2026/6/8
山中温泉、鶴仙渓の地形と山中漆器の深い繋がり

山中温泉のあるあたりについて詳しく教えて欲しい。
キュリオす
山中温泉は、深い渓谷の地形と、周辺の豊富な木材資源が育んだ山中漆器との結びつきが特徴的な温泉地である。1300年の歴史を持つ湯の発見から、芭蕉の詠歌、そして現代の景観整備に至るまで、地質と文化の重なりがこの地の魅力を形作っている。
加賀の山懐に抱かれた山中温泉を訪れると、最初に目を引くのは、温泉街を貫くように流れる鶴仙渓の深く刻まれたV字谷だろう。川床には奇岩が連なり、両岸は鬱蒼とした木々に覆われている。この自然の造形が、温泉地の景観を決定づけていることは明らかだ。多くの温泉地が山の斜面に開けるか、平野部に湧出するのに対し、山中温泉は深い渓谷の地形と密接に結びついている。なぜこの地に湯が湧き、そしてなぜ、これほどまでに渓谷の景観が重要視されてきたのか。その問いは、土地の地質と歴史、そして人々の営みの重なりから見えてくる。
山中温泉の開湯は、伝承によれば今から約1300年前、奈良時代に遡る。行基が発見したという説もあるが、より具体的に語られるのは、平安時代末期の武将、菊池武時の末裔とされる菊池武夫が、傷ついた白鷺が湯で傷を癒やしているのを発見したという話だ。この逸話は、多くの温泉地に見られる「動物が湯を発見する」という類型的な物語だが、山中温泉においては、その後の歴史において湯が特定の階層に利用されてきた背景を暗示している。鎌倉時代にはすでに湯治場として知られ、江戸時代には加賀藩の支配下で「加賀三湯」の一つとして発展した。特に重要な転換点となったのは、元禄2年(1689年)に松尾芭蕉が『奥の細道』の旅で立ち寄り、「山中や 菊は手折らじ 湯の匂ひ」と詠んだことだろう。芭蕉はここを「扶桑三名湯」の一つと称賛し、その評価は江戸の知識人層にまで広まった。この時期、温泉は単なる療養の場から、文人墨客が集う文化的な交流の場へと性格を変化させていく。加賀藩の庇護のもと、湯治客をもてなすための施設が整えられ、湯治文化と共に、後の山中漆器へと繋がる木工技術も育まれていったと考えられている。
山中温泉の湯は、主に硫酸塩泉であり、その源は鶴仙渓を形成する地質にある。この地域の基盤は、およそ1500万年前から1000万年前にかけての火山活動によって形成された凝灰岩や安山岩などの火山岩類が主体だ。これらの岩盤の亀裂に沿って地下水が深く浸透し、地熱によって温められて湧出する。鶴仙渓の急峻な地形は、手取川の支流である大聖寺川が、これらの硬い火山岩を深く侵食してできたものだ。温泉の湧出と渓谷の形成は、地質学的には密接な関係にあると言えるだろう。
しかし、山中温泉の特徴は、単に温泉が湧くことだけではない。この地が「木地の山中」として知られる山中漆器の産地であることと、温泉地の発展が不可分に結びついている点にこそ、その独自性がある。山中温泉の周辺は、古くから豊富な木材資源に恵まれていた。特にケヤキやトチ、ミズメザクラといった木々は、椀や盆の木地として適しており、湯治客の滞在中に土産物として木地を挽く職人が集まったことが、漆器産業の礎となった。轆轤(ろくろ)を用いた挽物技術は、木地の木目や表情を活かす「縦木挽き」という独特の技法を生み出し、他の産地との差別化を図った。温泉という人の集まる場所が、周辺の森林資源と結びつき、独自の工芸文化を育む土壌となったのだ。
日本の温泉地には、それぞれ独自の発展の経緯がある。例えば、同じ加賀三湯の一つである片山津温泉は柴山潟という湖畔に開けた温泉地であり、湖の風景と湯が一体となった景観が特徴だ。また、道後温泉のように都市部に湧出し、古くから湯治と社交の場として発展したところもある。これらと比較すると、山中温泉は「渓谷」と「木工」という二つの要素が際立っている点が特徴的だ。
全国的に見ても、温泉地が工芸品を育んだ例は少なくない。例えば、箱根温泉は寄木細工、鳴子温泉はこけしといったように、湯治客向けの土産物として周辺の木材資源を活用した工芸が発展してきた経緯がある。しかし、山中漆器の場合、単なる土産物としての域を超え、茶道具や日用品としての高い品質と技術を追求してきた点が特筆される。それは、加賀藩の庇護や、京や江戸の文化との交流の中で、職人たちが技術を磨き、独自の美意識を確立していったからだろう。多くの温泉地の工芸が、観光客向けの色彩を強める中で、山中漆器は今日まで、その技術と美意識を継承し、生活文化の中に根ざした品格を保ち続けている点で、他の温泉地工芸とは一線を画すと言える。
現代の山中温泉は、その深い渓谷美を活かした観光地としての魅力を強く打ち出している。鶴仙渓沿いには遊歩道が整備され、趣の異なる三つの橋(こおろぎ橋、あやとりはし、黒谷橋)が架かる。特に建築家の隈研吾が設計した「あやとりはし」は、その独創的なS字カーブが渓谷の風景に新たな表情を与えている。温泉街には、伝統的な旅館が立ち並ぶ一方で、若手の職人が営む漆器店やカフェなども増え、新たな活気を生み出している。
一方で、温泉地の持続可能性という課題も抱えている。団体旅行から個人旅行へのシフト、湯治客の高齢化、そして後継者不足といった問題は、全国の温泉地が直面するものだ。しかし、山中温泉では、伝統的な漆器技術を現代のライフスタイルに合わせた製品開発や、渓谷の自然を活かした体験プログラムの提供など、新たな試みが続けられている。温泉地の核である湯と、地域に根差した工芸、そして豊かな自然が、現代の観光客にどのような価値を提供できるのか、その問いへの模索が続いている。
山中温泉の風景は、単に温泉が湧く場所のそれではない。鶴仙渓の深く刻まれた地形は、この地の地質が持つ力強さを物語り、同時に、その渓谷の恵みである木々が、山中漆器という独自の文化を育んできたことを示唆している。芭蕉が訪れた時代から、湯は人々の心身を癒し、文化を育む場であった。そして、その文化は、周辺の自然環境と職人の手によって形作られてきたのだ。
現代において、山中温泉を歩くとき、私たちは単に湯に浸かるだけでなく、何世紀にもわたって湯と木、そして人の営みが積み重ねられてきた、深く刻まれた歴史の層に触れていることに気づかされる。それは、一見すると当たり前のように見える温泉地の姿の奥に、固有の地質、豊かな自然、そして脈々と受け継がれてきた技術と文化の確かな繋がりが存在することを示している。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。