2026年5月16日
南部盛岡のチャグチャグ馬コ、200年の歴史と馬への感謝
岩手県盛岡市で行われる「チャグチャグ馬コ」は、約200年以上続く伝統行事です。馬の守り神である蒼前神社への参拝を起源とし、華やかな装束と鈴の音で知られます。本記事では、その起源から現代の継承課題までを解説します。
鈴の音に誘われる初夏の光景
岩手県の初夏、新緑が眩しい田園風景の中に、遠くから「チャグチャグ」と賑やかな鈴の音が響いてくる。その音は次第に近づき、やがて色とりどりの華やかな装束をまとった馬の群れが姿を現す。それが、南部盛岡に200年以上続く伝統行事「チャグチャグ馬コ」である。約14キロメートルの長い道のりを、鈴の音を響かせながら行進するその姿は、単なる祭りの風景を超え、この土地で人と馬が築き上げてきた歴史そのものを体現しているように見える。一体なぜ、これほどまでに馬を飾り立て、長い道のりを練り歩くのか。その背景には、この地域の暮らしと信仰、そして馬への深い感謝の念が息づいているのだ。
南部馬と蒼前信仰の道筋
チャグチャグ馬コの起源は、岩手県が古くから「名馬の産地」として知られていたことに深く関係している。奈良時代には既に馬産地として名を馳せ、江戸時代には南部藩が馬の生育を主要産業とし、「南部馬」は軍馬として全国に供給されたという。馬は単なる家畜ではなく、農耕や運搬、そして時には戦の道具として、人々の生活に欠かせない存在だったのだ。
16世紀後半に馬耕の技術が導入されると、馬はさらに人々の暮らしに密着するようになる。人と馬が一つ屋根の下で暮らす「南部曲がり家」という独特の民家が生まれたのも、この愛馬精神の表れだと言えるだろう。 こうして培われた馬への感謝から、旧暦の端午の節句には、農作業で疲れた愛馬を癒やし、無病息災を祈るために馬の守り神である「蒼前神社」や「駒形神社」へ参拝する風習が生まれた。これが「お蒼前参り」であり、チャグチャグ馬コの原型となったのだ。
お蒼前参りが盛んになるにつれて、愛馬を着飾る文化が流行した。特に寛政の頃には、南部藩主の参勤交代の大名行列に従った「小荷駄装束」を身に着けた馬を曳いて参拝する者が現れ、それが人々の間で広まっていったという。 明治時代に入り一時衰退した時期もあったが、明治20年代には復活。日清・日露戦争の頃には軍馬の育成が盛んになり、チャグチャグ馬コも再び賑わいを見せた。当時は滝沢村だけで1000頭もの馬が参拝した記録も残っている。
現代の行進の形が確立されたのは、昭和初期の出来事が大きい。1930年、馬好きとして知られた秩父宮殿下が岩手県を訪れた際、鬼越蒼前神社参拝後に盛岡八幡宮の神前馬場で馬ぞろいを披露したところ、大変な好評を博した。これをきっかけに、翌年からも参拝後に盛岡八幡宮まで行進するのが恒例となったのだ。
700個の鈴が紡ぐ「チャグチャグ」の音
チャグチャグ馬コ行進の主役は、色鮮やかな装束で着飾った約60頭の農用馬である。 滝沢市の鬼越蒼前神社を出発し、盛岡市中心部の盛岡八幡宮までの約14キロメートルを、およそ4時間かけて練り歩く。 この行進の特徴は、何よりも馬が身につけた大小700個以上とも言われる鈴が奏でる「チャグチャグ」という音色にある。この鈴の音が、そのまま祭りの名称の由来となったとされている。 1996年には、この鈴の音が環境庁(当時)の「残したい日本の音風景100選」にも選定された。
馬の装束は「小荷駄装束」を原型としており、華やかでありながらも、馬の顔を守る「鼻隠し」や首を守る「首鎧」、虫よけの「結い上げ」など、実用的な意味合いも持つ。 各家庭で代々受け継がれてきた装束の作り方は様々で、良質な麻を手編みし、紫紺染めや草木染めを施して一つ一つ丹精込めて作られる。 現在も農閑期の冬場に講習会が開かれ、その技術が継承されているという。
