2026/6/7
薄氷本舗 五郎丸屋の薄氷、儚い口どけの秘密

薄氷本舗 五郎丸屋について詳しく知りたい。薄氷、本当に美しいお菓子だと思う。
キュリオす
富山県小矢部市の薄氷本舗 五郎丸屋が作る銘菓「薄氷」は、早春の薄氷の情景を映した干菓子。極薄の餅米煎餅に和三盆糖と卵白を塗り、独特の口どけを生み出す製法と、他の干菓子との違いについて紹介。
北陸の冬が終わりを告げ、まだ肌寒い早春の朝、田んぼや水たまりには薄く氷が張ることがある。陽光を浴びてきらめき、しかし指先で触れればあっけなく砕ける、その儚い姿に心を奪われた経験は、多くの人が持つだろう。富山県小矢部市石動(いするぎ)の「薄氷本舗 五郎丸屋」が二百七十余年にわたり作り続ける銘菓「薄氷(うすごおり)」は、まさにその情景を菓子に映し取ったものだ。口に含むと、はっとするような軽やかさで消え去り、後に和三盆糖の柔らかな甘みが静かに残る。この一瞬の口どけは、いかにして生まれるのだろうか。
五郎丸屋の創業は宝暦2年(1752年)に遡る。江戸時代、加賀藩と越中高岡を結ぶ北陸街道の宿場町として栄えた石動の地で、五郎丸屋は菓子作りを始めた。銘菓「薄氷」は、5代目の五郎丸屋八左衛門によって創製されたと伝わる。彼が、如月(きさらぎ)や弥生(やよい)の早朝、田んぼに張る薄氷の美しさに魅せられ、その風景を干菓子に写し取ろうとしたのが始まりだ。
この菓子は、その風雅さと繊細な味わいから、すぐに評判を呼ぶ。藩政時代には加賀藩主の前田公により幕府に献上され、明治以降は宮内省御用達となるなど、高い評価を得てきた歴史を持つ。茶道の世界でも珍重され、茶席の干菓子としても用いられてきたという。石動という交通の要衝で生まれ、時の権力者にも認められた背景が、薄氷の地位を確固たるものにしたといえるだろう。
薄氷の最大の特徴である「口に入れた瞬間にスッと溶ける」食感は、厳選された素材と、代々受け継がれてきた独自の製法によって生み出される。主となる材料は、富山県産の餅米「新大正米」を原料とする極薄の煎餅と、阿波特産の高級和三盆糖、そして卵白だ。
まず、新大正米から作られる真煎餅は、文字通り極限まで薄く焼き上げられる。この薄さが、口どけの起点となる。次に、職人が和三盆糖と卵白を合わせた糖蜜を、その薄い煎餅一枚一枚に刷毛で丁寧に塗布していく。この刷毛塗りの工程は、湿度や気温によって糖蜜の濃度や塗り加減を微妙に調整する必要があり、熟練の技が求められる。塗られた糖蜜は、熱処理によって結晶化し、薄い煎餅の表面を覆う。最終的に、薄氷が割れたような不規則な矩形や梯形に切り分けられて完成する。この一連の工程を経ることで、薄氷は、噛むとパリッとした歯触りの後に、和三盆糖の奥深く上品な甘さとともに、まるで氷が溶けるように儚く消え去る独特の食感となるのだ。
口に含むと溶けて消える、あるいは繊細な歯触りを持つ干菓子は、薄氷だけではない。全国には「琥珀糖」や「寒氷(かんごおり)」など、似たような食感や見た目を持つ菓子が存在する。例えば琥珀糖は、寒天と砂糖を煮詰めて固め、乾燥させることで外側を結晶化させた菓子で、外はシャリッと、中はゼリーのような食感が特徴だ。寒氷もまた、寒天と砂糖を主原料とする半生菓子で、澄んだ甘さと口どけの良さが魅力である。
しかし、薄氷はこれらの菓子とは異なる系譜に位置する。琥珀糖や寒氷が寒天を主軸とするのに対し、薄氷は富山県産の餅米から作られた薄い煎餅を土台にしている点が決定的に違う。この米の煎餅が、和三盆糖の甘さを単調にせず、より複雑な風味と、噛んだ瞬間の微かな抵抗感を生んでいる。また、不規則に切り取られた形状は、自然の薄氷をそのまま写し取ったものであり、意図的に作られた幾何学模様とは異なる趣がある。他の干菓子が持つ「儚さ」が、主に素材の性質や製法に由来するのに対し、薄氷の儚さは、その「見立て」の美意識と、米という土台の上に築かれた技術の結晶といえるだろう。
薄氷本舗 五郎丸屋は、16代目の渡邉克明氏がその伝統を受け継いでいる。店舗は、茶室や日本庭園を備え、訪れる者に落ち着いた雰囲気を提供している。単に伝統を守るだけでなく、現代の感覚に合わせた新しい菓子作りにも意欲的に取り組んでいるのが五郎丸屋の現在地だ。
その代表例が、薄氷をベースに開発された「T五(ティーゴ)」である。これは、国産の天然素材を用いて、五つの色合い(TONE)と味わい(TASTE)を表現した干菓子で、観光庁主催の「世界にも通用する究極のお土産」に選定されるなど、国内外で評価を得ている。また、ガラス造形作家とのコラボレーションから生まれた「きせつのさがしもの」のような、より芸術性の高い菓子も手掛ける。これらの新しい試みは、260年以上の歴史を持つ老舗が、時代の変化に対応しながら、伝統を現代に繋ぎ、菓子の可能性を広げようとする姿勢を示している。伝統的な薄氷の製法と、現代的なデザインや素材の組み合わせによって、五郎丸屋は新たな顧客層を獲得し続けているのだ。
富山県小矢部市石動の薄氷本舗 五郎丸屋の「薄氷」は、単なる菓子ではない。北陸の厳しい冬が終わり、春の兆しが見え始める瞬間の自然の風景を、職人の手によって菓子という形に昇華させたものだ。口にすれば消え去るその儚さは、まさに春先の薄氷そのものであり、同時に、その一瞬の体験の中に、この土地の風土と、それを慈しむ人々の感性が凝縮されている。
米を薄く焼き、和三盆糖を刷毛で塗るという手間のかかる工程は、効率化が優先される現代においては非合理的に映るかもしれない。しかし、その手作業の積み重ねこそが、他にはない独特の口どけと風味を生み出している。薄氷を味わうことは、富山の自然、歴史、そして菓子職人の技と心に触れることである。それは、目に見える風景だけでなく、季節の移ろいや、そこに暮らす人々の営みまでをも包み込むような、静かな発見を促すものだ。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。