘さや赤飯の塩加減、さらには赤飯のまぶし方にも個性が見られ、食べ比べる楽しみも提供している。
鴻巣のいがまんじゅうが、なぜ饅頭と赤飯を組み合わせた独自の姿で残されてきたのか。それは単に「手間を省くため」や「見た目のボリュームを出すため」という合理的な理由だけでは説明しきれない、この土地ならではの時間の堆積があるからだろう。
もち米が貴重であった時代、甘い饅頭と、ハレの日の象徴である赤飯を一体とすることで、最大限の喜びと満足を表現しようとした人々の心持ちが見えてくる。それは、限られた資源の中で工夫を凝らし、家族や隣人との繋がりを大切にしてきた農村社会の知恵の結晶とも言える。甘いものと塩辛いものの組み合わせは、現代の感覚からすると意外に思えるかもしれないが、それは飢えの時代を経験した人々にとって、両方の味覚を満たす贅沢な一品だったのかもしれない。
全国各地に存在する「いがまんじゅう」が、それぞれ異なる姿を持つ中で、鴻巣のいがまんじゅうが赤飯で完全に饅頭を覆う形を選んだのは、この地の農業の豊かさ、そして食に対する実直な姿勢が反映された結果ではないか。それは、見た目の華やかさよりも、確かな食べ応えと、食することへの感謝を優先した、この土地の記憶を今に伝える菓子だと言える。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。