行進には、馬1頭につき引き子2人、付き添い1人、そして子供1人が乗るのが通例である。 子供たちは鞍にしっかりと結びつけられ、長い道のりの途中で居眠りをする可愛らしい姿も見られることがある。 この行事は、農耕馬への感謝と無病息災を祈る「お蒼前参り」が発展したものであり、馬を家族の一員として大切にしてきたこの地域の文化が凝縮されている。
開催日は、もともと旧暦の5月5日だったが、農繁期と重なるため、1958年からは新暦の6月15日に変更された。 さらに2001年からは、より多くの馬が参加し、観客も訪れやすいようにと、現在の「6月の第2土曜日」に定着している。
日本各地の馬との祭り、その普遍と固有
日本にはチャグチャグ馬コ以外にも、馬を主役とした祭りが存在する。福島県の「相馬野馬追」や宮崎県の「御田祭」は、「日本三大馬祭り」として並び称されることもある。 これらの祭りもまた、地域と馬の深い関わりを示すものだ。
福島県の相馬野馬追は、甲冑をまとった騎馬武者が疾走し、打ち上げられた花火から落ちる神旗を奪い合う「神旗争奪戦」など、戦国時代の騎馬戦を彷彿とさせる勇壮な神事である。 これは、相馬中村藩主が領内の野馬を捕らえて神前に奉納したことに起源を持つとされ、武士と馬の絆、そして武術の鍛錬としての側面が強い。 宮崎県の御田祭は、田代神社の御霊を迎え、豊作を祈願するもので、祭事用の神田を馬や牛が駆け回り、跳ね上がる泥を浴びることで無病息災のご利益があるとされる。 こちらは農耕と結びついた豊穣祈願の色合いが濃い。
チャグチャグ馬コとこれら二つの祭りには、馬が神聖な存在として扱われ、神事において重要な役割を担うという共通の構造が見られる。しかし、その表現方法は大きく異なる。相馬野馬追が武士の文化を色濃く反映しているのに対し、チャグチャグ馬コは農耕馬への感謝といたわり、そして華やかな装飾を通じて馬を讃えるという、より生活に根ざした「愛馬精神」を前面に出している。 御田祭が泥を浴びることで厄を払うという原始的な生命力に訴えかけるのに対し、チャグチャグ馬コは、鈴の音や色彩豊かな装束といった、より洗練された美意識と祭礼としての形式美を追求していると言えるだろう。それぞれの地域が馬とのどのような関係を築いてきたかによって、祭りの形もまた多様に変化してきたことが見て取れる。
現代に続く「馬コ」との歩み
チャグチャグ馬コは、1978年に国の「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」に選択され、その文化的な価値が認められている。 2023年には22万人を超える観客を集めるなど、岩手の初夏の風物詩として多くの人々に親しまれている。 しかし、その継承にはいくつかの課題も抱えている。
最も深刻なのが、参加する農用馬の減少と、馬を飼育する馬主の高齢化である。 1990年には102頭だった出馬数が、2024年には約60頭まで減少しているという報告もある。 農作業の機械化が進んだ現代において、馬の飼育は経済的、体力的に大きな負担となっているのだ。 また、装束製作や馬の扱いに関する伝統技術の継承も課題となっている。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。
出典
- チャグチャグ馬コとは。馬を愛する岩手のお祭りから生まれた郷土玩具 | 中川政七商店の読みものstory.nakagawa-masashichi.jp
- 歴史 - チャグチャグ馬コ保存会公式ホームページchaguuma.com
- hellomorioka.jp
- 【日本三大馬祭り】福島「相馬野馬追」・岩手「チャグチャグ馬コ」・宮崎「御田祭」:騎馬による芸能を神様にささげる | nippon.comnippon.com
- 【今年は“馬”年】伝統の「チャグチャグ馬コ」を次世代へ。岩手県滝沢市がGCFで寄付募集を開始:東京新聞 × PR TIMES:東京新聞デジタルadv.tokyo-np.co.jp
- チャグチャグ馬コ | いわての文化情報大事典bunka.pref.iwate.jp